第八話「こぼれ落ちる卵編」

 

 その時、ラシュミラ・サキヤは半壊した建物の屋上にいた。無言のまま天を仰ぐ稚き女王。天井には白い雲も、まぶしい太陽すらもなく、ただぼんやりと薄明の空があるばかりである。しかし、女王は瞬き一つせず、地底の空を凝視していた。彼方から来る、魔軍の到来を予期するかのように。

 

「なんだか外が騒がしいわね」

 澪は壁にもたれて仮眠をとっていたが、外の様子が慌ただしくなり目を覚ました。壁に耳を当てて、何か聞き取れないかと外を探るが、雑音のような喧噪ばかりで何も分からない。

「また敵が来たのかしら?」

 膝の上に羅瑠を抱きながら、綺沙羅は声を抑えて不安げに呟いた。傍らにはむつみが安らかな寝息を立てており、出来ればこの二人を不安にしたくない。

「だとしたらそろそろ潮時かも知れないわね。騒ぎが大きくなったらその機に乗じて此処を出ましょう……」

 澪も声をひそめ、しかし、決然としてそう告げた。

「此処を出るの?」

 澪の言葉に、綺沙羅は何とも曖昧な声を出してしまった。この場所に捕らわれていても仕方がないし、かと言ってどこに行く当てもない。この世界に連れてこられて以来、どこにも行く当てはないのだ。

「王国を気取っている此処の連中が、いつまでも敵を退けられるわけがないわ。此処を出て、また旅を続ければいい」

「でも、そんな逃げ出すようなこと……」

 綺沙羅の煮え切らない態度に、澪はあからさまに不快の色を示した。眉根を寄せ、綺沙羅を睨め付ける澪。

「逃げ出して何が悪いの?元々私達は此処に来たくて来たわけじゃない。だから此処を出るのは当たり前じゃない。それに、何度も言うようだけど、此処はいつまでも持たないわ。生き延びる為には此処を出て………」

 一瞬、澪は言葉を詰まらせた。王国を逃げ出して、そこから先、何をすべきか思い至らなかったのだ。

「此処を出て?」

 反問する綺沙羅に対して、澪は改めて言った。

「私達は此処を出て、生き延びるのよ」

 何をするにも、まずは生き延びなければならない。生き延びることが目的なのだ。

 しかし、綺沙羅は逡巡した。死にたいわけではないし、澪の言葉は理解できる。しかし、この国の連中を見捨てていくような気がして、釈然としないのだ。勿論、此処に残ったとしても綺沙羅に何が出来るわけではない。それはよく分かっているのだが。

「あなたが行かないと言っても、私はあなたを無理矢理連れて行くわ。あなたは私の肉奴隷なんだから」

 綺沙羅の迷いを見透かしたかのように、澪はそう宣言した。はっきりと言ってやらなければ、綺沙羅はいつまででも迷い続けるだろう。

 しかし、綺沙羅は首を縦には振らなかった。

「……肉奴隷なんて、もうやめてよ。私だって、自分で色々考えられるんだから」

 綺沙羅の言葉に、澪は顔をわずかに曇らせる。一瞬、いつものように茶化してやろうとも考えたが、綺沙羅の表情は深刻で、言葉が出てこない。

「……此処は出ていかないと駄目かも知れないけど、此処を出たら私、あなたとは一緒にいけないかも知れない。だって、私………物じゃないから」

 綺沙羅の言葉に、澪の顔が怒りに染まる。

 握られた拳を見て、身をすくませる綺沙羅。しかし、澪のとった行動は意外なものだった。

「………………!?」

 優しく触れた澪の唇に、綺沙羅は声を失った。それはこれまでにない優しさといたわりに満ちた口づけで、甘美な感触に綺沙羅の身体から力が抜けていく。

 やがて、澪の唇はゆっくりと、名残惜しそうに離れ、綺沙羅も澪の愛撫に名残惜しさを感じた。

「………ごめん」

 綺沙羅から離れた澪は、期せずしてそう呟いた。それは澪にとっても意外な言葉だったのだろう、信じられないと言った様子で、自らの唇を確かめる澪。

「綺沙羅がどうしたいか、それは綺沙羅が決める事だけど、私は綺沙羅に一緒に来て欲しい」

 改めて、そう言葉を吐き出す澪。綺沙羅はそれに対して、どう答えて良いのかまるで分からなかった。

 その時、突然むつみが低い声を漏らし始め、慌ててその様子を見た。むつみは脂汗を滲ませてうなされているようだったが、突然に目を開け、怯えるように澪の腕にしがみついた。

