私は21歳以上です。

エスニック
 
 赤いイナゴの大群

 第2話  赤い騎馬軍団

 

  敵の包囲網の一角に乱れが生じはじめていた。ほんのわずかな進軍速度の差。よほど目を凝らさない限り、ほとんど気づきもしない乱れだった。

 しかし幾多の戦場を駆けめぐり、その全ての戦いを勝ち取ってきた美貌の女将軍にとって、そのわずかなほころびはを決して見逃すはずものではない。いや、むしろわざわざ敵が包囲するに任せて、じっとこのチャンスを待っていたのだろう。

 「よし・・・今だな・・・」。
 小さくつぶやくと、アマゾネスの京師方面軍将軍のジャイスンは、深紅に染められたマントを翻して、ゆっくりと剣を中空にむけて振り上げた。太陽の光を浴び、白銀の剣先がキラキラと光った。

 ここは大宋国の北の都である京師から北へ約三十里、森と草原がなだらかに広がる高原地帯である。都を守る使命を帯びた近衛軍の精鋭は、この高原地帯をあえて決戦場に選んだ。北方遊牧民が得意とする騎馬兵団による機動戦に、歩兵を主体とする大宋の軍が立ち向かうためには、この地はあきらかに不利に思われた。

 しかし皇帝陛下から直々に、赤いイナゴの浸入を迎え撃つ大役、征蝗大将軍の称号を授けられた車騎将軍の劉平均が決戦場に選んだのは、まさにこの地だった。いくつもの低い丘と谷が交錯する、複雑な地形。彼はこの地形を熟知し、そこに巧妙な罠を仕掛けたのだ。

 低い丘に囲まれた隘路に敵を誘い込み、丘の稜線に隠した歩兵の大群で押し包んで、これを一気に殲滅する。それが劉将軍の立てた作戦だった。囮りの部隊を巧妙に使い、うまく赤いイナゴの軍団を捕捉し包囲した。

包囲網が完成したことにより、もはや敵は袋のネズミも同然だ。あとはしだいに圧倒的な兵力差で包囲網を閉じていけばよい。いくら赤いイナゴといえ、壊滅するのは時間の問題と思われた。作戦はほぼ九分通り成功するかに見えた。ところが・・・・。

 「ブォォォォォォォォォーーーーーー」。
 突然に聞き慣れない、西域の楽器の音色が戦場に響きわたった。

 喧噪の坩堝であったはずの戦場に、その瞬間だけ、静寂がおとずれた。それと同時に剣を高々と振り上げ、真っ赤なシルエットの女戦士が突如として最前線に姿を現した。敵も味方もその現実離れした存在に思わず息を呑んだ。

 身長は170p、すらりとした長身と風になびく金髪が、赤いマントと見事に調和し、神々しいばかりの美しさをみせていた。しかしそのビーナスとは、相対する敵の兵士達にとって、まさに悪魔の福音を運んでくる、死のビーナスそのものなのだ。

 剣を振り上げたままそのビーナスは敵味方の最前線に躍り出ると、甲高く透きとおった声で高らかに命令を発した。

 「よし今だーっ!目標は敵右翼前面、全軍反撃突撃ーーっ!!」。
 

 「おおおおおおーーーーーーーっ」。
 ジャイスンの号令に答えるかのように、黄色い、しかし力強い雄叫びの声が、谷の底からまきおこった。それは悪魔と恐れられた赤いイナゴの怒りの羽音なのだ。

 ついさっきまで、敵の歩兵集団の中に孤立し、ただ防戦一方に押され続けていた軍団が、そのひと声によって、突如として息を吹き返した。雨アラレとふりそそぐ敵の矢から、身を隠していた防護用の盾を投げ捨て、全軍が一斉に騎乗を始める。

 「みなの者っ、今だっ。敵はひるんでいるぞ。今こそアマゾネス軍の本当の怖ろしさを敵に思い知らせてやるのだ!!」。

 副官のアイリンがジャイスンの命令を補完するように突撃号令を発すると共に、悠然と馬の腹を蹴り、真一文字に敵の大群の中へと躍り込んだ。遅れじと他の兵達も全員が騎乗して、これにつづく。

