2 街の中 〜服従〜
ムーンペタの町までたどりつく頃には、私は、もうすっかりつかれきっていました。
手足の節々が痛みます。
慣れない姿勢で動き回ったせいで、身体が悲鳴をあげるぐらい疲れていたのです。
それでも、私は力を振り絞って歩き回りました。
しかし、私を待っていたのは・・・・絶望と、屈辱ばかりだったのです。
私がまず向かったのは、教会です。
聖なる力をつかさどる神父さまなら、この呪われた体であっても事情を分かってくれるかもしれない・・・・そう思って、町の北を目指しました。
神聖な場所に裸で、しかも四つんばいで入るのには抵抗がありました。
まるで、神様の前でとてもいけないことをしているような気がして・・・・私は、目をつぶりたくなるような恥辱を受け入れながら、足を進めなければなりませんでした。
教会の中は、人でいっぱいでした。
怪我をしたらしい人たちが、何人も何人も・・・・数え切れないぐらい、運び込まれていたのです。
ムーンブルグのお城から、逃れてきた人たちのようでした。
まともに手当てを受けることさえできない人たちが大半のようで・・・・あちらこちらから、うめき声が聞こえてきます。
神父様の姿は見当たりませんでした。おそらく、手当てのために動き回っているのでしょう・・・・。
これでは、とうてい・・・・私の方に目は向かないでしょう。
やがて、私に気がついたシスターの一人に、そっと外に押し出されてしまいました。
・・・・けが人のいる場所です。動物が入り込むのはよくないと判断したのでしょう。
私は、自分の甘い考えを砕かれたようになって・・・・呆然とへたりこんでしまいました。
町までいけばなんとかなるという考えは、なんと根拠にとぼしい考えだったことでしょう。
私は、身を隠す布の一枚さえ手に入れられないありさまだったのです。
(いったい・・・どうしたら・・・・)
裸のまま、私は街中を歩き回らなければなりませんでした。
不幸中の幸いは、みなムーンブルグからの避難者への対応に忙しく、道をゆく私など、目をくれることさえしなかったことでしょう・・・・。
『どうです? 町の人たちは不親切ですねえ。王女様が裸で困っているのに、助けてもくれませんよ』
「・・・・・」
魔物の軽口が頭の中で響きます。
私は、唇をかみしめてその言葉を耐えました。
・・・いかに、視線がむいていないとはいえ、裸で、街中を歩くのは・・・・屈辱の極みでした。
道行く人の視線が動くたび、身体が震え・・・・身体が凍り付いてしまいます。
(服を・・・・服をちょうだい!)
なんど、そう叫びそうになったことでしょう。
身体のすみずみまでさらさなければならない屈辱は、あまりにつらいものでした。
それなのに、魔物は私にさらなる恥辱をつきつけてくるのです。
『しかしまあ、そろそろ裸にもなれたんじゃあありませんか? 王女様』
「・・・・そんなはず・・・・」
『四つんばいで歩くのも、ずいぶん早くなったじゃないですか。もう、犬として立派に暮らしていけますよ』
「・・・・う・・・・」
『はじめはあんなにおどおどしてたのに。立派ですよ、王女様。
もう、オマンコ丸出しで歩くのも慣れっこなんでしょう?』
「・・・・い、いやあ・・・・」
それまで私は・・・・なんとか、自分の、あさましい格好を考えないようにして歩いていました。
考えたら、とても歩けない・・・・それは、分かっていました。
ですから、何も考えず・・・・ただ、前を見て歩き続けてきたのです。
でも、こうして、あおられるように言われて、とても我慢ができなくなってしまいました。
私は、恥ずかしくて恥ずかしくて・・・・アソコをさらしたままでいることに耐えられなくて・・・・その場に、へたりこむように座ってしまったのです。
せめて、大切なところだけは・・・・。
そう思って、必死に足を閉じ、お尻を下げて身体を隠したのです・・・・。
『おや、いけませんね・・・・「お座り」なんて命じた覚えはありませんよ?』
「いや・・・・いやぁ・・・・」
『うーん・・・・飼い主の言うことが聞けないとは、悪い犬ですね・・・・。
さあ、立ってください。ほら、町の人にあなたのオマンコを見せてさしあげて』
「いや・・・・だめ・・・・」
身体は、とても動かせませんでした。
まるで、町の人たちが私の一挙一足を見張っているような気がして・・・・身体を起こせば、それだけで、大切なところも・・・・すべて、覗き込まれてしまうような気がして・・・・とても、動けなかったのです。
街頭で、裸のまま座り込む・・・その、自分の格好さえ忘れていたほどでした。
どうしても、大切なところをみられるのだけは、嫌だったのです・・・・。
私は、子供が駄々をこねるように・・・・ただ、頭の中に響く魔物の声を聞くまいとし続けました。
『・・・・仕方ありませんね』
「・・・・・!」
一瞬、はっとしました。
「助かった」
と思ったのです。
あきらめてくれた、と、そう思いました。
『どうも王女様は犬になりきれていないようですな。ならいっそ、呪いをといて差し上げましょうか?』
「・・・・?」
え?
