私は21歳以上です。

エスニック
 
 赤いイナゴの大群

 第1話  玄海と慈恵

 

 いなごの大群というのをご存知だろうか。
 ある日突然に大量に発生し、その土地にあるあらゆるものを食べ尽くす。それは穀物にとどまらず、森の植物、野の草花まで、およそ彼らの食べ物になるものなら、何から何まで、むさぼるように食べ尽くすのだ。
 さらにその土地に何も食べるものがなくなると、次々に移動くりかえしながら、さらに次の土地までも食べ尽くしていく。この大群が通過した後には、草一本、籾殻の一粒すら残らない。

 この支那の大地では、はるかな昔から、何度もこのイナゴの大量発生による被害に苦しめられ、たくさんの農民が飢餓に苦しめられてきた。黒い霧のような集団が空を覆い尽くし、野山を埋め尽くす。精魂込めて育てた作物はあっというまもなく食い尽くされ、倉庫の蓄えも、来年のための籾殻も何もかも。さらに飢えたイナゴたちは、牛や馬にさえも襲いかかり、果ては自分たちで共食いすら始める始末なのだ。

 そしていま、また新たなイナゴが、この黄土に覆われた大地に襲いかかろうとしていた。


 「玄海、本当に考え直さないのか」。
 「いや、私はここに残る」。
 「しかし・・・・・」。
 
 広い境内にはもうこの言い争うふたりの僧を除いて誰もいない。がらんとした本堂に、その若い僧二人の声が響く。慈恵と呼ばれた若い僧は、細面で童顔、そしてみるからに知的な瞳をもった、男でさえほれぼれするような美形の修行僧だ。それに対して必死に説得を続けているのが玄海だ。玄海のほうは慈恵とは対象的に、野性味たっぷりのがっしりとした体格で、お経を唱えることよりも棒術や体術など、体を使った荒行によって仏の道を究めたいと思っていた。

 「玄海、わかってくれ。私は、ただ私なりの方法で、御仏の教えを伝えたいだけなのだ」。
 「それはわかる。おまえの言うことはよくわかるのだ。同じ仏の道に身を捧げた者としてもな。ただ今回ばかりは今までとは全く状況が違うと・・・・」。
 「だから、キミまでも、都人たちが言っているように、彼らは人ではないと言いたいわけなのか」。慈恵が玄海の眼をみつめながら静かに言う。

 「そうだ。人じゃない。イナゴだ。世間では『赤いイナゴ』とも言っている。今度の連中は今まで毎年のようにこの寺を襲ってきては、乱暴と狼藉を繰り返してきた、盤古山の盗賊共とはわけが違うというのだ」。対する玄海の眼には必死な表情が満ちている。
 「でも人であるとことには違いがない。御仏の真心は伝わるはずだ」。
 「それすら、どうかわからないという噂だ」。
 「御仏に仕えるものとして、噂に惑わされてはいけない。私にはそうは思えないのだ」。

 彼ら二人は、ここで半刻にわたって、いつまでたっても平行線の議論を続けていた。普段ならたくさんの修行僧たちのあげる読経の声が響いているこの本堂でさえ、今は誰もいない。上はこの寺を支配している高僧から、下は下働きの寺男に至るまで、ことごとくが寺を捨てて、安全な南の土地に逃げ出していた。
 「慈恵、おまえは赤いイナゴの本当の恐ろしさを知らないだけなんだ」。
 「赤いイナゴは遙かに西の彼方。かつて三蔵法師が天竺から経文を持ち帰ってきた道を通ってやってきた。西域にある国のことごとくを滅ぼし、そしてわが唐土の北、遊牧民の蛮地に現れたのはほんの10年前だった」。
 「そう、そうしてまたたくまに西夏が滅び、蒙古が滅び、そしてあの強大ですらあった金ですらが滅ぼされてしまったという。そしてかつてそれらの国があった土地は・・・・・」。
 「ことごとく荒れ果てた無人の地と化したといいたいのだろう」。
 「そうだ。奴らに御仏の教えが通じるとは思えない」。

 慈恵はふっと悲しそうな表情を浮かべて、じっと玄海を見つめた。
 「玄海・・・。私は君を引き留めはしない。私に義理立てをして、君が残ることはないのだ。ただ私は、私としての仏の道を、私なりに極めてみたいだけなのだ」。
 「たとえ殺されてもか」。
 「もちろん、それが御仏の定めた宿命ならば」。
 「御仏の教えに背くことがあってもか」。

