その2

 

 

 

「ああ、メリーアン、パパはお仕事でしかたなくフィリピンに行くのだからね。

 でも2週間で、必ず戻ってくるから心配しないで、おとなしく待っているんだ

 よ。それからマイケル! お前はコジローとの喧嘩はホドホドにするんだぞ。

 みんな、ハヤトの言うことをきいて、元気に過ごしてくれ。本当に2週間で戻

 ってくるからな! 」

餌の時間が近いことから足元にまとわりつく3匹の猫を、これ幸いと代わる代わ

るに抱き上げて頬擦りしながら、尚也は暫しの別れを憂いて止まない。

 

「外でタクシーを待たせているんでしょう? 尚也さん。猫たちの事は引き受け

 たから大丈夫だよ。ほら、飛行機に乗り遅れちゃうと大変だ」

「本当に頼むぞ、コジローのウンチには気を付けてやってくれ。こいつは食べ過

 ぎると、すぐに下痢をするんだよ。それから、メリーアンは… 」

「わかっているよ、メリーアンは新鮮な水しか飲まないから、猫水はこまめに取

 り替えろ、でしょう? 」

 

あきれ顔で叔父の台詞を横取りした隼人は、床に置かれたトランクを尚也の方に

押し進めた。旅行慣れしている事から荷物は最小限にまとめられているハズだが

、それでも2週間の行程とも成ると、さすがに大きな旅行用のトランクが必要だ

。尚也はトランクを抱えると名残惜しそうに何度も振り返りつつ、ようやく自宅

を出て空港へと向かうタクシーに乗り込んだ。

 

「やれやれ… まったく猫の事になると人が変わるよな、叔父さんは」

まだ子猫の頃から付き合いのある3匹だから、気まぐれな猫たちは隼人を恐れる

ような事は無い。相変わらず足元にじゃれ付く陽気なマイケルを踏まぬように気

を付けながら、それぞれがお気に入りの御飯皿に、指定されたキャットフードを

盛り付けた隼人は、最初にマイケルの前にドライフードを置いてやる。少し離れ

た場所に陣取るメリーアンにも同じドライフードを与えてから、今度は戸棚から

ネコ缶を取り出すと中身を皿に移し変える。

 

「コジロー、おおい、どこだ? コジロー! 」

「うにゃう」

生意気にもリビングのソファの上で半身を起こした長毛種の猫は、彼がお気に入

りの銘柄の缶詰めを運んでくるまで動く気配を見せない。子猫の頃には食の細か

ったコジローを心配していた叔父は、いつでも餌を持って愛猫の後を追い掛け回

して、ようやく少しづつ食べさせていた事があったから、この愛らしく傲慢な御

猫様は人間を従順な召し使いと誤解しているフシがある。

 

「お前なあ、マイケルみたいに愛想よくしろとまでは言わないが、せめて御飯く

 らいは食べに来いよ」

他の2匹とは違い、ソファの上で優雅に晩餐を啄むコジローは、隼人の台詞をま

ったく無視して夕食を楽しんでいた。

(それにしても、無駄にでかい家だよなぁ… )

食事を終えた猫達が、めいめい好みの場所へ散った事を確認した後に、隼人は手

慣れた様子で後片付けを済ませた。ダイニングのゴミ箱に空に成ったネコ缶を放

り込み、当面はお役御免となった留守番少年は、畳にすると二十帖近くの広さの

リビングを見回す。

 

夜中に猫が運動会をしても、一戸建てなら問題が無いと考えた叔父は、普通の建

て売りであれば軽く2〜3軒は建てられるスペースの敷地を確保した上で、何故

かカナダの建築会社が販売している北欧風の住宅を気に入り個人で輸入して自宅

として使っている。木目の美しい素材を生かした内装は猫にとっても快適らしく

、建築から1年足らずの間に壁には爪の研ぎ後が無数に刻まれたいた。

 

普通の神経であれば堪え難い狼藉であろうが、3匹の猫を溺愛する叔父は、愛猫

達が付けたやんちゃな壁の引っ掻き傷さえ愛おしげに眺めているのだ。緑豊かに

整えられた広い庭の端には、車3台を停められる駐車場が完備されていて、持ち

主が仕事でフィリピンに飛び立ったことから放置された濃紺のアルファロメオが

寂しそうに佇んでいる。

 

「さてと、テレビでも見るか」

腹を満たした3匹がダイニングやリビングに散り、それぞれにお気に入りの場所

にもぐり込んだ事から、隼人は居間のソファに腰を落ち着けてテーブルの上の新

聞に手を延ばす。

「あまり面白いモノは、やってないな」

国営放送と民放のテレビ欄をざっとチェックするが、日曜日のまっ昼間に健全な

男子高校生が面白いかも? と、思える番組は見当たらない。

「そういえば叔父さん、新しくケーブルテレビと契約したって言っていたよなぁ… 」

 

先月、ようやくこのエリアでの準備が整ったローカルのケーブルテレビに加入し

たと言う叔父の言葉を頼りに、隼人は番組案内や使用の手引き書等を求めてリビ

ングの心当たりを捜し回る。愛猫に関する事柄以外は極めてズボラな叔父だけあ

って、コントローラーこそすぐに見つかったものの、肝心の使用の手引きが何処

にも見当たらない。弱った少年は捜索の範囲をリビングのテーブル周辺から、壁

際に鎮座する飾り棚の引き出しにまで広げた。

 

「あれ? これって… 」

3つ並んだ飾り棚の引き出しの真ん中を物色中に、隼人は一枚の名刺に目を奪わ

れた。

「ピンク・シャトー… って!」

名前の下には携帯の番号、そして5桁のナゾの数字しか書かれていないシンプル

な名刺だが、その名は隼人の記憶に克明に刻み込まれていた。

(由紀子先生にそっくりな人がいるデリバリー・ヘルスだよね)

恋い焦がれてやまない英語教師にそっくりの女性から、サービスを受けると言う

淫ら妄想にとらわれた少年は、胸の鼓動の高まりを抑えられない。彼は無意識の

うちにジーパンの後ろのポケットからサイフを取り出した。

 

「21、22、23万円か… 」

飼い猫に過剰な愛情を注ぎ込む叔父は、世間相場を遥かに上回る世話代を甥っ子

に気前良く支払ってくれていたから高校生と言えども彼の資金力は馬鹿に成らな

い。

(これだけあれば、なんとかなるかな? もしも足りなかったら、叔父さんから

 預かっている「緊急猫資金」を借りればいいし… )

何か緊急の時には使えと預けられた3桁の現金も金庫にある事が、思案に暮れる

隼人の背中を押してくれた。童貞卒業を憧れの英語教師に良く似た女性に手伝っ

て貰うチャンスを少年は見のがす事が出来なかった。

 

 

 

 


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