赤いイナゴの大群
第4話 黄旗が奮戦するもあとが続かず
アマゾネス軍の戦略は、一糸乱れない騎馬の密集体形による一撃離脱戦法である。これは機動力を自慢とする北方騎馬民族が昔から得意としてきた戦法であり、歩兵を中心にした敵を攪乱するには打ってつけの戦術であった。
大宋近衛軍の右翼陣地はあっけなく崩壊し、目にも鮮やかな真紅の兜鎧とマントとに覆われた赤い奔流は、そのまま隣接する中央軍に襲いかかった。全軍の将兵がパニックを起こす寸前にいた。
そこに横やりを入れたのが、陳の率いる黄旗隊、黄色の旗印をなびかせた少数精鋭の騎馬部隊だった。陳は騎馬兵全員に弓を持たせ、赤い奔流の最後尾から騎射による攻撃を試みたのだ。
若いながらも、陳は西域回廊で西夏軍などと数多くの戦いを経験してきており、騎馬部隊の用兵術にも精通していた。騎馬の戦いは勢いの戦いだ。敵を勢いづかせてしまってからでは、この戦いは敗北しかない。
騎馬の突撃をかわすためには、こちらも騎馬による突撃をして、相手の勢いを相殺するしかない。多少の犠牲はあっても、勢いさえ封じ込めることが出来れば勝機が訪れるはず、陳はそう考えたのだ。
もはや潰走寸前に陥っていた歩兵の大群に、一方的な殺戮の嵐を繰り返していた赤い奔流の一角が、その黄色い突撃によって寸断された。馬上から放たれるおびただしい矢がアマゾネス軍の最後尾に降り注ぎ、バタバタと赤い兵士が馬からも転げ落ちた。
「いまだっ。赤いイナゴなど、恐れるにたらん。所詮は兵法すらも知らない北方の野蛮人だ。我らで蹴散らして、女とは男に抱かれてこそ女なんだと言うことを思い知らせてやれっ」。
「おおーーーっ」。 陳の一声に、黄旗を掲げる騎馬兵達はふるいたった。赤い奔流の最後尾に猛然と襲いかかり、そして確実に戦果を上げ始めていた。
黄旗が赤い軍団に襲いかかり、戦場に赤い色と黄色い色が混ざりあった。
陳留宣の作戦は、予想以上の効果を見せた。アイリン率いるアマゾネス軍はその突撃によって完全にスピードを落とし、そしてあきらかに混乱を起こし始めていたのだ。
「ぎゃあーっ」。
「ぬうっ・・・」。
無敵と恐れられた赤い奔流が、その動きを封じられ、後陣と先端がしだいに分離されていく。
「進めえっ、進めえっ。」
陳は黄旗隊の先頭に立ち、長槍を振り立てて、赤い奔流を切り崩していく。
勝てる・・・。騎馬民族の軍隊は、攻めには強いが守りには弱いのだ。過去の西夏軍との戦いでも陳は何度も経験をしたことだ。このような状況に追い込めたならば、彼等はあっという間に戦線を離脱するはずだ。
前方に立ちふさがるアマゾネスの兵士の胸に、長槍を繰り出す。槍の穂先が白銀色の鎧に深々と突き刺さり、みるみるうちに真紅に染まっていく。
「きゃああああーっん」。
場違いな黄色い悲鳴が戦場に響く。陳は戦線を切り崩しながら、しだいに気が滅入っていくのを自覚していた。いくら戦いとはいえ、また敵兵とはいえ、女を突き殺すのは気持ちのいいものではない。
数々の戦いの場において、「敵」とは野蛮な荒くれ男共であり、憎むべき輩でしかなかった。ところが・・・・。今しも自分が槍でしとめたはずの敵兵の兜の下にある素顔。それは若く美しくそしてあどけない少女の素顔だった。そして、その顔がみるみる苦痛に顔をゆがめ、死への恐怖にうちふるえる。
未だかつて敵に対して温情をかけたことなどなかった彼が、しだいに混乱を始めていた。戦場で敵に恩情をかけることはすなわち「死」を意味したはずなのに。
陳の目にひとりの敵兵が飛び込んでくる。陳は反射的に槍を繰り出し、相手を一突きでしとめた。ふっくらとふくらんだ胸元からおびただしい鮮血を吹き出し、その敵兵は悲鳴と共に馬から転げ落ちた。
とその瞬間、陳の心の奥底に衝撃が走った。目にいっぱいの涙を浮かべ今にもこと切れようとしていた敵の兵士の素顔。それは・・・・忘れたくても忘れられない、苦い過去の記憶・・・・。
「うっ・・・・まさか・・・なぜ・・・・」。
陳の脳裏に数年前の記憶が鮮明によみがえってきた。かつて彼が讒言によって西域に左遷され、西夏との不毛な戦いを繰り返していた頃、自暴自棄となり世を恨んでいた彼に、再び生きる勇気をくれた少女。
