6月18日、夕刻。
「変デスねぇ……また今日もデス」
商店街の一角で1人の少女が愛用のルーペを片手に首を傾げながら呟いていた。四葉はいつものように兄チャマをチェキしようと尾行していたのだが、商店街の角を曲がったところで兄の姿を見失ってしまった。こんなことが今月に入ってから10回近くにもなる。
「これは事件の匂いがするデス!」
いつも兄が姿を消すのはこの場所。今日はこの近くにある店を片っ端から探し回ったのだが、どれだけ探しても兄の姿をみつけることはできなかった。
ピーン!
そのとき、四葉の頭に名案が閃いた。
「そうデス! 初めからここで兄チャマを待っていれば、兄チャマがどこに消えるのかわかるデス!」
なんで今までこんな簡単なことに気づかなかったのか。“尾行”は探偵の基本という認識に名探偵の四葉も捕らわれてしまっていたのかもしれなかった。
「明日こそは絶対に兄チャマをチェキしてみせるデス!」
誰にともなく宣言する四葉の声が夕焼けに染まる商店街に響いた。
6月19日、夜。
「おかしいデス……兄チャマ、いつまでたっても来ないデス……」
放課後になると同時に飛び出して、いつも兄を見失ってしまう角のところに隠れて兄が来るのを待ち続けていたのだが……肝心の兄の姿はどれだけ待っても出て来なかった。
待ち続けても一向に現れない兄に、次第に四葉の頭の中で悪い想像が浮かび始めた。
商店街に向かう途中、交通事故に遭っている兄チャマ。
同じく、途中で謎の男たちに拉致されてどこかにさらわれてしまう兄チャマ。
などなど……
「た、大変デス! あ、兄チャマ〜〜!」
自分の想像に、四葉は慌てて兄の姿を探して商店街を飛び出していった。
…………………………
が、しかし。
「アレ? 電気が点いてるデス……」
兄の部屋の電気は浩々と灯り、中には人の気配もあった。
なんのことはない。単に今日は兄は商店街には行かなかった。ただそれだけのことにすぎなかった。
「…………っ!」
ぶるっ
ほっとしたのも束の間、四葉は別種の緊張に襲われた。今度はさっきのような想像ではなく、現実にすぐ間近に迫る危機。それを感じた四葉の脚が小刻みに震える。
うかつだった。
考えてみれば、放課後すぐに商店街で張り込みを始めて、その後兄の姿を探し回り、もう合計5時間以上が経過している。もう日中はかなり暑くなるのでペットボトル2本のドリンクを用意して張り込みに臨んだのだが、今日は雲が太陽を覆い隠し、それほど暑くはならず、日が没してからは風も出てきて涼しいほどだった。
間近に迫る危機。それは……尿意。
兄に何事もないことを知ってほっとしたと同時、それまで意識していなかった尿意に目覚めたのだった。これまでは他のことに気を取られて気づいていなかっただけで、一度意識するとその限界はもうすぐ近くにまで迫っていた。
「うぅぅ……」
四葉は瞬間、迷った。目の前には兄の家がある。ここで呼び鈴を鳴らし、兄に一言頼みさえすれば、優しい兄は間違いなくトイレを貸してくれるだろう。だが、優しい兄だからこそ、四葉はそうすることはできなかった。全てをチェキしようとさえ思っている大好きな兄に対して、呼び鈴を鳴らしてトイレを貸してくれるよう頼むということは年頃の少女には恥ずかしすぎる行為だった。
「だ、大丈夫デス……家までは無理でも、近くの公園までなら……」
四葉は自らに言い聞かせるようにそう呟くと、暗くなった道を公園に向かって歩き始めた。幸い、もうこの辺りにはほとんど人も歩いていない。人目を気にする心配もなく(どちらにしてもそんな余裕はなかったが)、下腹部を手で押さえるような格好で急ぐ。膝を擦り合わせたまま、あまり下腹部に衝撃を与えることもできないため、急ぐとはいっても1歩は小さく、またそれほど速く足を動かすこともできなかった。
「あ、あとちょっとデス」
結局は普段の半分くらいの速さでしか進むことはできなかったが、ようやく向こうに公園のトイレの灯りが見える。
ちょろっ……
トイレが見えたことによる気の緩みで、一瞬こらえていた膀胱も緩みそうになる。少量が下着の中に沁み出し、慌てて四葉は気を締め直してそれ以上の流出を防いだ。
「あ、危なかったデス……」
四葉の額には、極度の緊張で汗が浮いていた。トイレが見えるところまで来て今さら漏らすわけにはいかない。四葉は歯を食いしばり、じりじりとまた進み始める。今ので下腹部はさらに緊張を強め、歩幅はさらに小さくなってしまった。
「はぁっ……はぁっ……」
四葉の口から荒い息が漏れる。公園の入り口も過ぎ、トイレまであとほんの数メートル。だがそのわずかな距離も限界の限界まで来た今の四葉には遠くに感じられた。意識のほとんどを尿意を抑えることに集中させ、視線はトイレの入り口だけを見据えていた。
こっ…
そのため、足元にあった小石に気づかず、四葉はつまづいてバランスを崩した。
「あっ」
意識が尿意を抑えることにばかり集中していたため、咄嗟に姿勢を立て直すことはできなかった。
その結果、
バタッ!
