○第十九話「カノン」

 

 その瞬間、世界が悲鳴を上げた。

 

 何百という死の感覚が世界中を席巻した。そしてその事によって機能を停止した人間達の、アンドロイド達の脳はさらなる死の恐怖を生み出し、無限の連鎖を引き起こした。

 陽電子頭脳は焦げ付き、生身の脳を持つ人間は痛みと苦痛、快楽と恐怖にのたうち回った。

 それは外的接触を断たれた脳にとって、恐らくは最初で最後、究極の感覚に違いなかった。

 試験管の中で育った脳。痛みを知らず、苦しみを知らず、快楽も、人の心も知らない脳。

 ただ、漫然と長生を享受し、世代を重ねることの意味も知らず、生態系から隔絶した脳。

 進化の道程から外れた人類は、果たして生物種と言えるのだろうか。

 そしてその歪んだ生物種は、今や死の連鎖によって絶滅の危機に瀕しているのだ。

 たった一人の憎しみの為に。

 

「うああぁぁ………はぐぅうあ………」

 胸を押さえ、涙を流し、苦しみ悶える少女。少女型アンドロイド、R・アザレアとR・ロベリア。

「耐えるんだ、ロベリア、アザレア。お前達の脳は今まで外的感覚を受けてきた。普通のアンドロイドとはまるで違う。こんな事でどうにかなる筈がない!!」

 ブルームフィールドは二人を叱咤するが、ロベリア達はのたうち回るばかりである。

 少女達は有機的な身体とはいえ脳は陽電子頭脳、アンドロイドには違いなく、ブレインの干渉を受けていた。しかし、幸いにしてブルームフィールドは二人と違い、生身の身体と脳でブレインからも隔絶していた。その為にタナトス・プログラムの干渉を受けずにいるのだ。

 とは言え、一人でどうなるというわけでもなく、ブルームフィールドは途方に暮れた。

 そこへ、奇妙な回帰主義者の男が現れた。機械教の教会すぐ側で回帰主義者の男。ブルームフィールドは訝ったが、だからと言ってどうなるものでもない。

 男はアザレアを助け起こすと、何処からか注射器を取り出して少女の首筋に刺した。

「心配はご無用です。これは神経伝達物質を抑える働きがあります。見たところこの子達は有機的に造られたアンドロイド。恐らく薬が効く筈です。さあ、そちらの子にも注射をして上げて下さい」

 ブルームフィールドはおずおずと注射器を受け取ると、ロベリアの首筋に針を刺した。しかし、ロベリア達の反応は変わらない。男の方を窺うブルームフィールド。

「大丈夫ですよ。即効性があるわけではありませんが、次第に落ち着いてくる筈です」

 男はブルームフィールドの心中を察し、穏やかな笑みを浮かべて応えた。

「本当に、アンドロイドに注射が効くのか?」

 ロベリア達を気遣いながら、ブルームフィールドは質した。

「ふふふ、それは私で実証済みです。それに、この子達はDr・イーグルの造った型式だ。確か、そのコンセプトは人類種保存の為の人工子宮。機械化の進んだ世界を危惧した博士が創り上げた人類のバックアップシステム………。その身体構造は極めて人間に近い」

 男はそう言って、ロベリア達に視線を向けた。見ると、ロベリア達は僅かではあるが容体が回復しつつあるようだ。

「君は一体………」

 得体の知れぬ男の様子に、ブルームフィールドは思わず呟いた。

「なに、通りすがりの回帰主義者です」

 男はそう言って微笑むと、立ち上がった。

「私に出来るのはここまでです。しかし、もし、このままタナトス・プログラムが連鎖を起こし続ければ、私もこの子達も無事ではすまないでしょう」

 そう言って、男は立ち去った。

 ブルームフィールドは二人の少女をかき抱くと、小さく呻いた。

「………死ぬな」

 

「この注射には神経物質を抑制する働きがあります」

 そう言いながら、ダニールはジョナサンの首筋のカバーを外し、注射を打ち込んだ。そして何本か同じ注射器を取り出すと、ミルトンと手分けして、ヘイワド、羅瑠、そしてカノンに注射する。

