道をゆく、一人の男性が私の方に顔を向けました。
それだけで、私の身体は震えだしました。
どんなに自分に言い聞かせても、身体は言うことを聞きません。身体を支える腕ががくがくと震えだし、それ以上一歩も進むことができなくなってしまいました。
男の方は、ただ何気なく私の方を見ているだけです。
たぶん、他意などなく、なにげなく顔を上げただけなのでしょう。
それでも、私は顔から火が出るほど恥ずかしく、屈辱に満ちた思いをしなければなりませんでした。
顔は、もう真っ赤にそまっています。めまいがするぐらい恥ずかしく、前を見ることさえできませんでした。
(見ないで・・・・! こっちを見ないで・・・・!)
その人から顔をそむけ、私は必死に言葉にならない祈りを繰り返しました。
・・・彼には見えない。
そんなことは、分かっていました。
ただ、それでも・・・・それでも、恥ずかしくて、そうせずにはいられなかったのです。
私には、そうすることしかできなかったのです。
むきだしになった胸や、お尻や・・・・・隠したいところを手で覆うことさえ、私にはできなかったのですから・・・・。
いくつもの目が、私の方を見ているような気分でした。
いいえ、実際には、私に注目している人など、ほとんどいなかったに違いありません。
人々の好奇の目がこちらに向かないのは、せめてもの救いでした。もし、そんなことになったら・・・・私は、それ以上歩けなかったと思います。
前へ進もうとしても、手足を地面について這うようにしなければ歩くこともできないのが、今の私です。
後ろから見れば・・・・きっと、私のなにもかもが見えてしまったに違いありません。
視線を向けられただけで、射すくめられたように私の身体は凍り付いてしまうのです。
(恥ずかしい・・・・いや、いやぁ・・・・・!)
・・・・裸のまま、人々の視線のある中を、私は歩き続けていたのです。
四つんばいになり、犬のように・・・・・いえ、私は、このとき、まさに犬そのものだったのです。
道行く人々にも、私の姿は犬としか映らなかったはずなのです‥・・・。
1 王女の苦難 〜犬の生活〜
私が目覚めたとき、そこは、ムーンペタの郊外にある高台でした。
目を凝らすと、見知った町並みがはっきりと見えてきました。私も何度か遊びに行ったこともある、活気のある街です。
夕方ということもあって、かまどの煙がたくさん上がっているのが見えました。
心なしか、いつもより多くの煙があがっているような気がします。
・・・・私はしばらく、ぼうっとする頭をしかりつけながら考え込まなければなりませんでした。
「自分は、なぜこんなところにいるのか」
このときは、それさえ思い出すことができなかったのです。
魔物たちに、生まれ育ったムーンブルグのお城を攻め落とされ、捕らえられたときのショックで、私は記憶に多少の混乱をきたしていたのでしょう。ですがやがて、私のおかれた境遇は・・・・嫌でも思い出されてきました。
いいえ、「思い知らされた」という方が正しいかもしれません。
私は、町の郊外・・・・つまりは、屋外に。裸で座り込んでいたのです。
冷たい風が、素肌をなぜて通り過ぎていきました。
私は、思わず両手で胸を隠し、体を縮めて震え上がりました。
悪夢のような記憶が、だんだんとはっきり思い出せるようになってきました。
魔物たちにとらえられた、そのときの記憶です。
真っ先に思い出したのは、へんにくぐもった、不気味な男の声でした。
その男は、私に告げました。
「あなたには、犬になっていただきましょう。
幻覚の魔法で、あなたの姿に犬の像を重ねるのです。
他人が見れば、あなたは犬にしか見えませぬ」
彼は、戦いで・・・ムーンブルグの攻略に功があった魔族のようでした。
その功に対して与えられた褒賞が・・・・私の身体、だったのです。
私を見て、男は哄笑と共にその言葉を吐き出したのです。
「ふふふ、ふふふふ。
高貴な王女さまが、下賎な犬畜生として生きる。
さぞ見物でありましょう!