転倒してしまい、その衝撃で、
シャ――ッ
必死に堪え続けてきたおしっこが尿道口から溢れ出してしまった。勢いよく流れ出す液体は、あっという間に股布だけでは吸いきれなくなり、下着全体を濡らし、さらにスカートまでをびしょびしょにして水溜りを道の上に作り出した。
「あ、あ、あぁ…………」
もはやどうすることもできず、四葉は全てが流れきってしまうまで呆然とそこに倒れ込んでいた。
6月20日、夕刻。
もう張り込みはこりごりだった。
昨夜はあの後、濡れた下半身のまま人目につかないよう裏道を使って自分の家まで急いで逃げ帰った。この歳になってお漏らししたことなど親を含めて誰にも知られるわけにはいかず、こっそり戻るとスカートと下着を水洗いしてから洗濯機に入れておいた。
そして、今日は“尾行”“張り込み”に続く第三の作戦“聞き込み”を実行中だった。
商店街の近くの店には一昨日までの尾行で見失った際に聞き込みを終わっている。今日、四葉が情報を集めようとしたのは他の11人の妹たちだった。
「千影ちゃん。千影ちゃんは知らないデスか?」
千影の家の玄関で、出てきた千影に対して四葉は尋ねていた。
「…………四葉くん……いきなり何だい……?」
突然訪ねて来たかと思えばいきなりの質問に、さすがの千影も何を訊かれているのか見当もつかず、困った顔を見せた。その表情で、四葉はようやく自分の失敗に気づく。他の妹たちにはもう会ったのだが、誰も四葉の望む答えは返してくれなかった。千影で最後という焦りと、もう何回も同じ質問を繰り返した思い込みから、つい説明もなしにいきなり質問をぶつけてしまったのだ。それに気づいた四葉は改めて説明からやり直した。
「……と、いうわけデス。千影ちゃん、何か知らないデスか?」
「……いや…………私は何も…………」
しかし、千影も小さく首を横に振るだけだった。
「そうデスか……」
四葉は肩を落として千影の家から帰っていった。その背を見送る千影は、しかし四葉の方を見ているのではなく、宙に視線を向けて何かを考えているようだった。
その夜。千影の部屋にて。
「…………なるほど…………ふふっ……そういうことか…………」
蝋燭の灯りのみの薄暗い部屋の中で千影は納得していた。
「……でも……これは…………四葉くんには…………教えられないな。ふふっ……兄くんらしいよ…………」
炎の揺らめきを映す水晶を眺めながら、千影は微かな笑みを零した。
6月21日、放課後。
結局、聞き込みも成果を上げることはできず、今日からやはり尾行を再開する予定だった。
だが、
「四葉、今日ちょっといいかな?」
校門を出てすぐのところで早速、兄に呼びかけられてしまった。
「あ、兄チャマ……四葉がいたの気づいてたデスか?」
「まあね……」
「さすがは兄チャマ! すごいデス!」
驚きながらも感心して四葉は兄の前に出る。兄は褒められたせいか少し照れているような様子だった。
「それで、さ。……もし用がなかったらこれから僕の家に来ない?」
「もちろん行くデス!」
兄からの誘いに、四葉は即答した。
(これは、兄チャマのお部屋をチェキするチャンスデス! それに、商店街で消える理由もチェキできるかも……)
「よかった。それじゃ、一緒に帰ろうか」
兄の方も四葉の答えに安心したようにそう言うと、四葉と並んでゆっくり歩き出した。
ガチャッ
「さ、入って」
ポケットの鍵で玄関のドアを開けて招き入れる。
「リビングのドアを開けてごらん」
そのドアの前まで来て、兄はあえて四葉にそう告げる。その顔には笑みが漏れていた。
「? どうしたデスか?」
その表情に何か妙なものを感じたが、四葉は深くは気にせず、ドアに手を掛けた。
ガラッ
パンッ、パパンッ!