「用意が良いんだな………」

 額の汗を拭いながら、ミルトンが口を開いた。

「あなた方の計画がずさんすぎるのです。尤も、機械人間を抹殺する為の計画なのですから、こんな用意は必要がなかったのかも知れませんが………」

「R・ヒルダの暴走は計算外だった。陽電子頭脳は、いつも僕達の予想を超えて働く……」

 そう言うとミルトンは、自嘲気味に笑った。

 ダニールは渋面を作ると、かぶりを振って応じる。

「R・ヒルダの暴走は私にも予想外でした。しかし、もう少しR・ヒルダの行動には気をつけるべきでしたね。予兆はあった筈です………」

「ふうむ、こればかりは僕にも原因がつかめない。果たして、ロボ心理学の権威、ミルトン・アッシュ博士はどうお考えになるかね?」

 僅かにからかう調子でミルトンは質した。

「やれやれ、人間はこんな時にまでユーモアを持ち込むんですね。私には理解できません。ヒルダには三原則は組み込まれてはおらず、服従回路の概念は三原則ほど成熟してはいませんから、恐らくはそれが原因でしょう。尤も、彼女が人間なら、ゼルダの境遇を意識の底で憤っていたと考えることも出来ます。ゼルダはヒルダを映す鏡でもありますから」

 ダニールの言葉に、ミルトンは沈痛な面持ちで頷いた。そうして、今は静かに眠るゼルダに哀れみの視線を向ける。

「確かにそうかも知れない。ヒルダにはゼルダの影武者として、彼女の記憶の一部を移植してあった。ヒルダのゼルダなる部分に、アンドロイドの服従回路など無意味だったのかも……」

 そこへ、今まで苦痛に嘖まれていたヘイワドが、よろよろと頼りのない足取りで立ち上がった。

「そんな話は後でしてくれ。今はあの化け物を何とかするのが先決だろ?」

 ヘイワドの言葉に、ダニールは頷く。

「確かにお前さんの言う通りじゃ………。しかし、何とかするにも方法が………」

「方法?そんなもん、あいつをぶっ壊しゃあ、それで止まるんじゃないのか?」

 そう言って、神刀を抜き放つヘイワド。

「刑事さん、そいつは駄目です。今やタナトス・プログラムは死者の意識を吸って肥大化している筈です。今更ビッグ・エンジェルを破壊したところで、波及は止まりませんよ」

 ミルトンはそう言って、ヘイワドを制した。

「それに………」ダニールが言葉を継ぐ。「もしも出来ることなら、死んだブレインの代わりにビッグ・エンジェルに世界の管理システムを回復、維持してもらわねばならん」

 二人の科学者の言葉に、ヘイワドは刀を納めた。

「でも、それなら一体どうすれば良いんだ?」

「それが分かれば苦労はせんよ………」

 ダニールは溜め息混じりに応じた。

 そこへ、不意にジョナサンがスピーカーを鳴らした。

「その昔、ジャミングがしたように、ブレインの意識を通して恐慌する意識を静められないんですか?」

 ジョナサンの言葉に、ミルトンはかぶりを振る。

「可能性はある。しかし、ビッグ・エンジェルに意識をコネクトする必要がある。そして、其処は何十、何百万という意識の坩堝だ。自我を保ったまま、それを静めることが出来るかどうか………」

「でも、やらないわけには行かないだろ?俺の意識を繋いでくれ。何とか暴走を止めてみせる」

 勢い込むヘイワドであったが、ダニールは首を縦には振らなかった。

「お前さんの気持ちは分からんでもないが、人間の脳では無理じゃ。………まあ、陽電子の頭脳を持つ、儂なら何とかなるじゃろうがな」

 そう言ってダニールは立ち上がると、ビッグ・エンジェルの向かって歩き出した。

「駄目だ、ダニール。今からシステムを構築している暇がない。それが出来るのは………」

 ミルトンは言いかけて口をつぐんだ。しかし、咄嗟にダニールは、ミルトンが何を言わんとしたのかを察した。

「カノンのシナプス・トランスミッターですね………」

 ダニールの言葉に、他の一同は首を傾げた。ミルトンだけが、何も言わずに押し黙ってはいるが。

「カノンって言うと、エモーション・プログラムの事ですか?」

 ヘイワドの言葉にダニールは首を振る。

「プログラム・カノンの感覚を提供した人物、その名前じゃ」

 ダニールは憮然として応える。彼の言葉が、ミルトンを追い詰めていることを知っているからだ。

「プログラムの感覚を提供するには、シナプス・トランスミッターが必要じゃ。それを持っているのがそこの娘、カノンなんじゃ………。そして、そのシナプス・トランスミッターを使えば、ビッグ・エンジェルと意識のリンクを張ることが出来る筈………」

