その9

 

 

 

「隼人か? 私だ、分かるな? 」

いきなりの電話だが、かかってくるかも知れないと言う淡い期待があったから少年

は胸をときめかせた。

「はい、わかります」

衝撃の週末から一週間近くが過ぎた土曜日の放課後、下校途中に鳴った携帯を手に

した少年はドキドキしながら憧れの人に応えている。

「今日は、あの屋敷に戻れよ。まだ尚也さんは海外なんだろう? 」

既に粗方の事情は説明済みだから、由紀子の言葉にも迷いはない。

「はい、尚也叔父さんは来週の半ばまでは帰れないって、一昨日の夜に連絡があり

 ました」

「これから行われる退屈でつまらん職員会議のせいで、たぶん着くのは7時過ぎに

 なるが勝手に帰ったりするなよ」

「わかりました」

年上の美女からのお誘いに、隼人は天にも昇る思いを味わう。彼は携帯で自宅に連

絡を取り、母親には今夜は友人の家に泊まり帰らないと嘘を伝える事を忘れない。

(さて、準備をしなくちゃ! )

興奮の余りに足がもつれそうに成りながら、少年は留守番兼ネコの世話係りを申し

付けられた叔父のお屋敷に急いだ。

 

 

 

ピンポーン

予告よりも20分ほど遅れて玄関でチャイムが鳴り響いた。

「は〜い」

信じられぬ幸運を手にした隼人は飛ぶように廊下を駆け抜ける。重厚なドアを開け

ば、そこには憧れの女教師が、やや大ぶりのスポーツバッグをぶら下げて不機嫌そ

うに佇んでいた。

「まったく! グダグダとつまらない事をくっちゃべって、アタシの貴重な時間を

 潰しやがって、あのロートル教師連中はみんな纏めて屑籠に放り込んで焼却処分

 にしたいわよ」

出迎えの少年にスポーツバッグを預けると、髪止めを外し、まとめ上げた髪を解き

左右に首を振って背中で揺らしながら、不機嫌そうな美女は隼人をしたがえてツカ

ツカとリビングに足を踏み入れた。学校での会議を終えた美女は一旦自宅マンショ

ンに戻る面倒を省いたのであろう。先週末には見事なプロポーションを見せつける

様な真っ赤で露出過剰気味のワンピースで登場した由紀子だったが、今日は教壇に

立つ教師仕様のいで立ちなのだ。

 

もちろん肌理の細かい白い肌が露に成ったワンピース姿の美女も大いに素敵なのだ

が、少年が犯罪行為と知りつつも学園内で隠し撮りを敢行した清楚な女教師の装い

の由紀子は格別であり、隼人は今夜、これからの成り行きを想像するだけで股間が

暴走し始める。

 

「あら… 」

ソファの前のテーブルには良く冷えた事を証明する様に汗をかいたシャンパンのボ

トルが置かれ、その横には、ついさっき届いたばかりのデリバリーピザが並んでい

る。

「気が利くじゃない。もう、お腹ペコペコよ」

少年が不器用にシャンパンの栓を開けている間に、機嫌をなおした美女はソファに

腰掛けて嬉しそうにピザにかぶりつく。立て続けにふた切れを平らげた由紀子は、

次いで豪快にシャンパングラスも干して見せた。

 

「ああ、極楽だわ。ねえ、隼人も食べなさいよ」

「はい、由紀子さん」

自分の精一杯の持て成しを喜んでもらえたのが嬉しい少年は、おずおずと彼女の

隣に座ると、好物のピザを一切れ摘んだ。

「あれ? アンタは飲まないの? 」

「えっ、いえ、あの、お酒って、あんまりスキじゃないんです」

贅沢なトッピイングを施されたピサを一切れ食べ終えて、指に付いたチーズを舐

め取りながら隼人が答えた。

 

「ふ〜ん」

意外に真面目なのか? はたまた奥手なのか? 判断が難しいところだが、由紀子

は面白そうに少年の横顔を見つめる。

(みっ、見られている、由紀子先生に見つめられている)

既に肌を合わせた間柄なのに、隼人は猛烈に照れていた。ドギマギする少年の有り

様が可笑しいのか? 由紀子は微笑みながら手にしたシャンパンのグラスに口をつ

ける。すると、いきなり彼女は隼人の頬を両手で捕まえて、自分の真正面に引っ張

り込む。

 

(うわぁ… )

いきなり唇が重ねられたことから少年は大いに面喰らう、この奇襲攻撃に驚いた隼

人の咽に、炭酸の効いたアルコール飲料が流し込まれた。

ケホ… ケホケホ… 

咳き込む少年の様子が可笑しいのか? 由紀子は彼を解放すると声を上げて笑った。

「あはははは… ねえ、どう? これでもまだお酒は苦手? 」

「ケホ… いいえ、おいしいです、ゲホ… 」

仄かに残る美人女教授のやわらかな唇の感触をしみじみと味わいながら、隼人は食

道を駆け下るアルコールの熱さを久々に楽しんだ。

 

実は彼はまったくお酒が飲めないわけでは無い。それどころか、同年代の友人達に

比べれば酒豪と言ってもよいだろう。しかし、身近にいる反面教師のけしからん所

行を何度も見ている内に、アルコールの摂取を控える習慣が身に付いていたのだ。

彼の叔父であり、この屋敷の持ち主の尚也は通常ならば人当たりも良く仕事にも熱

心だし隼人にとっては完璧と言って差し支えない良い叔父だった。

 

だがそれは尚也がしらふである時に限られる。嗜む程度の場合であれば、尚也の酒

は陽気で面白いのだが、ある一線を超えるといきなり凶悪な暴徒に様変わりするの

だ。少年の母親の留守を見計らい繁華街に連れ出されて痛飲した時には、酔っぱら

った末に地元のチンピラともめ事に成り、相手をメチャクチャに叩きのめして逃げ

去ったし、大きな契約に成功した時にも、自宅で関係者を集めた酒宴を開き盛り上

がり、挙げ句にリビングの高価な家具を全損させる大立ち回りを演じていた。

 

酔いがさめると真っ青に成り、迷惑を掛けた関係者に頭を下げ捲り、二度と深酒に

は及ばないと猛烈に反省の姿勢は見せるのだが、ほとぼりがさめた頃に成ると、ま

たまた騒動をしでかす叔父の深酒の末の暴走は周囲を呆れさせている。過去に数回

、酔っぱらった叔父の人が変わった様な破壊行動を目の当たりにして来た隼人にと

って、酒は狂い水と同義語の存在になっていた。

 

だが、叔父の破天荒な暴れっぷりだけが、隼人から酒を遠ざけたわけでは無いのだ

。母親が親しい友人達と泊まり掛けで旅行に出た時に、叔父の尚也は社会勉強だと

嘯き高校に進学を果たしたばかりの隼人を夜の歓楽街に連れ出した。キャバクラを

数件ハシゴして御機嫌に成った尚也に勧められるままに隼人も杯を重ねていて、そ

の夜の記憶は曖昧なのだが、叔父が地元のチンピラを喧嘩を始めた時には、少年も

ビールの空き瓶を逆手に振りかぶり、思いっきりチンピラの頭を殴りつけたような

… やっていないような… そんな憶えが朧げながらに有るのだ。

 

気に成って翌日叔父に聞いたところ、尚也は繁華街でチンピラと揉めた事すら憶え

ていなかった。自分にも叔父と同じ様な酒乱の気があるのではないかと怯えた隼人

は、以来なるべくアルコールの摂取を敬遠している。

 

 

 


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