その54

 

 

 

 

「違うんですよ、斉藤さん、実は… 」

この撮影班では一番の古手である大道具のボスに向って、照明助手の若者は、こ

れまでの経緯をかいつまんで説明した。

「カントクと付き合いの旧い斉藤さんなら、あの爺さんを御存知なんじゃ、ない

 ですか? 」

セットの影から、若いスタッフが指さす先を、好奇心に駆られた斉藤が覗き込む

「あれは… 留吉爺さんだ」

流石にこの道30年の古手の大道具番だけあって、斉藤は老人の事を知っていた

「でも、なんで爺さんが今日の現場に来るんだ? 今日の台本ならば用事は無い

 だろうに。あれ? それに確か爺さんは、この業界から足を洗ったはずだが…

  」

首を傾げる斉藤の袖を、焦れた幸雄が引っ張った。

「いったい、何モノなんすか? あの爺さん。平気でカントクを由紀江って呼び

 捨てにしていましたけれど? 」

「ああ、爺さんなら、それもあたりまえだ。お前、縄師って稼業を知っているか

 ? 幸雄? 」

古手の大道具係りの問いかけに、幸雄は首を横に振る。狐に摘まれた様な顔の若

者に向って、斉藤は説明してやった。

「AVの企画モノのひとつにSMがあるだろう? あの爺さんは昔の一流のSM

 プレーヤーで、何人もの女優の柔肌に縄をうって来た名人なのさ。芸暦はニッ

 カツのロマン・ポルノの時代からなんだぜ。あの谷ナオ◯を団鬼六原作の映画

 で縛ったのも、留吉爺さんなんだぞ」

団鬼六も、谷◯オミも知らない世代の若者は、よく分からないが、朧げながらに

凄い人物であると考えた。

「そんな、凄い人なんですか? あの爺さんが? でも、今日はSMのシーンの

 撮りは無いですよねぇ… 」

「ああ、凄い腕前で知られていたが… でも、たしか、4〜5年程前に、映画の

 稼業からは足を洗ったって聞いていたが、どうしたって言うんだ? もしかし

 て、監督は次にSMモノを考えているのかも知れんぞ」

往年の凄腕責人の登場に、斉藤は色々と想像を膨らませて行った。そんなスタッ

フ等の行動も知らずに、由紀江は老人と誘い、スタジオの隅に設えられた休憩場

に移動する。

 

 

「悪いな、撮りの邪魔しちまった」

「いいんですよ。御覧の通り、葵もしばらくは使いモノには成らないですし、次

 に予定しているシーンのスタンバイも遅れていますから」

経験の豊富さを自慢していながら意外に脆かった葵のせいで、スケジュールが狂

った事は忌々しいが、そんな事はおくびにも出さずに、由紀江は笑顔を浮かべて

留吉にウーロン茶を勧める。

「でも、本当に御久しぶりですわね。最後に御会いしたのは、そう… かれこれ

 3年、いえ、4年も前に成るかしら? 本当にスッパリと映画のお仕事をやめ

 てしまったのですね」

まだ現役のAV女優だった頃からの付き合いだから、流石の由紀江も敬語を使う

。だが、彼女が老人を敬う理由は他にもあった。昔の事を思い頬を赤らめる由紀

江を他所に、為吉は、セットの中のベッドで胡座をかいたまま、スタッフと馬鹿

話しに興じている隆俊を見つめている。

「なあ、由紀江。あの餓鬼は本当のところは幾つなんだ? 」

「14歳だそうです、まだ中学の2年生なんですって… 勿論、オフレコでお願

 いしますね」

女監督の言葉に、言う間でも無いとばかりに、老人は笑って頷く。由紀江が現役

のAV女優だった頃から、留吉老は留吉老だった。年齢不詳の裏の世界では名の

知れた翁の突然の訪問について、実は彼女には心当たりがある。

「高田さん… 如何なされていますか? 最近はあまり名前を聞かなくなりまし

 たが? 」

美貌の女監督の呼び掛けに、老人は苦笑いを浮かべて首を横に振る。

「さあな? ここ1年ばかりは顔を見ておらんのだよ。なんでも台湾で華僑の女

 未亡人に取り入って、御大尽暮らしを満喫していると、風の噂で聞いた憶えは

 あるがねぇ… 」

縄師としての老人が、これと見込んで育てた弟子の高田は、やはり由紀江が業界

の人間から聞いていた様に、為吉の志を継ぐ事も無く無難な享楽の道へと身を置

いて、この世界から足を洗ってしまった様だ。

女を縄で責める技術を極めた為吉の一番弟子であり、老人から技を伝授されてい

たならば、暇を持て余す未亡人を誑し込む事くらいは簡単な事であろう。おそら

くはセックスのダークサイドに堕ちてしまった華僑の未亡人を骨の髄までしゃぶ

り尽しつつ、一番弟子だった男は桁外れな未亡人の財産を搾取して栄耀栄華を極

める暮らしを楽しんでいるに違い無い。

「儂に、人を見る目が無かったようなんじゃ。輝政の奴は見どころがあると踏ん

 で仕込んでみたが、彼奴はどうにも、あと一歩が及ばなかった。技術をなぞる

 事は器用でも、神髄に触れる事が出来ない、言わば不肖の弟子と言うわけなの

 さ。まあ、彼奴の器量に気付くのが遅れた儂も、出来の悪い師匠じゃよ」

見込み違いの弟子の卑しい所行を見せられて、師匠たる老人の落胆は如何ばかり

であろうか? 過去に濃密なかかわり合いを持った事のある縄師の寂し気な横顔

に、由紀江は哀切の思いを募らせる。だが、同時に彼女は今日の為吉の訪問の意

味も正確に洞察していた。遠く江戸時代は吉原から脈々と受け継がれて来た女衒

の技を、昭和の世に受け継ぎ花開かせた希代の縄師は、女犯術の奥義の伝承者を

求めて、こうして久々に現場に足を運んでいるのであろう。それならば、老人が

熱っぽい視線で隆俊を眺めているのもよく分かる。

「いかがですか? ウチの期待の新人クンは? 翁のお眼鏡に適いまして? 」

正確に存念を見透かされた為吉は、はにかんだ様な笑顔で振り返る。

「お前は、どう思う? あの餓鬼のことを、どの程度かっているんだ? 」

逆に為吉から問われて、由起子は小首を傾げて考えをまとめる。

「正直に申し上げて、今の今まで考えてもいませんでしたわ。あの子、おそらく

 天性の女泣かせの野獣だと思います。女を知って、まだ数カ月のくせに、私の

 知る限りでは、年上の愛人を5人… いえ、おそらく葵も加わるでしょうから

 、6人に成ると思います。それを、とっかえひっかえ、毎晩泣かせているんで

 すのよ。これは誇張でもハッタリでもございません」

少年との行為を思い出した女監督は軽い咽の乾きを覚えて、紙コップのウーロン

茶で咽を潤す。

 

 

 

 

 


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