 ヘイワドは言葉を失った。感覚の提供者を初めて見たと言うこともあったが、ともすれば、このような少女に過酷な仕事を強いることになるからだ。

 懊悩するミルトンに、ダニールはその瞳に憐憫の色を浮かべて言った。 

「ここでカノンをリンクさせれば、その意識はもはや戻ってくることがないかも知れません。私は今までのあなたの苦渋に満ちた人生を知っている。カノンを取り戻すために、どれほど過酷な道を辿ってきたのかも。ですから、あなたがカノンを手放したくないと仰有るのであれば、その決断を無条件に受け入れます。運命があなた方に強いてきたことを考えれば、これぐらいの我が儘は許されますよ………」

 ダニールの言葉に、ミルトンは返答しなかった。いや、出来なかった。苦渋の選択を強いられるミルトンを、ダニールやヘイワド達は、一つの言葉もなく見つめた。

 そして、その静寂を破ったのは、他ならぬカノン本人であった。

「やらせて、ミルトン」

 立ち上がり、手を差し伸べるカノン。

 しかし、ミルトンはその手を取ろうとはしなかった。

「駄目だ、カノン。もし失敗すれば、君の意識は電子の海へと霧散するんだぞ?」

「失敗すれば、でしょ?」

「もう二度と、君を失うのは御免だ………」

「私もあなたと離れたくない。だから失敗はしない。………それに、今、ここで連鎖を断ち切らなければ、私達は前に進めないと思うの」

 カノンの言葉に、ミルトンは顔を上げた。

「連鎖?」

「そう、連鎖。うまく言えないんだけど、私は何度も何度も生まれて、殺された。そして今日、アルゴーの時みたいにロボットに襲われた。それで思ったの、これは繋がった一つの鎖なんだって。だから、この鎖を断ち切らなくちゃいけないんだって。………変かな?」

 首を傾げる少女に、ミルトンは思わず笑顔をこぼした。

「君はやっぱりカノンだ。…………よし、その鎖を断ち切ろう!」

 カノンの手を取り、立ち上がるミルトン。二人はビッグ・エンジェルの操作台の前に進んだ。

「よろしいのですか?」

 念を押すダニール。しかし、ミルトンは小さな微笑みで応じる。

「操作台のパネルを外してくれ。僕はカノンの情報端末を引き出す」

 そう言うとミルトンは、カノンの前に跪き、首筋から端末を引き出した。

 軽く頬に口を寄せるミルトン。

「帰って来るって、信じてる………」

「私の旦那様候補は、あなただけよ………」

 カノンの言葉に、ミルトンは未練を振り切るように作業を始めた。

 やがて、用意が整い、操作台の前に立つミルトンはカノンに視線を向けた。

「行くよ………」

 次の瞬間、カノンの意識はビッグ・エンジェルの中へと解放された。

 

「何これッ!?」

 電子の海の中、カノンは存在する筈の無い耳を塞ごうとした。

 様々な感情が、死への恐怖心が、絶望が、カノンの精神を引き裂こうとするのだ。

 自分自身が分解し、感情の海へと溶け出す感覚に、カノンは恐怖し、悲鳴を上げた。

 しかし、そこへ何者かの声が、カノンの精神に直接呼び掛けてきた。

「自分の存在を強く認識するんじゃっ!精神がバラバラになってしまうぞっ!!」

 謎の声に反応し、カノンは自分を強く念じた。次第に、自我を維持する事をカノンは覚え始める。

「今、お前さんの五感は混乱しておる。意味をなさない情報を、何とか意味が通るように無理矢理つじつまを合わせようとしているのじゃ。感覚を研ぎ澄まし、情報を処理するのじゃ…………」

 カノンは躊躇いながらも、謎の声に従った。次第に感覚が状況になれ、そうなると同時に、目の前に白衣の老人が現れた。

「あなたは?」

 少女の誰何の声に、老人は渋面を向ける。

「儂はDr・イーグル。ミルトンのいわば師匠のようなものじゃ………」

「ミルトンの?」

「ああ、そうじゃ。単なるバックアップ人格に過ぎんのじゃがな」

 そう言うと、老人は深々と溜め息をついた。

「それにしてもあの莫迦弟子め、とんでもないことをしでかしおったわい………」

「ミルトンが悪いんじゃないわ………」

「うむ、運命がそうさせたという他はないじゃろうな。ただ、お前さんの記憶がもっと早くに回復しておれば、こんな事にならなかっただろうに…………。儂が直接話をすることが出来ればよかったのじゃが」

 老人の、全てを知っているような口振りに、カノンは思わず首を傾げた。

「私の記憶が戻らなかった訳を、知ってるんですか?」

 カノンの言葉に、老人は大きく頷いた。

「うむ、それはお嬢ちゃん、お前さん自身が記憶を封じておったのじゃよ。お嬢ちゃんの前に試作品が大量に作られた。しかし、タイプ・カノンだけは記憶が不完全じゃった。試作品は処分され、それらはエインセルとなった」

