私は21歳以上です。


エスニック
 魔法陣

                                               その2


  そして今日、俺はその日の担当授業を終えて、いつものように職員室に向かっていた。ちようど新校舎から旧校舎への渡り廊下を通っているときだった。向かいから一人の女生徒が走ってきて、危うくぶつかりそうになったのだ。

 「こら、廊下を走ったらだめじゃないか」。
 俺は注意をしようと彼女を呼び止めた。ハアハアと荒い息の少女は、そのとき初めて俺の存在に気が付いたかのように、驚いたような表情をして俺を見た。

 「あっ。先生、た、たいへんなんです!!」。
 「なんだ、どうしたんだ」。
 「とにかく、はっ早く来てください、た、たいへん・・・・」。
 「なんだ、それだけじゃわからないだろ。ちゃんと筋道を立てて、わかるように言わなければわからないじゃないか」。

 女生徒は名札からみて、1年生のようだ。残念ながら顔にも名前にも見覚えはない。彼女は両手で俺の腕をつかみ、引っ張るようにして旧校舎の方に向かっていく。彼女の豊かに発育した胸が腕に当たっている。

 「だから、どうしたんだ!」。
 俺は回り込むようにして彼女の前に立ち、顔をのぞき込むようにして問いかけた。みると彼女は目を真っ赤に腫らしていた。そしてゆっくりと話し出した。

 「久美が、あの、あの、魔女の儀式のイケニエにされそうなんです。それで、あたし・・・。先生、助けてあげて・・・」。

 俺の頭の中に、つい3日前のあの異様な儀式の様子がよみがえってきた。あいつら性懲りもなくまた・・・・。しかし俺は一瞬、迷いを感じた。
 実はあの事件の後、すぐにそのことを教頭に報告したのだ。マヤには固く口止めされてはいたが、生徒の脅しに屈服しているようでは、一人前の教師は務まらない。むしろ彼女たちが校内で二度とあんな行為が出来ないように、何らかの対抗措置をとるべきだと考えたのだ。俺には許せなかったのだ。
 
 しかし、50歳代のおばさん教頭の返答は、全く拍子抜けするほど冷たいものだった。
 「本校の生徒の中にそんなことをする生徒がいるとは思えません。きっと初めての女子高校勤務でお疲れになっているのでしょう。今日はこのままお帰りになって、ゆっくりとお休みになって下さい」。
 最初から俺の言うことに一切耳を貸すことなく、全面的に否定するばかりだった。

 俺は教頭への説得をあきらめて、他の教師連中、教務主任とか、生活指導の担当とかにも話してみたが、反応はさっぱりだった。教頭のように全面否定こそしないものの、誰もまともに答えようとしない。「生徒の自主性を重んじるべきだ」とか、「あの生徒にはみんな関わらないようにしているんだ」とか、訳の分からないことを言うばかりだった。

 体育担当の中年の男性教員などは、マヤの名前が出たとたんに、凍り付いたような表情をしたきり、あとは何を言っても無言で押し通す始末だ。いったいここの教師達は何を考えているのだ。やる気があるのだろうか。

 俺は怒りのもって行き場が無いまま、この学園内には、きっと俺の知らない何かの秘密が隠されているとの確信を持った。いつか必ずその秘密を暴いて、この学園に巣くっている不正をただしてやろう、そう考えたのだ。

 その機会が意外と早く訪れたと言うことなのだろう。俺は勇気を振り絞って、その儀式が行われていると思われる場所、それはちょうど3日前にもあの儀式が行われていた、あの旧校舎の講堂に向かった。


 カラッ。
 意を決して講堂の扉を開くと、そこには誰もいなかった。
 「あれっ?」。
 1年の女生徒も同時にびっくりしたような声を上げる。
「でもさっきまで、ここで・・・・たしかに・・・」。

 俺は彼女を気にもせず、そのままずんずんと講堂の中へと足を踏み入れた。きっと、きっとここには何かある。その確信がどんどんと高まっていた。講堂の演台の上には、香炉のようなものが立てられてていたからだ。

 講堂内には、えもいわれぬ甘い香りが漂っており、どうやらその匂いは、目の前のあの演台の上の香炉から漂っているようだった。
 「せんせい、あぶないです・・・・」。
 「いや、大丈夫だ」。
 何の確信もないのに、俺は彼女の言葉によってかえってカラ元気を絞り出して、あえて香炉に近づくような行動をとっていた。それが罠とも知らずに・・・・。

 突然、演台の袖にあるカーテンが揺れて、そこからマヤが姿を見せた。
 「やっぱり、おまえか・・・・」。
 俺はしぼりだすように声を出した。まるでこれじゃ、昔に見た安物のハードボイルド小説に出てくる主人公の台詞じゃないか。思わず苦笑した。
 
 「ようこそ、先生。でも正直にいって、アナタには失望しましてよ・・・」。
 マヤの勝ち誇ったように、見下すような口調で言った。
 「おまえたち、ここでいったい何をたくらんでるんだ」。

 俺がそう言ったとたんに、ガラガラッと音を立てて、講堂の扉が閉じられた。驚いて後ろを振り返ると、あの1年生が扉を閉め終え、そこに鍵をかけようとしているところだった。そうかしまった、この子もグルだったんだ。軽い後悔をしたものの、俺はまだハードボイルド小説の気分が、完全には抜けきっていなかった。

 「俺を閉じこめて、どうするつもりだ!」。
 マヤは何も言葉を発せず、無言のままで俺を見下すように眺めている。
 講堂内にはますます甘い香りが濃厚に漂っていた。

 突然彼女の口から、意味不明の呪文のような言葉が紡ぎ出された。
「エローム、エフロイ、ナタネスフィ・・・・」。
 そのとたんに急に視界がかすみ始めた。

 マヤは目を閉じ、手を合わせてさらに強い口調で呪文を唱えだした。うっ、身体が動かない・・・。俺はあせった。耳の奥でガンガンという音が鳴り響きだした。

 いかん。逃げなければ・・・・。しかしもはや俺の身体は、その感覚からして、まるで自分の身体ではないかのようになっていた。足を動かして後ろに戻ろうとしても、自分でもびっくりするほどにスローモーションになっていた。そして足がもつれて、ドウッとばかりに、その場に転倒してしまったのだ。

 倒れたとたんに、今度は脳細胞にも得体の知れない、霞がかかりだしたような感覚に支配されだした。すでに全身にしびれがまわりだしていたのか、、手も足も動かない。どうやらあの甘い香りの成分に、手足を麻痺させる何かの有害物質が含まれていたのに違いない。この期に及んでも、俺は魔術の持つ恐ろしさに気が付いてはいなかった。

 頭がもうろうとし、そして猛烈な睡魔と共に、俺はそのまま気を失ってしまったのだった。



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