 赤・赤・赤・・・。真っ赤な赤い奔流が、猛烈な勢いで谷から丘の頂上めがけて駆け上がっていく。もはやその勢いをとどめることの出来る者はこの世には存在しない。


 猛然と反撃に転じたアマゾネス軍は、全軍が一塊りになって、ほころびを見せかけた敵の右翼の陣地めがけて突き進んでくる。まるで今までの防戦一方の戦い方は何だったのか、一糸乱れぬ赤い奔流となって、丘を駆け上がってくるのだ。

 この戦は勝ったと、楽観的観測にとらわれ始めていた近衛軍の兵士にとって、その予想外の反撃は驚きを通りこして、あっというまに混乱をもひき起こした。雨あられと矢を射かけようと、それをものともせずに突っ込んでくる赤い奔流。それは第一線で戦う兵士達の一人一人の心に、いいしれぬ恐怖感を呼び覚ました。

 「赤いイナゴ・・・」。近衛軍といっても、今や兵の大半は幾度かの戦いで消耗し、第一線で戦っている兵の大半は、各地からかり集められた農民兵達なのだ。赤いイナゴに対する恐怖感を、辛うじて圧倒的な大軍を支えとして踏みとどまっていたに過ぎないのだ。

 「ひるむなっ。踏みこたえよ。逃げる者は斬り捨てるぞ!」。

 近衛軍の前線指揮官が声をからして督戦するが、兵士達の心にいったん芽生えた恐怖感は、もはやどうすることも出来ない。弓を持つ手がぶるぶると震え、さっぱりとが目標に的が定まらない。矢はとんでもない方向へとそれていく。

 あっというまに赤い騎馬軍団が目前に迫ってきた。おびえきった兵が、早くも弓矢を捨てて逃げ出そうとする。崩壊をくい止めようと、若い弓隊の指揮官が剣を振り上げて、最前線に飛び出した。

 そのとたんに若い指揮官の目に、真っ赤なマントに身を包んだ長身の女戦士の姿が映った。奔流の先頭を駆け抜けてきた、副官のアイリンだった。

 「ぬっ・・・・・・!!」。
 指揮官が身構えるよりも早く、馬上のアイリンの剣が一閃した。

 ごろん。指揮官の首が中に飛び、そして地の上に転げ落ちた。

 「わあーーーーっ」。
 こらえようのない恐怖に、とうとう近衛軍の陣地が崩壊した。統制も何もなく、なだれをうったように陣地を放棄し、弓矢も槍も投げ捨てて、狂ったように後ろへと逃げ出していく。

 恐慌をきたし必死の形相で、ただ無秩序に逃げ散ろうとする兵達。もはや官軍の誇りも、近衛軍の名誉も何もない。兵も士も将もなく、ただ恐怖に打ち震えた人の群となって、少しでも早く、少しでも遠く、この場所から遠ざかりたいだけだった。

 その逃亡兵の集団にむかって、猛烈な勢いで真っ赤な奔流が追いつきそして襲いかかった。無慈悲な赤い悪魔達の恐怖の突撃が開始された。

 先頭を行くのはアイリンだ。はるか西域の彼方の国で作られたというハガネの長剣をアイリンが振り回すたびに、敵兵の首や腕が舞い散る。悲鳴と絶叫の中をさらにアイリンは突き進む。これに遅れじと、彼女の忠実な郎党達が一団となって続く。彼女の郎党達も、それぞれ得意の武器を駆使して、右に左に血しぶきを上げ、敵兵を分断していく。

 さらにその敗残兵の集団めがけて、ジャスティン率いる本隊が襲いかかる。魚鱗型の突撃陣形を保ちながら、左右の敵をばったばったと切り伏せ、突き倒し、蹂躙していく。まさに戦闘と言うよりも一方的な殺戮の様相を呈していた。

 彼女たちが駆け抜けた後には、ぽっかりとした空間が出来ていた。もちろんそこには首や腕をなくした敵兵の死体と、無数の死に損ないが横たわっているのだ。


 谷を挟んだ反対側の稜線に陣取った近衛軍征蝗総軍の本陣では、大将軍の劉平均が歯がみをしながら怒鳴り散らしていた。ようやく包囲網を完成して、勝利を目前にしたと思ったとたんに、あっという間に反撃に転じられてしまい、右翼側の味方陣地は見るも無惨に壊滅しつつある。

