その1

 

 

 

「ったく、もう、何やってんだよ、オッサン! 」

事務所の中に若い中込の罵声が響く!

「申し訳ありません、すぐに、やりなおしますから」

中込よりも20才以上も年上の矢島は、情けない顔をしてペコペコ頭を下げている。

「やりなおすって、それで、どうにか成るのかよ? なあ、これはどうにも成らねえ

 だろう? それとも、アンタに何かリカバーする手が有るっていうのかよ? まっ

 たく、使えねえオヤジだぜ」

一枚の書類をヒラヒラさせて、中込は怒気を露に罵倒する。

「申し訳ありません」

若造に横柄な態度を取られても矢島は反発する事もなく、ただ頭を下げるばかりだっ

た。

 

「これが初めて言うなら、俺だってこんな言い方はしないぜ。でも、オッサン、ウチ

 の課に来て半年で、どれだけミスっていると思うんだよ? なあ、アンタ、それで

 俺達なんかよりも高い給料もらって恥ずかしくないのか? こんなドジは小学生だ

 ってしないぜ」

有能なのは認めるが人に対する思いやりの欠けた若い部下の台詞に、傍で聞いていた

島津は口をへの字に曲げた。騒ぎを聞き付けて周囲のOL連中も顔を上げて、若い中

込と初老と言っても良い年齢の矢島を交互に見比べている。女性社員の視線を意識し

てか、調子に乗った中込は増々なにか言い募ろうと身を乗り出す。若い部下の増長し

た態度が、ついに島津に問題への介入を決断させた。

 

「どうしたんだ? 中込」

「あっ、課長、これを見て下さいよ」

無抵抗な獲物をいたぶるチャンスを取り上げられて不服顔の若者は、島津の前に書類

を突き出す。

「来週の半ばに工場で必要な部品の発注なんですけれど、ほら、納期の日付が来月に

 成っているでしょう? このオッサン、ひと月も納期を間違えやがって… 」

確かに言われた通りだ。部品の納期は来月の日付に成っていて、その発注表の控えの

下段には、しっかりと担当者の矢島の判が押してあった。

「俺がチェックしたから良いものを、このまま見過ごしていたら、工場からこっぴど

 く怒鳴られますよ。パーツが入らなければ製品は出来上がらないですからね」

さも自分の手柄だと自慢げに、中込は胸を張り言い募る。

 

「でも、今から修正を入れても、工場の稼動予定日には間に合いませんよね。どうし

 ますか? 課長? 」

たしかに通常のルートであれば絶対に間に合わぬが、島津とて伊達に長い間この課で

仕事をして来たわけでは無い。緊急事態には、それなりの別のルートがひとつや二つ

はあるものだ。

「わかった、この件は私が引き継ぐ。中込と矢島さんは自分の仕事に戻ってくれ」

 

若い中込はとにかく、職制上では上役であっても年齢的には年上の矢島に対して、島

津はけして呼び捨てにはしなかった。せっかく課のお荷物を徹底的にやり込めるチャ

ンスを取り上げられて、中込はまだ不満そうだが敢えて島津は無視している。たしか

に矢島はミスが目立つし仕事も遅い、だが、この課に移動して来て半年足らずの初老

の社員には、同情すべき点も多かった。

 

島津が勤めているのは中堅の工作機械メーカーであり、彼の課はさまざまな雑務を担

当すると共に部品の発注の面倒も見ている。部下は20人ほどで、その中の15人は

女性だった。男の社員が少ない彼の課に配属された矢島は入社以来、工場で各種工作

機械の設計製造に従事して来た機械屋なのだ。しかし、工場の自動化が進み人員整理

が始まると、古いタイプの機械工の矢島は無理を承知で事務職に回されて来た。

 

勤まらないならお辞め下さい、とばかりの人事異動だから受け入れる側も彼には冷た

い。自分よりも良い給料をもらっていながら仕事は素人同然とくれば、若い中込あた

りが辛く当たるのも無理はなかった。けして矢島が年齢をかさにきて横柄に振る舞っ

ている事は無い、それどころか入社3年目の中込などに対しても丁寧な応対を見せて

いる。

 

しかし、如何せん工場であればとにかく、常に時間との勝負を強いられる中堅機械メ

ーカーの事務方の社員としては、矢島は余りにも使えなかった。それほど重要な仕事

は任せていないが、それでも1日にひとつふたつは小さなミスをしでかす初老の元工

員は、今では一番若いOLにすら馬鹿にされている。本来であれば、忙しい課には置

いておきたく無い人員だったが、もしも島津が放り出したならばリストラ確実な矢島

だから、彼もしばらく様子を見る事にしていた。

 

(それにしても、なにもいきなり不馴れな本社の事務職勤務に放り込む事は無いだろ

 うに… 一応は起業当時からの功労者なんだからな)

大手機械メーカーの下請けとしてスタートしたが、オイルショックの影響で系列から

外された際に、中堅社員が一念発起して独立路線を模索して成功したのが現在の会社

であり、矢島も創業当時の若手社員のひとりだったと聞いている。もっとも、中核メ

ンバーの一員でありながら、長年工場に留め置かれて、挙げ句にリストラ目的で馴れ

ない事務方に飛ばされるところを見ると、やはり工場での仕事でも矢島の能力は知れ

たものだったのであろう。

 

忙しい島津だから能力的に問題のある目上の部下の処遇にあれこれと悩んでばかりも

いられない。それでなくても経費節約をお題目にした人員削減が続き、寿退社したO

L達の欠員補充も無い事務方の課長は、諸々の雑用に追われて、いつしか矢島の事は

頭の中から消えていた。

 

「お先に失礼しま〜す」

最後まで残っていた古手のお局様OLが部屋を後にしたのは6時を少し過ぎた頃のこ

とだ。

「おつかれさん」

慣れぬ手付きでキーボードを叩きながら、島津は顔も上げずに挨拶を返す。

「さてと… 」

さらに30分ほど期日の迫った報告書と格闘してから島津も仕事を終えた。ちょっと

前までならば部下のOLに任してしまう雑用であっても、最近の人手不足の影響から

、課長自らがコンピューターをワープロ代わりに使う事を強いられている。

 

もっとも、古いタイプの管理職である島津は最後になるまで事務所を出ようとは思わ

ないので、こうした雑用もけして苦にはしていない。皆が家路に付き静まり返った事

務所でノートパソコンを閉じた島津は、ひとつ大きく延びをしてから立ち上がると机

を離れる。椅子の背もたれに引っ掛けてあった背広の上着に袖を通した彼は、最後に

給湯室の湯沸し器とコーヒーメーカーの電源を確認してから部屋の照明をカットした。

 

先に帰った部下の中で持ち回りとなっている終業時の見回り業務なのだが、やはり最

後に部屋を出る以上は、確認するのも自分の仕事だと島津は思っていた。

 

 

 


次に進む

 

目次に戻る


動画 アダルト動画 ライブチャット