「何?恐い夢でも見たの?」

 物言えぬ少女の頭を撫でながら、優しくなだめてやる澪。

「あれっ?あれ、何だろ??」

 いつの間にか起き出した羅瑠が窓の外を指差し、首を傾げる。

「なに?羅瑠。どうしたの?」

 綺沙羅は羅瑠の後ろから窓の外を見た。すると、空に無数の黒い点が広がっており、次第に大きくなり、数を増やしていた。

「鳥の群??」

 綺沙羅は首を傾げたが、この世界に来てから動物の類は見たことがない。

「連中、ついに動いたんだ。さっきからの騒ぎはやっぱりあれのせいだったんだ……」

 澪は綺沙羅と羅瑠の後ろから窓の外を見て、低く呟いた。

「あれが全部敵!?」

 空を埋め尽くす悪魔の群に、綺沙羅は圧倒され、驚きの声を上げた。

「連中、この間あれだけの打撃を受けて、それでも攻めてくると言うことは、何か勝算があってのこと。このまま此処にいたんじゃ、本当に命を落としかねないわ。あなたが何をぐずぐず言おうと、今すぐ此処を出るわよ!」

 有無を言せない調子で澪は扉を蹴破ると、綺沙羅の腕を引いて外に飛び出した。綺沙羅は慌てて羅瑠の腕を引き、むつみもそれに続く。

 見張りが澪達を見咎めるが、澪は咄嗟に蹴りを見舞った。蹴撃は見事に鳩尾に命中し、見張りは腹を抱えてうずくまる。

 その脇を綺沙羅達は走り抜け、建物の出口に向かった。幸い、敵襲に気を取られ、誰も綺沙羅達に気を向けず、綺沙羅達は難なく建物の外に出ることが出来た。

 表に出ると、建物が倒壊して出来た広場に龍鱗の戦士達が立ち並び、空を埋め尽くす悪魔達と対峙していた。

「あれが化け物共の切り札というわけね……」

 醜悪な機械魔達の中心に前回健闘を見せた美しい天使がいて、その傍らに、戦車に乗った黒い悪魔がいた。そして、その背後には凶暴な牙を剥く三首の獣。

 その三首の獣を見た瞬間、澪の顔が強張った。

「………あ、あれは!?」

 小さく呟き、立ちつくす澪。

「どうかしたの?」

 澪の様子に、首を傾げる綺沙羅。しかし、澪は何も答えなかった。

 無言のまま、広場とは反対方向へ走り出す澪。綺沙羅達は疑問に感じながらも、慌てて澪の後を追った。

 

 広場の上空では、ベリアルが歪んだ笑いを見せていた。眼下には女達が敵意を剥き出しにして自分を睨み付けている。それがたまらなくおかしかった。

「何をか言わんや。これほど楽しいことが他にあるかい?」

 ベリアルの問いかけに、傍らにいたウジアルが頷き返す。

「これまでの屈辱、倍にして返してやります」

 ウジアルは復讐に燃える目を眼下に向けるが、それは地上の女達と同じ目である。ベリアルは苦笑を漏らすと、首を振った。

「そこが君の可愛いところかも知れないね」

「………はあ?」

 ウジアルは首を傾げるが、ベリアルは呵々大笑し、それ以上は何も言わなかった。

 からかわれたかのように感じたウジアルは、憮然として視線を地上に向ける。しかし、そこに立ち並び、敵意に満ちた目でこちらを睨む戦士達を見ていると前回の手痛い敗北を思い出し、次第に苛立ちがつのってくる。横目でベリアルを盗み見るが、ベリアルはにやにやと薄ら笑いを浮かべて、一向に動く気配を見せない。焦れたウジアルは堪りかねて口を開いた。

