週間更新お休み企画 陵虐の捜査官
その5
「だまって降りてくれよ、俺は連中を早く追い掛けたいんだ。お前の血で運転席
を汚したくも無いからな。断っておくが、俺は本気だ」
グェンは、驚き同僚を見つめるが、吉野の目に狂気の光りを感じて、黙ってシー
トベルトを外す。
「この事は課長に報告するからな! もう、市警察にいられると思うなよ! 」
車から降りたグェンは憤慨しながら吉野を罵る。
「さっさと本部に連絡しな、グーク… 」
助手席から窮屈な思いをして運転先に移った吉野は、うす笑みを浮かべながら相
棒を罵り、その直後に思いきりアクセルを踏み込んだ。覆面パトカーは派手にタ
イヤ・スモークを残して、蹴っ飛ばされた様にダッシュする。
彼の半年余りの潜入捜査の末に実行された拠点への襲撃で、臓器密売組織は壊滅
的な打撃を被っていた。しかし、組織の主だった連中を捉えて見て、吉野はやは
りドクターTが実在すると言う認識に至る。
同時に関東で最大と思われた、この臓器密売組織が実はもっと大きな犯罪組織の
末端に過ぎないのではないか? との疑念が彼の心の中で暗雲を広げている。襲
撃成功に浮かれる市警察のメンバーの中で、彼だけが、戦いがこれからだと言う
事を知っていた。
車はトンネル1キロと走る事は無かった。襲撃者の大型のセダンが道路を塞ぐ様
に斜に乗り捨てられていたのだ。吉野は車を少し手前に停めると銃を構えたまま
ゆっくりとドアを開く。
人の気配が感じられない事から、彼は開いたドアを遮蔽物として使いパトカーの
降りた。案の定、慎重に近づいてみれば、大型のセダンはもぬけの殻だった。乗
り捨てられた黒いセダンの向こうの側壁には、なんとも怪しい横穴へ通じるドア
が、これ見よがしに開け放たれているではないか。
「へっ… 誘っているのか? せっかくの御招待だからな」
ジャイロ・ジェット・ピストルを頼りにして、市警察の刑事は無謀にも単身で罠
に飛び込んで行く。
「なんだ、これは? 」
薄汚れたトンネルから側道へ踏み込んだ吉野は、思わず目を窄めて先を見渡す。
壁も床も真っ白な細長い通路が、彼の目の前にあった。その場に立ち竦んでいて
も仕方も無いから、刑事は辺りに気を付けながらゆっくりと進み始める。最初の
四つ角に差し掛かった彼は、後ろを振り返と、少し後方にはまだトンネルへの出
口が見えた。
「まったく、迷路遊びか? 」
彼は鉄則に従い左側へ進む道を選ぶ。常に左側の壁に沿って歩いて行けば、多少
の遠回りに成っても、最終的には必ず出口に辿り着くはずだ。だが…
いったい、何度角を曲がった事だろう、腕時計を見れば、かれこれ30分以上は
歩いているはずだ。しかし、幅1、5メーター程の真っ白な通路は延々と先に伸
びている。
「ちくしょう。しょうも無い罠を作りやがって! おい! 出て来い! 」
誰もいない事を承知しているが、それでも吉野は叫ばずにいられない。
「いいかげんに、しろ! こんな阿呆な迷路遊びに付き合っている程、こっちは
隙じゃないんだぞ! 」
誰とも無く罵った彼の言葉が、通路の木霊した、その時…
「何時、そう言ってくれるか、待っていたよ、吉野クン」
背後の、しかもすぐ近くからの問いかけに、彼は慌てて振り返りジャイロ・ジェ
ット・ピストルをポイントする。フロント・サイトの先には、何処から現れたの
か? 白衣を身に纏った痩身の男が柔和な笑顔を浮かべて、草臥れた刑事を見て
いた。
「わざわざ、こんなところまで出向いてもらって、済まなかったね。吉野清一く
ん。東京市警察、臓器密売対策室要員、年齢は27才、これまでに訓戒2例、
誡告3例、短期間の謹慎はのべ15日間、それに対して、栄誉賞15回、功労
賞33回とは… 素晴らしい経歴だね」
年の頃は50を越えているであろう学者肌の男の台詞が狭く清潔な通路に響く。
「臓器の不法売買だけじゃ無くて、戸籍屋さんも商売にしているかい、ドクター
T? 」
証拠は無いが確信を持って吉野は白衣の男に問いかけた。
「そのドクターTと言うのはやめてもらいたいね、私はトニー・ダンブレックと
言う、親からもらった立派な名前があるんだから。まあ、確かに名前なんて言
うのは個体の識別記号に過ぎないが、それでもTは無いだろう? Tは… ま
るで、私の人間性を無視した呼び名じゃないか」
ドクター・トニーは興味深げに、追跡者を見つめる。
「見え透いた罠だと分かっていながら飛び込んでくるとはね。よほど槙田恵美嬢
の件が、君を駆り立てて入る様だな」
「恵美の名前を汚らわしい口で語るな! 」
吉野の顔から瞬間的に血の気が引き、直後に今度は興奮の余り真っ赤に成った。
「あれは、まだ、私がこの組織の全権を掌握する前の話だね。愚かにも臓器提供
体の処分が杜撰で、槙田恵美嬢の遺体は新東京郡の埋め立て地で発見されてし
まった。いかんね、まったく後処理の怠慢と言うしか無い」
話の本筋から外れた部分で慚愧に耐えないと首を振る白衣の男に対して引き金を
絞る誘惑を、吉野は懸命に堪えていた。あれは6年前に成る。まだPC勤務1年
目の若い警官だった吉野は、ちょっとした事件でOLの恵美を知り合い、そのま
ま恋に落ちた。
若いながらも互いに結婚を意識し始めた矢先に、彼女は会社の帰り道で忽然と姿
を消してしまった。警察の懸命の捜査に加えて狂った様な吉野の執念の捜索の末
に、恵美は数日後、変わり果てた姿で、ドクター・ドニーの言葉の通りに埋め立
て地で発見された。
司法解剖の結果、彼の愛しい女は、移植可能な臓器を根こそぎ摘出されていた事
が判明する。その後、吉野は憤怒を胸に納めて、臓器密売摘発室への移動を果た
していた。
「これ、以上、俺を怒らせるなよ、ドクターT! いいか、よく聞け。お前には
黙秘権がある。お前がこれからの取り調べで語る言葉は裁判で不利な証拠とし
て扱われる場合も…」
「よせよせ、私は捕まらないよ。それよりも、君をこんな所に招待したわけを語
ろうではないか」
容疑者の権利を説明する刑事を馬鹿にする様に、ドクターは手をひらひらと振っ
てみせる。
「君が、あの臓器管理工房で吹き飛ばした、大男の事を憶えているかね? ほら
、やたらと拳銃を振り回す危ない奴だよ」
白衣の男は皮肉な笑みを浮かべて、銃を構えたままの吉野を見つめる。
「彼奴は昔から粗暴で、何をやらしても上手く行かない、まあ、典型的なろくで
なしだった。いったい、何度、あの馬鹿者の尻拭いをしたかわからんよ」
ドクター・トニーはうんざりした顔付きで頭を小さく左右に振り、溜息をもらす。