私は、はっと顔を上げました。
・・・・魔物の言葉を疑う心より先に、うれしいという気持ちがわいてきました。
この、屈辱ののろいから逃れられる・・・・それだけで、もう私の心は他のことを考えられないぐらい、浮かれてしまったのです。
魔物の言葉など、信用できるはずもないというのに・・・。
『ふふふ・・・・と、いっても、解いてあげるのはその姿を隠す呪いだけですからね。
どうなるかは、分かりますね? さ、あなたの魅力的な裸を、町の人たちに見せてあげるのです』
「・・・・・・!?」
・・・・私はきょとん、としてしまいました。
とっさに、魔物の言葉の意味がつかめなかったのです。
ですが、やがてその・・・・意味することが、だんだんと理解できてきました。
姿を覆い隠す・・・・私の身体にかけられた呪いを解くことは、そのまま、町の人々に私の素肌をさらすことになるのです。
そして、今の私は・・・・・四つんばいになって這い回り、犬の声でなくことしかできない身なのです・・・・。
・・・いったい、町の人々はどう思うことでしょう?
昨日まで、王女としていた自分が、裸になり、犬の泣きまねをしながら地面を這い回っているのです・・・・。
気が触れた、そう思われるに違いありません。
町の人の、さげすむような視線・・・・好色めいた男の方の瞳・・・・そういうものを想像して、私はぞっと背筋を震わせました。
・・・そんな、そんな姿を、見られるわけには・・・・・。
『それでは、始めますよ・・・・』
「い、いやっ! 待って!」
『ふふふ・・・・』
魔物の、呪文の詠唱が始まりました。
私は、とっさに辺りを見回して、姿を隠せる場所を探しました。
・・・・しかし、大通りの中、そんな都合のいい場所がすぐにみつかるはずもありません。
さらに視線をめぐらせて・・・・ようやく、路地裏につながっていそうな曲がり角を見つけました。
あそこまで走れば・・・・なんとか・・・・。
「・・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・」
必死で、手足を動かします。魔物の詠唱はまだ続いているようでした。
慣れない四足のまま、ばたばたと身体を震わせて私は急ぎました。
走ることのできないこの身体が忌まわしい・・・・そんなことを思いました。
必死で、必死で身体を動かしました。
それでも、路地裏に達する前に・・・・その詠唱は、ぴたりとやんでしまったのです。
「・・・・・あ、あ・・・・」
『ふふふ、王女様。みんな、あなたの方を見ていますよ?』
「い・・・・い・・・・い・・・」
恐る恐る、顔を上げます。・・・・そこで、町の人と視線がぶつかりました。
不審そうな、こっちを見ている、目。
訝しがりながら、こちらを・・・・見ている、目。
『どんな気分です? 街頭で裸になった気分は』
「い・・・・・い、い、い、いやああああああああああああああああ!!」
・・・・喉が裂けてしまいそうなほどの絶叫が、搾り出されました。
視線をめぐらせれば、辺り中の人が、こちらを見ています。
喧騒にぎやかだったはずの町の中は、一瞬シン・・・・とする静寂につつまれていました。
痛い・・・やけつくほどの、視線を感じました。
私の背中が、お尻が、すべてが・・・・こんなところで!