「まだ動かないのですか?」

 ウジアルの問い掛けに、ベリアルは地上に向けていた視線を天使に戻して、小さく笑う。

「我が女王の命とあらば」

 ベリアルは慇懃にそう答えると手にした炎の剣を掲げ、号令を出した。

「舞踏会の始まりだっ!!踊れぇええっ!!踊れぇええええっ!!!」

 ベリアルの号令に、ウジアルとは違う意味で焦れていた機械魔達は咆哮をあげ、殺到した。

「この憂鬱な町を血の色で赤く染めてやれっ!女共の悲鳴で愉しく唄えっ!!踊り子は星の数ほどいるぞぉおおっ!!」

 嬉々として馬車を駆り、乱戦の中に飛び込むベリアル。その後をウジアルは慌てて追った。

「待って下さいっ!!あなたが軍団に指示を出さなくては……」

 

「ちぃっ!!なんて無茶苦茶な!!」

 乱戦の中、ターヤは呆れたように叫んだ。敵が戦術もなく襲いかかってくるのは仕方がないとして、味方も狼狽えて戦況が混乱してしまったのはいただけない。

「それにしても、ラシュミラ様は何をお考えになっているのか……」

 機械魔の一匹を捕まえ、その身体を引きちぎるターヤ。味方が動揺しているのは、ラシュミラが建物の屋上に立ったまま、動こうとしないからである。ラシュミラの精神がもとより普通ではないにせよ、こんなことは初めてだ。

「ターヤッ!敵の大将らしき奴を見つけたっ!これから奴に仕掛ける!!」

 背後から声が掛かり、振り返ると、そこには暗緑色の戦士グレースがいた。

「一人では駄目だっ!命令の通じる者を数名集めよっ!私も出るっ!!」

「なら、テリーとマーサを。他に何名か連れていこう」

 ターヤはグレースの言葉に頷くと、仲間を捜して乱戦の中に突入していった。

 

「あれが………」

 程なくしてターヤは敵将の姿を見る事になる。戦車の上で炎の剣を振るい、仲間達を次々と薙いでいく。その姿は凄惨で、酷薄な笑みを浮かべた美しい顔は血にまみれ、赤く染まっていた。血煙を上げ、嬉々として敵の血を貪る黒い悪魔。

