その2

 

 

 

「あっ、そうか… 今日は夕飯を外で食べて帰るんだったな」

エレベーターを降りて受け付け席に陣取る馴染みの守衛に手を振り挨拶を交わし

たところで島津は今朝、妻から念を押されていた事を思い出す。小学生のひとり

息子の英夫が参加しているサッカーサークルが地区大会に備えて生意気にも2泊

3日の合宿を行う事が決まり、その食事や洗濯の世話の為に保護者の有志が合宿

に参加する事に成っていた。妻の節子も有志のひとりとして息子に帯同すると言

い出し、今日のお昼前には息子を連れて家を出ているハズだった。

 

「家にはカップラーメンくらいしか無いから、今日と明日はちゃんと外で夜御飯

 を食べて来てちょうだいね」

今朝、出社の前に玄関先で念を押されていたのだが、日々の忙しすぎる業務の中

で妻の言葉は今まで記憶の中から掻き消されてしまっていた。

(失敗したな、昼休みに電話で古葉や西口を誘って、鬼の居ぬ間に命の洗濯を楽

 しもうとおもったが… いまから誘いの電話を入れたら、かえって皆も迷惑だ

 ろうな)

今でもちょくちょく連絡を取り合う大学時代の同じサークルだった友人達と久々

に赤提灯で旧交を温めようと目論んでいた島津だから、仕事にかまけて肝心な連

絡を怠った事を悔やんでいた。

 

(しょうがない、駅前のおでん屋にでもしけ込むか)

温かいものが恋しい季節にも成っていたので彼は友人達との飲み会を諦めて、地

元の駅前商店街の一杯飲み屋へ熱燗を楽しもうと気持ちを切り替えた。

「課長… 島津課長」

会社の事務所から最寄りの駅に向かう道すがら、背後からの呼び掛けに島津は戸

惑いながら振り向いた。

「矢島さん、どうなされたのですか? こんなところで」

「あなたをお待ちしていました、課長」

猫背で髪の毛にも白髪が目立ち、鼠色のコートが嫌になる程にお似合いの年上の

部下の言葉に島津は面喰らった。彼の言葉を信じるならば矢島は1時間以上も、

この寒空で島津を待っていた事になるのだ。

 

「どうしたのですか? なにか緊急の用事でしたか? あの… 私の仕事用の携帯

 電話の番号は御存じですよね? 」

この初老の部下が、また何かとんでもないミスをしでかして、それを中々上司であ

る自分に言い出せないのではないか? と、勘繰った島津は、やや厳しい口調で矢

島に迫る。

「いえ、仕事の話じゃないんですよ。いや、多少は関係もあるかな? 実は今日は

 課長に謝りたくて、こうしてお待ちしていたのです。不馴れなばかりに私が色々

 な失敗を犯すなかで、課長には大きな負担を強いてしまい、ほんとうに申し訳あ

 りません」

どうやら新たに大きなミスが発生したのでは無いと悟り、島津は小さくひとつ溜息

を漏らす。

 

「いいんですよ、矢島さん。不馴れな仕事ですのでミスは付き物です」

本音を言えば移動して来て半年近くにも成るのに、同じような単純なミスを繰り返

す矢島はお荷物以外の何者でもないのだが、いまさらそれを声を大にして言い募っ

てもしょうがない。矢島はミスするものだとの前提条件の元で仕事を進めれば、大

部分の実害が防ぐ事は可能だった。

「お詫びのしるしと言ってはなんですが、一席設けさせてもらいましたので、どう

 か一献傾けてください」

「いや、そんな… 困りますよ。仕事の上のことですから、そんな気遣いは無用に

 願います」

 

そんな事を考えるくらいならば、もっと日々の仕事に熱意を持てと言いたい気持ち

をグッと抑えて、島津は年上の部下の誘いを固辞する。しかし彼の片袖を掴み、是

非にもと懇願する矢島の熱意にほだされた彼は、この日は家族が外出している事も

あり、やがて根負けした。

「それじゃ、御一緒しますが、支払いの方はワリカンでお願いしますよ、いいです

 ね矢島さん」

彼が招待を受けた事を喜んだ初老の部下は、大通りで手を上げてタクシーを捕まえ

 る。

「すぐそこです、ほんの30分ほどですから」

訝る島津をタクシーの後部座席に押し込んだ矢島は、早口で運転手に目的の番地を

告げた。年上の部下の言葉通りに30分程度でタクシーは目的地に辿り着く。

 

「こっ… これは? 」

「私の自宅です、課長」

しんと静まり返った高級住宅地の中でも一際異彩を放つ巨大な門構えの邸宅の前で

島津は絶句した。

「自宅ですか… 」

「ええ、と、言っても女房の実家の持ち物だったんです。まあ、長女だった女房

 が相続した代物なんですよ」

初老の男の言葉に島津は驚き目を見張る。ゆっくりと首を左右に振ってみるが、ど

こまでも続く様に思える高い白壁の長さを見ても、この邸宅がとんでもない広さを

高級住宅街で誇っているのは間違い無い。つい最近、ようやく清水の舞台から飛び

下りる様な思いで20年のローンを組み現在住んでいるマンションを中古で購入し

た島津にとって、この豪邸を衒いも無く自宅だと言い切る矢島は、日頃は事務所で

若い社員にミスを指摘されてペコペコと頭を下げる初老の男とは別人に思えた。

 

開け放たれた木製の大きな門扉の前を通り、敷き詰められた玉砂利の上を音を立て

て歩くと、そこには最近の新しい家ではめったにお目にかかる事が無くなった純日

本風の引き戸が鎮座する玄関に行き当たる。施錠されていない引き戸をガラガラと

音を立てて開いた矢島は、大きな声で家人に帰宅を知らせた。

「お〜い、帰ったぞ」

「は〜い、おかえりなさいませ」

パタパタとスリッパの音を立てて出迎えたのは、年の頃は二十代後半に見える美女

だった。

「電話で言っておいたように課長を御連れした。お茶は趣味の部屋に持って来てく

 れ、香代子」

「はい、かしこまりました」

 

かいがいしく初老の男のコートを脱がす手伝いをした美女は、島津に向かってニッ

コリと微笑み会釈すると廊下の向うに戻って行った。

「綺麗なお嬢さんですね、娘さんですか? 」

革靴を脱ぎ上がり待ちに足を掛けた島津が、我慢し切れずに矢島に問いかける。

「いまのですか? あはは… いや、女房の香代子ですよ」

「にょ、にょうぼう! 」

とんでも無い事を平然と言い放った年上の部下の顔を、島津はたっぷり5秒間は見

つめてしまった。

 

 

 


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