四葉がドアを開けると同時、中から破裂音と共に紙吹雪が舞った。
「「「四葉ちゃん、お誕生日おめでとう!」」」
「チェキッ……!?」
さっき尾行がばれたときよりも四葉は驚いた。
クラッカーを手にした他の妹たちが笑顔でテーブルを囲んでこちらを向いている。中央のテーブルの上には大きなケーキ。そこには『HAPPYBIRTHDAY YOTUBA』の文字がクリームで書かれていた。
「……あっ……!」
兄チャマをチェキすることに夢中になるあまり、忘れてしまっていた。6月21日は四葉自身の誕生日だった。
「さあ、主役が到着したことだし、パーティを始めようか」
にこにこしながら兄はそう言うと、予想外の展開にまだ戸惑う四葉の背を押してリビングの中に入っていった。
花穂、咲耶、雛子、鈴凛……それに、千影の姿もあった。
「ホントは全員呼ぶつもりだったんだけど、習い事やなんかでどうしても来れない妹もいてさ。僕の連絡が急になっちゃったのが悪いんだけど」
弁解するように兄が言うが、結果的にはこれで正解だったのだろう。亞里亞の大きな家ならともかく、兄の家では13人もの人数がパーティするには無理があった。
「お兄様ったら、四葉ちゃんにバレないように、1人で計画してたらしいわよ。私たちも昨夜に初めてメールで知らされたの。だから、昨日はホントに知らなかったのよ」
妹たちを代表して、咲耶がそう言った。ちょうどそこに、
「これで食べ物の方も準備完了ですのっ」
キッチンからそう言って白雪が大皿を抱えてやって来た。皿の上には白雪の手製らしい何種類ものお菓子が山のように載せられている。
「ジュースもたっぷり用意してあるよ」
その後ろから、衛が両手に1.5リットルのペットボトルを3つ抱えて続いた。
全部で9人となると少し狭いようにも思われたが、実際にはそんなことはまるで気にすることなく、 四葉のための誕生日パーティは始められた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。
パーティが終わり、片づけを手伝ってくれた妹たちも帰った。ほっとしようとしたとき、兄は意外な妹がまだ帰らずに残っていたことに気がついた。
「四葉? まだ帰ってなかったのか?」
少量の驚きが混ざった声で兄は尋ねた。それはそうだ。本来なら今日の主役として片付けの必要もなく一番最初に帰っていていいはずだった。
「あ、兄チャマ……」
みんなにもらったプレゼントを抱えたまま、四葉は赤い顔でもじもじして言葉に少し詰まった。
「……四葉のために……きょ、今日はとっても嬉しかったデス……」
「ああ……そ、そんなにたいしたことでもないよ」
四葉の様子に兄の方も照れてきてしまい、慌てて否定する。
「今月はちょっとキビシクてね。友達のつてで商店街で短期のバイトしたんだけど、それが思ったよりの金額になったんで、さ。ちょうどたまたま四葉の誕生日があったから……」
「……た、たまたまデスか……」
だが、四葉は兄の言葉にあからさまにがっかりしてしまった。
そんな四葉の様子を見ていると、兄はやはり本当のことを言わずにはいられなくなってしまった。
「ゴメン、ウソ。ホントは……四葉は特別だから……」
そう言って四葉の前まで歩み寄ると、四葉の唇に自分の唇を重ね合わせた。
「……!?」
唇に触れた感触に、四葉は何か言おうとして何も言えなくなるほど驚いた。
「他の妹たちがいる前だと渡せなかったんだけど、これが僕からのもう1つの誕生日プレゼント……のつもり」
すぐに離れた唇からそんな言葉を紡いだあには、さすがに恥ずかしそうだった。だが、四葉はそんなどころではない。頭の中が真っ白になってしまい、
「か、帰るデス!」
と、真っ赤な顔で兄の家を飛び出していってしまった。
その夜。
「あ、兄チャマとキスしちゃったデス……」
ベッドの中で四葉は思い出していた。
じわっ……
それだけで、四葉の顔は赤く火照り、下腹部も熱を持って湿り気を帯び始める。
「兄チャマ……」
兄のことを思い浮かべながら、手を下へと伸ばしていく。
びくっ
「あっ……!」
そこは恐ろしく敏感になっていた。少し触るだけで怖いほどの快感に襲われる。こんなことは初めてだった。
「兄チャマ……兄チャマ……」
結局、その夜は兄に優しく抱かれることを思い描いて、片手では数え切れないほどの回数達してしまった。
(は、恥ずかしくてしばらく兄チャマの顔見られないデス……)
そんなことを考えながら、四葉は真っ赤な顔をしてそれからもなかなか眠りに落ちることはできなかった。