 「むむむっ何をしているのだ!。全くなんてふがいない奴らだ。それでも大宋随一の精鋭と言われた近衛軍なのか。この面汚しのタダ飯食いめがっ!!」。

 予想外の反撃に有効な指示を出すことなく、ただ怒鳴り散らすだけの大将軍に、それをとりまく将軍達も、ただ顔を青ざめてただおろおろするばかりだ。ただ一人の若い士官が大将軍に進言する。
 
 「将軍様、落ち着いてください。まだ、負けたわけではありません。右翼を少しくい破られたからと言って、包囲網は完全です。右翼の左、後陣の予備の部隊を投入すれば、再度の包囲が可能です。どうか・・・・」。

 大声でわめき散らしていた大将軍は、その声にふっと我に返って振り向いた。そこにはまだ20歳を少しばかり超えたぐらいだろうか、若い青年士官が、膝をついて真剣な眼差しを向けていた。

 はるか辺境の涼西軍の将軍を父に持ち、難関の科挙試験に合格し、将来を待望された若きエリート士官の陳留宣だった。ただ若いだけではなく、辺境の地での実戦の経験を持ち、この国難に当たって、急遽首都防衛のために呼び戻された逸材だった。

 「むっ、陳か・・・。おまえにはこの負け戦を挽回することが出来るとでもいうのか?」。

 大将軍の目は、冷ややかに彼に注がれた。劉将軍はこの若い士官が苦手だった。家系の良さと高官への賄賂だけで今日の地位と名誉を得てきた彼にとっては、地方軍閥あがりのたたき上げの士官は、もっとも苦手とする人種だった。

 「はい。事前に練り上げた作戦通り輪を縮めてさえ行けば、必ず奴らを再び包囲できます。わが軍の包囲網は完璧です。あんな遊牧民共の攪乱戦術につり込まれたりしなければ大丈夫だと考えています」。

 「し・・しかしみろ、右翼陣営はもう完全に敵に食い破られておるぞ。今更、予備軍を投入したところで、さらに被害を広げることになりはしまいか?」。

 若い士官の自信あふれる意見に、大将軍の心は揺れた。彼の本心は戦うことではなく、少しでも早くこの恐ろしい戦場を脱して、後方の安全地帯に逃げ戻ることだった。周りの将軍達に怒鳴り散らしていたのも、全軍撤退の命令をするための、時間稼ぎを計算しでのことだったのだ。

 赤いイナゴが大宋国の北方国境を侵し始めてより、多くの同輩達が大軍を率いて出陣し、その多くが大敗を喫して逃げ帰ってきた。今更いくら近衛軍の大軍で立ち向かってみたところで、赤いイナゴに勝てるとは思っていなかった。

 軍の中枢である「車騎将軍」という彼の職も、対外平和政策を採ってきた大宋国においては、今や名前だけの地位でしかなく、今回の征蝗大将軍への抜擢も彼にとっては迷惑この上ない事態でしかなかったのだから。

 「では、将軍、私に本陣の兵のうち騎馬兵の一部をお貸しいただけないでしょうか。右翼を食い破った敵は、まもなく折り返して中央軍か左翼に対して、真横から突撃をすると読みました。今なら騎馬の一隊でその敵の横腹に突っ込むことで敵の進撃をくい止めることが可能だと思います」。

 「むむ・・・・」。

 劉将軍は、しばし沈黙をした後、おもむろに命令した。

 「よし。陳、よくぞ申した。おまえはまことの武人じゃ。許す、近衛騎馬兵のうち黄色旗隊をおまえにつけてやる。ただちに出陣して、敵の進撃をくい止め、手柄をたててみよ」。

 将軍は自らの臆病な本心を悟られないよう慎重に言葉を選びながらも、重々しく威厳を込めて命令を言い渡した。

 「はっ、ありがたき幸せ。しからば直ちに」。

 陳の思い詰めたような表情が見る見るうちに感激にほころぶ。周りを取り巻く将軍達が驚きの表情で大将軍を見つめる中、劉平均は誰にも悟られないように、ひとり自らの決意を再確認した。


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