「くそっ!!」

 怒りに駆られ、飛びだそうとするグレース。

「待てっ!!まだ突っ込むなっ!!」

 グレースを制止するターヤ。しかし、ベリアルは猛然と剣を振るい、見ている間に仲間はやられていく。

「私が奴の動きを封じる。その間にお前達は奴をやれ」

「一人で?そんな無茶なっ!?何とか此処にいる全員で襲いかかれば……」

「駄目だ」

 有無を言わせぬ調子でグレースの進言を切り捨てるターヤ。相手の技量を見る限り、生半可な事で首は取れない。

「私の力を見くびるな」

 そう言うと、ターヤの身体からは燐光が発し、次第に変化を始める。筋肉が隆起し、巨大化するターヤの身体。額からは鋭利な角が生え、独角の巨大な戦士となる。

 事態に気付いたベリアルはその威容を見て、目を細めた。

「ほお?ここまで覚醒した者がいたとはな………」

 視線を交わすターヤとベリアル。

 敵も味方も無意識のうちに場所を空け、二者の為の戦場を確保する。

「私はこの国の者達を守らねばならぬ」

 低く呟くターヤ。しかし、悪鬼は嘲笑った。

「ははっ!御大層なことだな。守る為に仲間を戦場に駆り立てるのか?はは、ははっはっ!!」

「黙れぇっ!貴様に何が分かるっ!!」

 ベリアルに殴りかかるターヤ。ベリアルはそれを炎の剣で切り落とそうとするが、硬い外皮に阻まれて剣が止まってしまう。

「むぅっ?」

 剣を引き抜こうとするベリアル。しかし、筋肉が刃を挟み込み、それを許さない。

「どうやら、神が私に味方してくれたようだな」

 ベリアルから剣を奪い取り、グレースに放り投げるターヤ。

「ターヤッ!この剣を受け取れっ!!」

 しかし、剣を奪われたとは言え、ベリアルは怯むことはなかった。

「神?神??神だとぉ??こいつは傑作だぁっ!!お前達はその神に滅ぼされようとしているのだぞ?この世界に、悪魔も人も、そして天使さえも孤独な存在なのだっ!!」

「だ、黙れぇええっ!!」

 嘲笑うベリアルに、ターヤは固めた拳で一撃を見舞った。そして、六本の腕を抱え込むように抱きつき、身体の自由を奪う。

「外道照身霊波光線っ!!」

 ターヤの額が割れ、そこから現れた第三の目が霊光を放射する。そして、霊光によって魔神コアが透過され、ターヤは叫んだ。

「グレースッ!!私ごと剣でコアを破壊しろぉおっ!!」

 コアが破壊されれば如何に強力な悪魔であったとしても、現世に肉体を維持できなくなる。

 しかし、グレースは逡巡した。そして、グレースが躊躇っている間にも、ベリアルは六本の腕でターヤの腕を押し広げようとする。

「ふむ、そんなにきつく抱きしめるものではないよ。私は他にも御婦人方のお相手をしなければならないのだから」

 ベリアルはうそぶき、次第にターヤの腕を拡げていく。

 堪りかねてグレースを叱咤するターヤ。

「は、早くしろぉおおっ!!」

「し、しかし………」

 尚も逡巡するグレース。そこへ、白い影が飛来し、グレースに一撃を見舞った。

 ベリアルを見失い、戦場を彷徨っていたウジアルであった。

 ウジアルの登場に、ベリアルは顔を愉悦に歪めた。

「どうやら、神が味方しているのは私のようだな?ぷ、は、はははは、こんな冗談が言えるとは、復活してみるものだな」

 ついにベリアルはグレースの腕をふりほどき、その頭部に六本の手をかけた。

「ターヤッ!!」

 悲鳴をあげ、両者に割り込もうとするグレースであったが、ウジアルが立ちはだかり、それを許さない。

 めきめきと鱗がはじけ、筋肉繊維が引きちぎられていく。

「何かを為さねば道は開かれぬ。私は、道を開くために行動したと信じ、それを誇りに思うっ!!」

 ターヤがそう叫んだ次の瞬間、首はねじ切られ、吹き出す血煙がグレース達の視界を塞いだ。

「ターヤァアアアアアアッ!!!」

 叫ぶグレース。しかし、グレースの叫びも次の瞬間に途絶えた。

 鋭い杖がグレースの背中から顔を覗かせる。ウジアルが杖でグレースの身体を貫いたのだ。

「ターヤ、わ、私達は一体……」

 視界が闇に覆われる瞬間、グレースはそう呻きをあげた。力を失い、落下するターヤとグレース。

 その様を見ながらベリアルは勝利に顔を歪め、二人を嘲笑う。

「この宇宙に、有益なことなど何もあるものか」

 

 ターヤとグレースが非業の死を遂げた頃、綺沙羅達は戦場から離れようと急いでいた。しかし、戦闘が開始されると機械魔達は自分勝手に少女達を襲い始め、戦場は混乱し、拡大していった。

 空を埋め尽くす悪魔達は綺沙羅達をも目敏く見つけ、襲いかかってくる。

「こんなんじゃあ、戦場から離れるのも一苦労ね……」

 龍鱗を身に纏い、機械魔の一匹を粉砕する澪。しかし、周囲にはまだ無数の機械魔が取り囲んでいて、澪が疲れるのを待ってじりじりと間合いを狭める。

『オ、オ、オオンナァアッ!!』

 綺沙羅やむつみ達の放つ少女の性臭に我慢できず、まるで人面豚とでも言うべき醜悪な機械魔が陰茎から涎を垂らして飛びかかってきた。そして、それを合図に他の機械魔達も我先にと襲いかかる。