ささ、王女さま。
獣に堕ちる喜びを、じっくり味わっていただきますぞ」
・・・・そうして、私は呪われました。
私自身の目には、身体は元のまま、何も変わっていないように映ります。
しかし、男が示した鏡に映ったのは、まぎれもない・・・・どこか、薄汚れた犬の姿だったのです。
ドレスを羽織った犬・・・・・鏡に映ったその姿は、あまりに滑稽なものでした。
魔物は、下品な笑い声をあげながら、私の身体から衣服を剥ぎ取りました。
「犬が、衣服を着ているのは妙ですからな」
そう笑いながら、下着の一枚さえのこさず、私の身体から奪いさったのです。
魔物たちの前で、肌をさらす・・・・それは、思い出しただけで鳥肌がたつほどおぞましく、惨めなことでした。
せめて肌を隠そうと腕で胸をおさえ、身体をすくませる・・・・その姿は、魔物の目にいったいどう映ったことでしょう。
・・・・魔物たちの、哄笑。
恥じらい、身を隠そうとする私をあざ笑う声が室内にこだましました。
・・・・後のことは、わたしは覚えていません。
私は、恥ずかしさと屈辱のあまり、そこで気を失ってしまったのです。
気がついたとき、わたしは・・・・ここ、ムーンペタの郊外に送り込まれていたのでした。
どれぐらいの時が、あれから経っていたのでしょう。
あの、つい最近までの平和だった日々が、まるで遠い過去になってしまったように思われていました。
落城から、まだ二日と経っていないというのに・・・・・。
そこまで考えたとき、わたしのおなかがなりました。
私は、思わず顔を赤くしてしまいました。
気がつけば、もうまる一日以上、何も食べていなかったのです。
・・・・どちらにしろ、そのままそこにいるわけにはいきませんでした。
食事も必要ですし、なにより、ムーンペタにはお城から逃れた人がたどり着いているかもしれません。
この身の呪いも、ひょっとしたら解くことができるかもしれません。
とにかく、街までいって、それから・・・・私は、そう思って立ち上がろうとしました。
「・・・・あっ」
足がもつれて、ころびました。
膝の辺りが、きちんと伸びないのです。麻痺してしまったように足がびりびりとしびれています。
「・・・・?」
足を、そっと手でさすります。外傷はありませんでした。
それなのに、どうやっても・・・・いつまでたっても、足の痺れはおさまりません。
まるで、膝から下を切り落とされてしまったように、力がはいらないのです。
『ふふ、何をしているのです?』
「・・・・・!?」
そのときです。声が、頭の中に響きました。
あの・・・私に、呪いをかけた男の声でした。
辺りを見回しても、姿は見えません。
私はようやく、彼が頭の中に直接語りかけている、と気がつきました。
「あなた・・・・!」
『ふふふ。アイリンさまは犬ですからね。立ち上がったりしたら、おかしいでしょう?』
「な・・・・なん・・・・」
喉がふるえました。
「なんですって」という声も、まともに発することはできませんでした。
『犬は、四本足であるくのですよ? さあ、地面に手をついて・・・・』
「ふ、ふざけないで・・・・!」
『ふざけてなどおりませぬよ。そうしなければ、姫様は歩くことさえできまないのですよ?』
「・・・そ、そんな・・・・・」
・・・結局、男の声に逆らうことはできませんでした。
私が気絶した後、魔物たちは私の身体にさらに呪いを重ねていたのです。
地面に手をつき、両手両足で這わないと歩くことさえできない・・・・そういう身体に、私は変えられていたのです。
「ひ、い・・・・!」
・・・四ツ足での歩みは、思った以上に恥辱に満ちたものでした。
腕で身体を支えていては、胸を隠すことさえできません。
それに、膝をついて這うと、自然にお尻が持ち上げられてしまうのです。
私は、隠したいところ・・・恥ずかしいところ・・・・それらを、全部さらけだしながら歩かなければならなかったのです。
『そうら、そこに旅人がいますよ』
「ひいっ!」
『あなたのことを見ていますよ・・・・ふふ、ああいう男に飼われるのも一興だと思いませんか? 姫様』
「いや・・・・いやぁ・・・・!」
胸を隠そうとして、私は体勢を崩しそうになって転びかけました。
犬の姿をしたままでは、身体を隠すことさえ難しいことをいまさらながらに私は思い知らされたのです。
旅人の視線を感じ、私は身体をすくませました。
屋外で、裸で、その姿を男の人にみられる・・・・!