 「御仏の教えに背く?」。玄海はけげんな表情を浮かべた。
しめた。玄海は必死で説得を続ける。
 「そうだ。赤いイナゴは女蛮だ。つまり男がいない女だけの種族ということだ。慈恵はやつらが嵐のように現れ、その土地を占領した後、そこで何が行われているか、その本当のところを知らないのだろう」。
「知っているさ。略奪と殺生。誰一人として生き残ることを許さない・・・・・」。
「それがちがうのだ」。
「ちがうって?」。

「そうさ。奴ら、確かに血も涙もない。略奪もするし、人を殺すことなんか何とも思っていない。私たちが知っている女人の美しさの裏面に隠れた、女の本当の醜さ、残酷さがすべてさらけ出されたのが彼女たちだ。男も女も、子供も老人も、進路に立ちふさがる者はことごとく殺されていると言われてきた。ところが実は例外があるということだ」。
「例外?・・・・」。
「そうだ。実は例外が存在する。そしてその例外だけは殺されることを免れて、しばしの命を永らえることができるということだ」。

玄海はそこで、言葉を切り、慈恵の目を見ながらゆっくりと話し出した。
「慈恵、よく聞くんだ。女蛮である彼らはどうして種族を増やしていくと思う?。男がいないんだ。女だけの種族なんだぞ」。
「つまり外から男を徴発すると言うことなのか?」。
「そうだ。つまりそれがこの例外につながっている。やつらが次々に移動をしながら行く手の国々を滅ぼしているのは、何も食料や財宝を手に入れるだけではない。もう一つの目的が、実は優秀な種を手に入れるためだといわれている」。

「優秀な種?」。慈恵の無表情な顔に、明らかに嫌悪感が生まれてきた。宗教的な純粋性をひたすら追い求めてきた、彼のようなまじめな僧にとって、今玄海が語りだしたことは、大きな衝撃として彼の理性をむしばんでいた。
「つまりだ。やつらが殺生の例外として、生きたまま虜にするのが、若くて美しい、慈恵おまえのような男たちだというのだ。やつらは集落を襲い、町を襲い、そして城を滅ぼすに際して、情け容赦もなく殺し尽くすように見せて、若くて健康な男だけは巧妙に、死なない程度に急所をはずし、生きながらえさせるという」。
「・・・・・・」。
「そうしておいて、すべての殺戮が終わったそのあと、その獲物を・・・・・」。

突然、慈恵が大声で、玄海の言葉をさえぎった。
「や、やめてくれ。そんな話はききたくない!」。
「慈恵、やつらは獣だ。けっして人ではない。おまえの青臭い説教に耳を傾けたりするはずはない。悪いことは言わない。いますぐ、私と一緒に逃げてくれ。そうしないと、おまえも赤いイナゴどもの餌食として、種をつけるための道具として・・・」。
「やめてくれ・・・・。そんな・・・・・」。
玄海は耳をふさぐようにして、必死でいやいやをしていた。

「慈恵、まるでただっこじゃないか。おまえはこの寺でも一番の秀才だったはずだろ。俺のいったことは嘘じゃない。お寺で難しい経文を学んでばかりいたおまえには初耳でちょっと酷な話かもしれないけど、都の巷ではとっくに噂になっていた話なんだ。誰も生きて帰ってきたやつなんていないのに、このことは事実として受け止められている」。
必死でイヤイヤを繰り返す慈恵に対して、玄海はまるで死刑宣告をするかのように、最後の決定的な事実を告げた。

「玄海、わたしたち仏門に仕える者は、みな女人を一切絶たねばならない。道を究め、より高次の悟りへと至るための修行としてな。おまえも俺も若くして仏門に入ったおかげで、実際のところ未だに女人と肌を合わしたことはない。
しかし連中にとってはそんなこと関係はないのだ。獲物として捕らえた一匹のオスにすぎないのだ。連中はおまえを種付けの道具として、そして肉欲の対象として、生かしたまま淫欲の限りを尽くすそうとするだろう。
いくらおまえが御仏の教えを説こうとしたところで、女人を避け続けてきたおまえに、その肉欲の誘惑にいつまでも耐えられるとは思えないんだ」。

沈黙が訪れた。
そして玄海は静かに言った。
「逃げよう、慈恵。逃げることは決して御仏の教えに背くことではない。むしろ今逃げることこそが、御仏の教えに忠実なことなんだ。わかってくれ・・・・」。
そうしてようやく、慈恵がこくりとうなずいたその時、遠く北の彼方から、ドドドドッという地面を揺るがす地響きが聞こえてきた。


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