「私はぁあああっ!ちんちんぶら下げた生き物が大ッ嫌いなのよぉおおっ!!」

 人面豚を横殴りして、他の機械魔達も振り払う澪。凶暴な力で壁に打ちつけられ、まるでトマトの様にはじける機械魔達。

 しかし、別の機械魔達がすぐにまた現れ、再び周囲を取り囲む。

「ちぃ、これじゃあ、キリがないわね……」

 じりじりと進みながら、疲労の色を滲ませる澪。先程から同じ事が幾度となく続いている。

『オン……ナア…』

『チチチ、チチ……』

『………ア、オオ、オンナァ』

 好色な目を向け、機械魔達が不快な声を漏らす。その視線から逃れるように、綺沙羅達は身を寄せるが、その仕草が余計に機械魔達の肉棒を刺激する。

『……ガ、ガガ、…オンナァ……ヤラセロォ……』

 一匹の機械魔が輪を抜けてじりじりと間合いを狭め、次の攻撃に備えて、澪は調子を整えて身構えた。

 しかし次の瞬間、辺りが暗くなり、巨大な獣が飛来した。襲いかかろうとしていた機械魔は、まるで羽虫のように潰される。

『グゥウオオオオオオォォォオッ!!!』

 巨大な獣、三つの首を持つそれは咆哮をあげ、周囲の機械魔を蹴散らし、食いちぎる。

 そして、見境のない攻撃は澪にまで加わり、三頭獣の丸太のような前肢は呆気にとられている澪を薙ぎ払う。

「澪ッ!!」

 壁に激突した澪に、綺沙羅達は慌てて駆け寄った。

「痛っ……」

 呻き声を上げ、立ち上がる澪。

「ふう……ん。どうやら、かなりやっかいな相手だわ…」

 黒い獣を見据えながら、澪はそう呟いた。

「たまたま私の前に現れたのか、それとも本能で私を見つけだしたのか。どちらにせよ、これはどうにかしなくちゃならない事態だものね、お互い……」

 綺沙羅達など眼中にない様子で、三首の怪物に話しかける澪。怪物は低く身構え、警戒して唸り声を漏らす。

 まるで怪物と旧知の仲であると、そう言わんばかりの澪の言葉に、綺沙羅は首を傾げた。

「ねえ、綺沙羅……」

 澪は怪物に向かい合い、相手を牽制しながら、背中越しに綺沙羅に語り掛けた。

「私ね、男に興味がないの……」

「え?な、何、突然………」

「私ね、この世界に来るまで、友達もいなくて、たった独り、独りぼっちだった………」

 綺沙羅は澪が何故突然こんな事を言い出すのか分からなかった。しかし、当惑し、返事が出来ないでいる綺沙羅に、澪は更に言葉を続ける。

「私が初めて好きになったのは、女の人だったの。それは同性としての憧れとかじゃなくて、恋愛の対象として好きになったの。こんなの変だよね。おかしいよね。気持ち悪いよね……」

 後ろ向きで、鎧に包まれているので表情は分からないが、澪の声は自分の事をさらけ出したことで震えていた。嘲笑が返ることを怖れ、恥ずかしさに耐えていた。

「私がこんな話をすると、友達はみんな気味悪がった。私にはそんな趣味ないわよ、って。別にそんなつもりじゃなくても、みんな私を避け始めるの……。だから…」

 段々とかすれ、消えかかる澪の声。普段の勝ち気な性格からはとても想像の出来ない、弱々しさがそこにあった。

 綺沙羅は無言で澪の背中を見つめた。言葉は無く、澪の嗚咽が僅かにこぼれる。

「だから、何?そんなの、全然、澪らしくないっ!そんな趣味ないって、あんたなんかこっちから願い下げだよ、莫迦野郎って、言ってやればいいのよっ!人を好きになるのに、男も女もないじゃないっ!!」