「エインセル?」

「そう、エインセルじゃ。アンドロイドの亡霊と言ってもよい。陽電子頭脳にはお互いの記憶や感覚を、無意識下で交換することがある。共鳴現象と言ってもよい。そしてそれは、コピー・カノンとオリジナルの間でも起こった。ところがじゃ、精神的外傷を負っていた試作品は記憶が戻ることを拒んだ。そしてそれが処分されたとき、その精神の影がオリジナルの深層意識に焼き付いたのじゃ。後はその繰り返しで、次々にカノンの亡霊、エインセルは生まれ、記憶をより深くにまで封じていったのじゃ………」

「で、でも、どうして私の記憶は戻ったの?」

「蓄積されたエインセルのトラウマはお嬢ちゃんの記憶を封じてしまったが、それは危機的状況を本能で避ける為じゃ。しかし、それが逆に別の危機的状況を生みだした。この、ビッグ・エンジェルじゃな。そこで、エインセル達はこの危機的状況を回避する為に、お前さんの記憶を解放したんじゃ………」

「そ、それじゃあ、こんな事になったのも、私が無意識に現実から逃げていたから?」

 衝撃を受け、混乱するカノン。これが現実世界なら涙を流すことも出来るが、仮想空間ではそれも叶わない。

「しっかりするんじゃっ!!何の為にお前さんはここまで来たんじゃ?」

 叱責するDr・イーグル。少しでも気を抜けば、電子の海に飲み込まれてしまう。

「でも、私は………」

「デモもへちまもあるかっ!!お前さんが自責の念に潰されるのは勝手じゃが、それはテランを救ってからにしてくれっ!」

「わ、私はどうして良いのか………」

 Dr・イーグルはカノンの言葉に、苛立ちと共に大きな溜め息を漏らした。

「念じるんじゃ。呼び掛けるんじゃ。死の恐怖が波及するのなら、生への喜びも、同様に波及する筈じゃっ!!」

 Dr・イーグルの言葉は理解できるのだが、しかし、具体的に何をどうしてよいのかはやはり分からない。

「お前さんはミルトンの元へ帰りたいのじゃろ?それは何故じゃ?死にたくはないじゃろ?それはどうしてじゃ?何でも良い、念じるんじゃ。思いをぶつけるんじゃ。思い出をぶちまけるんじゃっ!!!」

 カノンは戸惑いながらも、何とか念じ始めた。しかし、恐怖の感情は凄まじく、カノンの呼び掛けなど、まるで届きはしない。

「………やっぱり、駄目かも」

 カノンが弱音を吐きかけた時、また、別の誰かが呼び掛けてきた。

「負けないで、私も手伝うから!!」

 それは、少女の声だった。

 カノンの脳裏に、不意に、殺された少女の姿が思い出される。

「………あなたはあの時の」

「私はグローリア。私の生は短かったけど、それでも、最後には好きな人に出会えた。小さな想い出しかないけれど、それでも、生きることが悲しい事だとは思わない。あなたにも、そんな想い出はある筈よっ!」

「………私の、想い出?」

 グローリアの言葉は、カノンの心に様々なものを去来させた。アルゴーで過ごした時の事、プログラムとしてアートマンと過ごした時の事。辛いこと、悲しい事もたくさんあった。しかし、どの想い出にも、必ずミルトンがいた。ミルトンの、優しく微笑む姿があった。

 想い出が溢れ出し、カノンの心は切なさで一杯になった。

 カノンの口から、小さな呟きが漏れる。

「…………私、ミルトンが好き」

 呟きは、やがて大きな波紋を起こす。

「私、ミルトンが好きっ!大好きぃっ!!」

 

 巨大な陽電子頭脳の前に立ち、ミルトンは青ざめた顔をしていた。カノンがビッグ・エンジェルとリンクをした後、彼女の精神をモニター出来る筈だったのだが、彼女の意識がビッグ・エンジェル内から忽然と消えたのだ。