あまりのことに動転して、私はもう指先一本さえ動かすことができなくなってしまいました。
身体が震えます。
そんな私を責めたてるように、頭の中に声が響きました。
『ほら、見られてますよ』
「い・・・いやっ」
『安心していいんです。裸でいたって当たり前ですからね。あなたは、犬なんですから』
「ひ・・・・」
『たっぷり、見せてあげるといいですよ。王女様の裸をね』
「う、う・・・・」
男の人は、なにやら不機嫌そうな様子でこちらに近寄ってきました。
なぜか、唇の端をつりあげるようにして私を見下ろしています。
『おやおや、彼、こちらにきますよ?』
「・・・・いや・・・こないで・・・・」
『ひょっとして、魔法をかけまちがえたかな? あの人間には、犬じゃなくて人間の裸が見えてたり・・・』
「う・・・・そ、そんな・・・・」
『ほうら、よってきた、よってきた・・・・』
「いやあ・・・・」
四つんばいになっていると、近寄ってくる人影というのはとても大きく感じられます。
私は、手足をあげることもできず、その場に張りつけられていました。
その人は、そのまま私を真下に見下ろす位置まで歩み寄ってきます。
(こ、怖い・・・・!)
裸であることの、心細さ。
女性としての羞恥心。
それらが、まとめて恐怖に変換されてしまったようでした。
足がすくんで、うごけません。
いったい、何をされるのか・・・・。
なぜ、彼は私に近寄ってきたのでしょう?
あるいは、頭の中に響く魔物の声が本当だったとしたら・・・?
「い、いやあ・・・・」
不吉な想像に、私はさらに身体をすくませました。
とうとう、男の人の影が私に重なりました。太陽を背にして、その方の影が顔を埋め尽くします。
言いようのない恐怖が、私の背筋を走りました。
その人が、舌打ちをしたように聞こえます。
ふいに、男の方の足がすうっと持ち上げられました。
次の瞬間、わき腹のあたりにその足がぶつけられ、私はかるくはじかれるようにしてその場に倒れこみました。
「キャンキャンうるせえんだよ! アホ犬が!」
私は呆然としながら、蹴られたわき腹をおさえました。
・・・・それまで、うるさいからといって犬を蹴るような乱暴な人は見たことがありませんでしたし、なにより、こんな風に乱暴に扱われたこともなかったのです。
半ばパニックになって、私は口にしていました。
「な、なにを・・・・!?」
するんです、とまでは言葉は続きませんでした。
私の言葉が、人の耳に届くまでの間に犬の鳴き声に変換されてしまっている・・・・それは、男の方の言葉から明らかでした。
彼は、頭の中と会話をする私が、自分に吠えていると勘違いしたのでしょう。
それで、私に足を向けたに違いありません。
彼は、そのままその場に腰をおろしました。どうやら、ここで野営を始めるようで、ザックの中から干し肉を取り出してかじりはじめました。
私は、また空腹を思い出してしまいました。
おなかが、また恥ずかしい音をたてます。私は、真っ赤になってうつむきました。
『はっはっは、恥ずかしがるこはありませんよ。犬なんですから』
頭の中に響く声は、「犬」の部分を不自然に強調したものでした。
私の羞恥心をあおっているのです。
犬の姿をした自分のことをしっかり自覚させ、私の心を攻めようとしているのです・・・・。
それでも、そうと分かっても恥ずかしいのは事実でした。
それでも、どうすることもできません。
私は、とにかく町まで行かなければと思い立って、ゆっくり歩き始めました。
男の方に蹴られたわき腹も、もう大分痛みはひいていました。
手と足を交互にすすめ、身体を前にすすめていきます。
(う・・・・・)
先ほど、私を足蹴にした方が、こちらを見ていました。
今の私は、歩こうと思っても四つんばいでしか前にすすめない身体です。
足をすすめるたび、恥ずかしい部分が見え隠れしてしまう身体なのです。
・・・・小さ目の、どちらかというとコンプレックスのある胸に、男の人の視線が刺さっているように思えてなりませんでした。
慣れない四足での歩行です。
歩みも遅く、私は身体をすっかり男の人に見られるようにしなければなりませんでした。
・・・・本当に、犬の姿に見えているのでしょうか?
男の人が、じっと私の方を見ています。恥ずかしくて、何度も手足が止まりそうになりました。
でも、いつまでもこの恥辱の地獄にいるわけにもいきません・・・・。
意を決して、私は男の人の前を通り過ぎました。
自分の心を殺して、必死に、何も考えないようにして・・・。
一歩一歩、ゆっくりですが、身体が前に進んでいきます。
何も考えないようにすると、心はずいぶんラクになりました。
大丈夫、実際には、裸を見られているわけじゃないのだから・・・・。
そう考えて、恥ずかしさを必死にこらえて、私は歩き続けました。
『そうです、自分を犬だと思ってしまえば、たいしたことはないでしょう?』
・・・・びくり、と身体が震えました。
ちょうど、男の人の前を少し通り過ぎたあたりで、声が響いたのです。
足が止まってしまいました。
頭の中に響いた声が、私を縛ってしまったようでした。
「何も考えないようにする」ことは、「自分が犬であることを認める」ことに等しい・・・・。
なぜか、私はそう思ってしまったのです。
(そんな・・・私は・・・・!)