 綺沙羅は怒声をあげた。弱い澪なんて見たくない。澪には、いつものように勝ち気で、強く笑っていて欲しかった。

「だったら、綺沙羅はどう?私が綺沙羅のこと好きだって言っても、受け入れられるの?結婚したいって言って、受け入れられるの?」

 しかし、澪の突然の告白に、綺沙羅は躊躇わずに答えた。小さな声ではあったが、はっきりと、澪の耳に届くように。

「しようよ、結婚。澪がそうしたいって言うなら。だって、私だって澪のことが好きだもの」

 震えていた澪の拳が、ぐっと強く握り締められる。

「はっ、そう言う風に言ってくれたの、綺沙羅が初めてだ。だったら、元の世界に戻れたら、その時は私達は夫婦だっ!」

「……うん」

「よし、それじゃあ、この犬っころはとっとと始末するから、綺沙羅達は此処からすぐに離れて。私も、すぐに後を追うから……」

 澪の言葉に、綺沙羅は逡巡した。

「あなた達が此処にいたんじゃ、足手まといになるのよっ!それに、その子達を危険に晒したくない……。だから、早く行って……」

「……で、でも」

「早く行きなさいっ!!……結婚の約束したじゃない。私も後から追いつくから」

 澪の言葉に、綺沙羅は小さく頷くと、むつみと羅瑠の手を引いて走り出そうとした。しかし、羅瑠は動こうとしなかった。

「駄目だよっ!家族は一緒にいなきゃ。僕はお父さん、お母さんと一緒じゃなきゃ、嫌だよ……」

 澪は、振り返り、羅瑠を抱きしめてやりたくなる衝動を抑えた。そして、一喝する。

「私の言うことが聞けないのっ!!!」

「……だって、だって」

 ぽろぽろと涙をこぼす羅瑠。綺沙羅も、むつみも、そして澪も鎧の下で泣いた。

「綺沙羅、早くっ!!」

 澪は再び叱咤し、綺沙羅は弾かれるように走り出した。羅瑠も、むつみも不安の色を隠せなかったが、綺沙羅は走りながら、自分にも言い聞かせるように呟いた。

「大丈夫、澪は必ず追いついてくる。だって、私達、結婚の約束をしたんだから」

 

「さて、私達の話を最期まで見届けてくれてありがとう、お姉ちゃん……」

 獣の背中で、精気のない瞳を向ける少女。その少女に向かって、澪はそう話しかけた。

「……もう、元には戻れないの?」

 次の瞬間、獣の太い前肢が澪を横凪に払った。枯れ木のように吹き飛ばされる澪。

『ガァアアアアアアッ!!!』

 咆哮する獣。それが三頭獣の返事であった。

 身体中の骨が砕け、激痛に呻き声を漏らす澪。半身をやっとの事で起こし、四つん這いになって地面を見つめる。

「…………畜生、………畜生っ!畜生っ!!誰がお姉ちゃんをそんな風にしたのっ!ちくしょぉおおおっ!!!」

 拳を振りかざし、獣に殴りかかる澪。一発、二発、正面の凶悪な顎に打ち込む。

 しかし、体格差はいかんともしがたく、澪は獣の頭突きに跳ね上げられ、宙を舞い、強かに地面に打ちつけられる。

 そこへ、癇癪を起こしたかのように殺到し、澪の身体を踏みつけにする怪物。

「………ガハッ!?」

 肺が破れ、血玉が喉に溢れ返る。

 それでも澪は幽鬼のように立ち上がり、再び獣に殴りかかった。戦法も何もなく、ただがむしゃらに殴りかかる澪。

「ねえ、お姉ちゃん、覚えてる?私がお姉ちゃんに好きだって打ち明けたときのこと……」

 澪は怪物の首にしがみつくと、背の上の少女に話しかけた。

「人を好きになるのに、男も女もないって。あの子、お姉ちゃんと同じ事言った。お姉ちゃんと同じで、私のこと笑わなかった。私の言葉を真剣に受け止めてくれた……」

 焦れた怪物は澪を振り払うと、今度はその身体に牙を立てた。

「ぐぁあああっ!?」

 めきめきと牙がめり込み、悲痛な叫びをあげる澪。

「んぅ、……は、……お、お姉ちゃん、私に言ったよね。私に一番好きな人が出来るまで、私の恋人でいてくれるって……」

 どこにそんな力が残っているのか、渾身の力を込めて怪物の顎を開き、上下に引き裂く澪。

『グワゥアアアアアアッ!?』

 頭の一つを潰され、怪物は苦悶の声を上げた。

 ゆらゆらと力無く立つ澪の、その額が割れ、第三の目が現れる。

「外道照身霊波光線……」

 霊光を浴び、怪物の魔神コアが浮き上がる。それは怪物の背上にある少女の胸の中心、澪の姉の体内にあった。

 しかし、澪は臆することなく怪物の背の上に飛ぶと、姉の身体に拳を打ち込んだ。

「……出来たよ、一番好きな人」

 魔神コアを掴みだす澪。澪は引きずり出したコアを握り潰した。

『グアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』

 野獣の悲鳴が谺する。

 力を失い、落下する澪。その身体を、死にもの狂いの牙が襲いかかり、そして、二つに食いちぎった。

 次の瞬間、獣の身体は光の結晶となり、姿は消え、澪の身体も変身が解かれる。

 折り重なるように地面に転がる姉妹の身体。

 