 ミルトンとダニールは手分けしてカノンの存在を探そうと試みたが、彼女の意識は見つからなかった。

 刻々と時間だけが過ぎていき、ミルトンは絶望しかかっていた。

 そこへ、ヘイワドとジョナサン、そして羅瑠の様子に変化が起こった。

「なんだ?この奇妙な感覚は………」

 こめかみを押さえ、狼狽えるヘイワド。

「どうした?薬が切れ始めたのか?………まだ持つ筈なんじゃが」

 首を傾げるダニール。

「これは、違います。………恐怖や絶望の感覚じゃない。もっと、暖かな………」

 ジョナサンの言葉に、ダニールは首を傾げた。

「暖か………じゃと?自分で何を言っているのか、分かっているのか?お前さん。お前さんはサイボーグなんじゃぞ?暖かみなど………」

「でも、他に表現のしようがないんです。………こんな感覚は初めてだ」

 その時、羅瑠の様子にも変化が現れた。

 胸を押さえ、ぽろぽろと涙をこぼす羅瑠。

「どうしたんじゃ、羅瑠?どこか痛むのか?」

 ダニールの言葉に、羅瑠は静かに首を振る。

「違うの。嬉しくて、優しくて、楽しくて、でも悲しくて………。心の中が熱いの………」

 ダニールは混乱した。死の感覚ではない、別の感覚がビッグ・エンジェルを通して広がっているのだ。

「一体、何が起こっているんだっ!?」

 思わず口走るダニール。

 そこへ、今度はミルトンが驚きの声を上げた。

「ダニール、プログラムの影響が沈静化していくぞっ!システムを遮断する。こちらに来て手伝ってくれ!」

 ダニールは慌ててミルトンの元へと駆け寄った。見ると、確かにプログラムの暴走は鎮静化に向かっていた。そこにふと、今まで無かったカノンの反応が見つけられ、ダニールは更に慌てた。

「あのお嬢ちゃん、やりおったわいっ!!」

 ダニールの様子に、首を傾げるミルトン。

「カノンの反応が見つかりましたっ!回収してリンクを遮断します。あなたはカノンの端末を切り離して下さい!!」

 ダニールが興奮した様子で告げると、ミルトンは顔を輝かせ、カノンの端末を回収した。

 カノンの目覚めを待つミルトン。

 やがて、少女の瞼がぴくりと震え、澄んだ瞳が瞼を持ち上げる。

 心配そうに覗き込むミルトンの顔を見て、カノンはくすりと笑みを漏らす。

「目が覚めると、いつもあなたの顔があるのね………。………ただいま、ミルトン」

 ミルトンは顔を奇妙に歪めて笑顔を無理矢理作ると、やっとの事で声を絞り出した。

「おはよう、カノン」

 

 

 穏やかな日差しの中、草原を歩く二つの人影。

 ミルトンの歩く前を、カノンが風と戯れるようにして歩いている。

「ミルトンが散歩に行こうなんて、珍しいことがあるものね」

 道端に咲く小さな花に気を取られながら、カノンが口を開いた。

「最近はすぐに疲れたとか言って、始終ベッドの中じゃない。今日はどういう風の吹き回しかしら」

 カノンの問い掛けに、ミルトンは僅かに顔を曇らせるが、少女が振り向く前に、その陰鬱な表情は消えた。

 カノンは気付いてはいなかったが、ミルトンの眠りの原因は老化にあった。見た目こそ青年であるものの、その脳は劣化していた。進んだ医学によって、脳の老化は遅滞させることが出来るものの、死んだ脳細胞を再生させることは出来ず、眠りの時間が増えていく。そして、やがて穏やかな死を迎えるのだ。

 ミルトンは笑顔を浮かべると、冗談で言葉を濁した。それが、たとえ少女の不興を買うこととなっても、事実を告げる事が必要だと思わないからだ。時が来れば、いずれ嫌でも受け入れなければならない。今、その時を縮める事はない。

「カノン、今日はこっちの道を行ってみないか?」

 ミルトンは分かれ道に立ち、先に行ったカノンを呼んだ。

「そっちに何かあるの?」

 興味を引かれたカノンが問い掛ける。

「友達に会いに行くんだ」

 そう言うと、ミルトンはカノンが追いつくのを待たずに歩き始める。

「待って、待ってよ、ミルトン」

 慌てて追いすがるカノン。

 やがて、ひっそりと佇む十字架の前に二人は立っていた 。

 腰を下ろし、十字架に触れるミルトン。

「………誰のお墓なの?」

「………これは、アルフレドだよ」

 ミルトンの言葉に、カノンは小さく頷き、ミルトンの横に腰を下ろした。

 瞳を閉じるミルトン。

 二人の間に静寂が流れる。

 カノンはまるで時間が止まったかのように感じた。さらさらと柔らかな風が頬を撫で、街の喧噪は耳には届かない。

 二人は、静かな時間の中で、その身に幸福が染み渡っていくのを感じていた。

 やがて、小さな呟きを漏らすミルトン。

「………アルフレド、僕達は今まで何をしていたんだろうね」

 

 その呟きと共に、ミルトンはすうっと息を吐き出した。

 

 

 

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