西夏軍に焼き討ちにあった漢族の村で、両親も兄弟もすべて皆殺しにされ、たった一人だけ生き残った薄幸の少女。身寄りとてなく天涯孤独の彼女を、陳は遠征軍の雑用係として雇い入れたのだ。
深い悲しみをひた隠しにして、努めて明るく振る舞おうとするけなげな彼女の姿に、若い陳はしだいに心を引かれ、そして恋に落ちた。若い二人の恋は身分の差を乗り越えて、激しく燃え上がった。
しかしある日、何の前触れもなく撤退を始めた西夏軍を追って、陳の部隊がしばらく宿営地を留守にしている間に、正体不明の敵が宿営地を襲ったのだ。部隊が舞い戻ったとき、留守部隊は壊滅し、男という男は全て皆殺しにされ、女は全て連れ去られていた。
おびただしい馬蹄の足跡から、あきらかに遊牧民の仕業ではあったが、それはこの地域に侵略を繰り返していた西夏のものでもなく、またどこから現れてどこへ消えたのかすら全く判らなかった。その日以来、彼の最愛の恋人の消息はぷっりと途絶えた。それが今・・・・。
「・・・・舞鈴・・・?」。
懐かしい女の名を口にすると、陳は思わず馬を降り、その鮮血に染まる少女に駆け寄った。驚いたのは、彼に付き従う黄旗隊の兵士達だった。
「た、隊長っ!どうなされましたのじゃ。何をなされておられる?」。
「隊長、気でも違われましたかっ、今ここで留まるは危険でござるっ」。
郎党共のいさめの声も耳に入らぬのか、陳は少女のそばに駆けよると、その血だらけの身体を抱き起こし、その美しい顔を見つめながら大声で叫んだ。
「ぶ、舞鈴・・・。本当に舞鈴なのか?」。
もはや死相を浮かべた少女兵が、陳のその声に反応してか、かすかに目を開けた。そして既に視力すらも失われている目で、必死に声の主を捜すかの素振りを見せたのだ。
「・・リ・・・・・・」。
その声はあまりにも弱々しく、喧噪の渦巻く戦場にあっては、とても聞き取ることが出来なかった。陳は激しく彼女を揺さぶりながら、再び恋しい女の名を呼んだ。
しかし彼女の唇は再び動くこともなく、目から新たに一筋の涙をこぼしたまま、がくりと首を落とした。急速に冷たくなっていく彼女の身体を必死で揺さぶりながら、陳はいとしい女の名前を叫びつづけた。
「舞鈴っ、舞鈴ーーっ、頼む、生き返ってくれっ、オレだ、留宣だっ。せっかく生きて会えたのに、ここで死ぬなんて、そんなことゼッタイにオレは認めないぞっ。舞鈴ーーっ、生き返ってくれっ」。
もはや、陳は黄旗を掲げる騎馬軍団を率いた、有能な指揮官の立場を完全に放棄してしまい、ただ最愛の恋人を亡くした、あわれな一人の若い男にすぎなかった。
「陳隊長っ、大変ですっ、赤いイナゴの先頭が方向を変えて、こちらに向かってきました」。
郎党達の絶叫が耳にはいる。しかしいくら知らないこととはいえ、最愛の恋人の命を自らの手で奪い去ってしまった男の精神は、もはや現実を直視することをすら拒否していた。
アマソネス達の赤い奔流は、突如出現した黄旗隊の突入によって、一時的に中翼の一端を食い荒らされはした。しかし戦い慣れた赤いイナゴが体制を持ち直すのには、さほどの時間を要しなかった。アイリン率いるアマゾネスの先鋒は、後方で起こった異変を察知するなり一気に馬首を巡らし、そして猛然と黄旗隊の先鋒に襲いかかった。
騎馬の戦いは勢いである。勢いがつけば、兵は何倍もの力を引き出すことが出来るが、いったんこの勢いを失ったとたんに、あっいうまに形勢は逆転してしまう。突然のアクシデントによって指揮官を失った黄旗隊の2000の兵は、今まさにその絶体絶命の危機を迎えていた。
赤い色の一角を蚕食していた黄色い色が、再び赤い色に塗り替わっていく。そしてほんの四半刻もしないうちに、全ての色が赤に埋め尽くされた。一縷の期待を持って敗走を思いとどまり、戦いの帰趨を見守っていた近衛軍の将兵は、その瞬間に全ての秩序を失い、そして崩壊した。
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