 その時、綺沙羅の足が止まった。

 理由は不明であった。身体が漠然とした何かを感じ、自然に足が止まったのだ。

「(な、なに?……この感じは!?)」

 ぞわぞわと胸元を這い上がる不快感。そして、不安。

「ねえ、どうしたの?」

 立ち止まった綺沙羅の顔を、羅瑠が不安げに覗き込む。そして、むつみも同様、不安な表情で綺沙羅の腕をきゅっと掴んだ。

「(そうだ、立ち止まっちゃいけないんだ。……この子達を、早く此処から離れさせなきゃ……)」

 戦場から離れたとは言え、まだ戦いの喧噪は耳に届いてくる。戦線を離れた化け物達がここまで流れ来ないとも限らない。

「な、なんでも……ない」

 震える声で、そう答える綺沙羅。しかし、羅瑠は目を丸くして告げた。

「………綺沙羅、何で泣いてるの??」

「……え?私が??」

 そう言って、頬に手をやると、指先は確かに熱い液体に触れた。

「やだ、なんでだろ?……や、ああ……」

 自分が涙をこぼしている事を自覚した途端、急に胸が締め付けられ、切なさに身体が震え出す。硬い鉛の塊が、喉や肺を圧迫しているかのように感じられ、こめかみがずきずきと痛む。

「………ねえ、綺沙羅?」

「う……あ、なんで、こんな………」

 次の瞬間、綺沙羅は愛する人の死を悟った。

 理由はない。

 ただ、そう感じたのだ。

「あ、あああぁぁあっ!うああああああああああああああっっっ!!!!」

 綺沙羅は膝をつき、泣き崩れた。

 

「………そろそろ頃合いのようね」

 戦況を見つめていた一人の天使が、そう呟いた。足下には小さなオベリスクがあり、それが小さな振動を発している。

「グミアル、他のオベリスクも全て設置したわ」

 飛来した仲間に、グミアルは頷き返す。

「それにしても、………こんなとんでもないことをよくも」

 もう一人の天使、テチアルが視線をオベリスクに向けて肩を振るわせる。

「私達は為すべき事を為すまで。それに、此処の実験体はもう役に立たないわ……」

 冷然と言い放つ仲間に、テチアルはかぶりを振った。

「でも、戦場には私達の仲間もいるのよ?」

「為すべき事を為す……」再び繰り返すグミアル。「出来損ないの機械魔や、あのおぞましいベリアルがどうなったって……」

 しかし、テチアルは仲間の言葉を乱暴に遮った。

「ウジアルはどうなの?あの子まで死んでもいいの?」

 テチアルの言葉に、グミアルは言葉を詰まらせた。テチアルの咎めるような視線に、目を逸らすグミアル。

 その時、足下のオベリスクが光り始め、振動が更に激しくなっていく。

「ウジアルはベリアルに魂を売り渡した。それに、もう、装置は動き始めている。今更どうしようもないわ……」

「ウジアルをベリアルに下げ渡したのはサンダルフォン様だわ……」

 テチアルは釈然としない様子であったが、足下の装置はかまわずに光を増し、赤い光を放射する。

「もう、どうしようもない……」

 呟くグミアル。

 光線は戦場を囲むようにオベリスクを繋ぎ、それぞれが更に別方向に光の軌跡を生み出すと、それは巨大な光の魔法陣となった。

 やがて、光の魔法陣から黒い霧が発生し始めると、小さな耳鳴りが聞こえ始める。

 それは何かの呪文のようであり、また、赤ん坊の泣き声のようでもあった。それが、次第にはっきりと、何者かの声となり、テチアルとグミアルの、戦場にいる誰もの耳に語り始める。

『ワ…シ……ナレ……。私トヒトツニナレ……。私トヒトツニナレ……。……私ト』

 おぞましい呪詛の言葉に、耳を塞ぎ、戦場を離れる天使達。

「な、何なの、これ??こんな広大な魔法陣で、呼び出す悪魔って、一体!?」

 しかし、呪詛の言葉は続き、天使達の耳に何度も囁きかける。

『………リテ……キヨ。……トナリ、テ……キヨ。私ト……』

 今や、言葉は誰に耳にもはっきりと聞こえ、そして、それはこう告げていた。

 

『私トヒトツトナリテ、我ノ中デ生キヨ。我ト共ニ生キヨッ!!』

 

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