『ほら、雌犬姫さま。男があなたを見ていますよ?』
(い、いやあ・・・・!)
とたんに、羞恥心が戻ってきました。
男の視線を浴びる下半身が、ぶるぶると震えだしてしまいます。
頭の中に、くすくすと笑い声が届きました。
『男の前でお尻をぷるぷる震わせて、いったい、何を考えているんです?』
「そ、そんな!」
あまりの屈辱に、私はもう何をしたらいいのかわからなくなってしまいました。
魔物は、私の意識を巧みに操作して羞恥心をあおってくるのです。
いったい、どうしたらいいのか・・・・。
恥ずかしさにたえることもできなくなりそうで、私はふと後ろの・・・・男の方の方を振り返りました。
まだ、彼はこちらの方を見ていました。
視線は、まるで私のお尻を見ているようです。
お尻を隠したい・・・・。
見ないで・・・・。
そんな思いで、私の胸がいっぱいになりました。
「ほれ」
・・・・唐突に、男の人が干し肉の切れ端を放り投げました。
お肉が、放物線を描いて私の草むらにおちます。
どうしたことだろう、そう私は思いました。
『よかったですねえ。犬に、御飯をくれるようですよ』
私を蹴ったことを気に病んでいたのか、それとも、私の仕草を誤解したのかは分かりませんでした。
でも、確かに私の前には干し肉の小片が置かれていたのです。
また、おなかが空腹を思い出しました。
・・・・品のない話ですが、私はこのとき、もうお腹がすいてどうしようもない状態になっていたのです。
地面の上に投げられた、そんなものを食べるのには抵抗がありました。
でも、犬として扱われるしかない今の状態では・・・・たとえ、町に行ったとしても食事がとれるかどうかさえわからないのです。
しばらく悩んで、結局、私はその干し肉を食べることにしました。
空腹のせいで、ずいぶん判断力がにぶっている自覚がありました。
とにかく、食事ぐらいはとっておかないと・・・と、そう思ったのです。
手を伸ばして、それを拾い上げようとして・・・・失敗しました。
ころりと干し肉が手からおち、草の上を転がってしまいました。
おかしいな、と思ってもう一度手を伸ばします。
・・・・取ることは、できませんでした。
「・・・・・え・・・・?」
『ふふ、犬は手なんて使えませんよ』
・・・・愕然としました。
いったいどういう呪いなのかもわかりませんでしたが、私の手は、ものをつかむことさえできなくなっていたのです。
指が、思ったとおりに曲がらないのです。
(じゃ、じゃあ・・・・)
『ほら、犬は普通、口でかぶりつくものですよ。
地面に落ちたものでも、ね』
干し肉を見下ろしたまま、私の動きが止まりました。
犬のように口を使って・・・草むらにおちた食べ物を拾う。
その光景を想像して、身体が震えだしました。
そんなことが、できるわけがありません。
いったい、なぜ、こんなことに・・・・。
そんな思いが、頭の中を覆いつくしていきました。
『どうしました? 早く食べないから、後ろの人が不審がってますよ。
そんなに、彼にお尻を見せ付けたいんですか?』
「う、う、う・・・・・!」
意を決して、頭を下げていきます。
・・・恥ずかしさで、身体は硬くなっていました。口をあけ、屈辱のポーズのまま、お肉を咥えようとします。
ようやく、口がお肉にとどいたとき。
また、頭の中の声が私をさいなみ始めました。
『ふふ。後ろからだと、丸見えですよ』
「・・・・!」
『きれいなスリットですね・・・・男を知らないからですかね、ぴっちりと口を閉じてますよ・・・・
ほら、お尻も、オマンコも、全部見えてますよ』
魔物は、わざと下品な言葉で私をいたぶっているようでした。
それでも、後ろから見えてしまっていたのは事実です。
地面に落ちたものを口で拾おうとしたら、自然にお尻は後ろに突き出す形になってしまいます。
後ろから見たら・・・・彼のいうとおり、どこも丸見えだったに違いありません。
屈辱をあおるその言葉に、私はみじめな気持ちになって・・・・それでも、口からお肉を離すことはできませんでした。
これ以上恥ずかしいことなんて、あるはずがない・・・・恥辱にまみれて、私はそう思いました。
けれど、その先にはさらなる屈辱と絶望が待ち構えていたのです・・・・。