火がつくほどの視線の集中に、私は叫びました。
「見ないでっ! 見ないで! 見ないでぇええええええ!」
犬の遠吠えにしか聞こえないだろう、なんてことはもう考えられませんでした。
私は、道端にうずくまったまま・・・・同じ言葉を何度も繰り返すことしかできなかったのです。
「見ないで・・・・見・・・・ない・・・・で・・・・」
羞恥の嵐が・・・・私を襲ってきました。
身体のすべてを・・・大切な所までもさらさなければならない羞恥と恐怖・・・・。
私は、目をつぶってその嵐がすぎさるのを待つことしかできませんでした・・・・・。
もう、終わりだ・・・・と、本気でそう思いました。
人の前で・・・・人の姿で・・・・人として、決してやってはいけないことをやってしまったのです・・・・。
もうダメ・・・・もう耐えられない・・・・。
心が、次々と悲鳴をあげ、決壊していきました。
涙がこぼれ、ほほを伝っていきました。
魔物の笑い声が頭の中に響きます。
『ほらほら、大きな声で吠えるから、そこら中の注目を集めてしまったじゃないですか』
「ひ・・・・う・・・・」
ようやく違和感に気がついたのはそのときでした。
一瞬シン・・・・と静まり返った街中は、もう普段の喧騒を取り戻しています。
もし、裸が・・・・私の裸がさらされているのなら、騒ぎにならないわけはないのに。
普段の、何もなかったときのように、町は日常を取り戻しているのです。
「・・・・あ・・・・」
だまされた。ようやく、そのことに気がつきました。
辺りを気にしながら、そっと立ち上がって見ます。突然大声を上げた犬を気にしている人はまだ何人か、いました。
でも、それだけでした。
・・・・魔物の、口先だけの、私を陥れる罠だったのです・・・・。
『なんだ。気がついちゃったんですか』
「・・・・・・」
『ちぇ・・・・面白くない。じゃあ、姫様。次は・・・・』
私は、きっと虚空をにらみました。
魔物をにらみつけてやりたいのですが、あいにく相手はどこからこちらを見ているのかさえ分かりません。
・・・とにかく、ここから移動しないと。
たとえ、見られていないにしても・・・・。
裸を、大通りでさらして続けるなんて、恥ずかしすぎます。
『おやおや、どこへ行くんです?』
「・・・・」
『うーん・・・・逃げる気ですか? じゃあ、やっぱり、呪いを本当に解いてあげた方がよさそうですね・・・・』
びくり。
『ふふ、今度は嘘じゃないですよ・・・・? 姫様が、私の命令を聞かないなら、その身体の呪いを解いてしまいましょう。
そうなったら、あなたは、街の真ん中で・・・・
人間として、裸をさらすことになるのです。
さぞ、大騒ぎになるでしょうなあ。何十人という人の前で裸をさらすのは、きっと気持ちがいいに違いありませんよ。
ふふふふふ・・・・』
・・・・魔物の、言葉の、半ばあたりで。
もう、私の身体は凍りついてしまいました。
頭の中に、さっき想像した・・・・最悪の事態がはっきりと思い出されていきます。
一糸纏わぬ姿で、町の人たちに身体を見られる・・・・。
「・・・・う・・・・」
『わかりましたね? あなたは、私の命令には逆らえないんです。
当たり前ですよ?
あなたは、犬なんですから。ご主人様の言葉には従うものです』
「・・・・・・」
『返事は?』
「は、はい・・・・・」
・・・・とうとう、このとき。私は、服従の言葉を口にしてしまったのです。
このときは、それで・・・・もう、自分は、落ちるところまで落ちてしまったと、そう思いました。
でも、本当は・・・・ここが、出発点だったのです。
ここから私は・・・・思い出すのさえつらい、さらにつらい道を歩かなければならなかったのです。