純子 (10月29日(火)11時32分56秒)
◆アニト様
とりあえず、晶が初めて女として、男に抱かれる場面まで描きました。
正直なところかなり疲れました。
一生懸命自分のときのことを思い出して書いたのです。
先に皆様へのご挨拶や皆様の物語への感想を書いてからのほうが良かったのですが、
もうはやる心が物語を書かせていたのです。
ほかのメッセージも書き込まずに物語の進行をあせったこと、お許しください。
◆皆様へ
晶(晶)が初めて、男性にアナル処女を捧げて女としてのセックスを知りました。
実は私は22歳で男性として普通に結婚ました。見合い結婚でした。
大学を卒業していながら、22歳という若さは、少し変でしょうね。
それには理由があるのです。
「晶(あきら)♂15歳 ⇔ 純子♀20歳」(実録二重生活)

実は私には5つ年上の姉がおりました。
私をたいそう可愛がってくれました。
その姉は短大の2年生のときに、不幸な事件によってなくなったのです。
このお話もおいおい書いてまいります。
男の子である私も両親、特に母からは可愛がられました。
私は小さいころから、知らない人には女のお子さんですかと、いわれるほど、
自分では言いづらいのですが可愛かったのです。
小学校に入っても、下は半ズボンですが、上には姉のお古のセーターなどで、
男の子も着れそうなのを着せられていると、
やはり女の子と間違えられることがしばしばでした。
母もそれを意識してか、私の髪の毛はいつもおかっぱ頭に近いボブカットでした。
さすがに近所では母もそういうことはしませんでしたが、
旅行に行くときなど、姉のお古ですがよそ行きの女児用のドレスなどを着せました。
私はこれがたいそううれしく、いつも女の子の衣装でいたいと思っていました。
しかしそれはできないことだとも理解していました。
父は姉が可愛くて仕方ないらしく、
女姿の私が、姉の小さいころに良く似ているとうれしそうでした。
旅行中はいつも私たち姉弟は、仲のいい姉妹でした。
両親はお前も女に生まれてきてくれればよかったのにね。
という口癖がありました。
さすがに私が小学校5年生くらいからこういうことはなくなりました。
そして私が中学三年のときに姉がなくなたのです。
両親の悲しみようは見ていて痛ましいものでした。
幼いころから、クラッシックバレーを習っていて、
早くからその才能を認められた姉は、
国際コンクールでも入賞したこともありました。
中学のときは1年間、モスクワにバレー入学もしたのです。
音楽短大を出れば姉の将来の芸術家としての人生は、洋々たるものだったのです。
その不幸な事件さえなければ。
実は私も姉と同じバレースクールに通わせられていました。
バレースクールでは私はタイツのみの男の踊り。
女の子は練習のときこそ、Tシャツにタイツ、
よくてレオタードという姿ですが、発表会は華やかな衣装です。
それに比べ引き立て役の私たちは−−−−−
いつもあんなきれいな衣装で踊りたいと思っていました。

話は戻りますが、
姉の35日法要がすんだ夜。
両親も眠れずに1階のリビングでなにやら話していました。
時々涙をぬぐいながら、
私はいたたまれなくなって2階に上がりました。
しばらく自室でテレビゲームをしていましたが、
なぜか姉の部屋に行ってみたくなりました。
姉の部屋は生前のままにしてあります。
私は、机の上に飾ってある
姉の舞台写真のポートレイトに見入っておりました。
いくつもある写真のなかで、私が目をとめたのは、
そのときの私と同じ15歳のときのものです。
あの衣装、姉はきれいだったな。
全国コンクールで優勝したときのものです。
あの衣装はまだあるかしら?
私は、姉のバレー衣装専門のクローゼットを開けてみました。
しかしそこをいくら探してもありません。
つい最近のものばかりです。
廊下に出て、階段を上がり屋根裏部屋に上りました。
そこには、父の古い蔵書と、姉の衣装ダンスが3つおいてあります。
ここには古いのが入っているはずです。
それはすぐに見つかりました。
私はそれを持ってまた姉の部屋に戻ります。
洋服かけにかけてそれをじっと眺めておりました。
真っ白の衣装です。
なぜかそこに姉がよみがえったように思い涙が流れます。
私は自然と自分の着ているものを脱ぎ始めました。
姉の整理ダンスを探して、姉の白い小さなパンティを出しました。
そして白のレオタード、姉があのときに、
衣装の下には、肩紐だけで背中が、肩甲骨の下まで出る、
この形のレオタードを着ていたことを覚えています。
私はパンティをつけ、レオタードを着ました。
私には少し大きいかとも思いましたが、
伸縮性が強く何とか身体にフィットします。
後はその上から衣装を着るだけです。
それはワンピース型になっていて
胸から上と、背中も肩甲骨あたりから上はむき出しのものです。
もちろん肩紐はありません。
生地の伸縮性で身体にフィットさせるタイプです。
身につけた自分を、姿見に写して見ます。
ボブカットの髪の毛は少し不釣合いですが、
そこにはまるで姉が立っているように感じました。
私は少し迷いましたが、姉の化粧台から口紅を出して、唇に紅を引きました。
このころの私は化粧の仕方を知りませんでした。
しばらく鏡に映る自分の姿に、いえ15歳当時の姉の見とれていました。
足を高く上げ手を拡げ、爪先立ちで回転したり軽く踊ってみます。
しばらくそうしてから、少し考えて、私はリビングに降りていきました。
両親はまだ悲しそうに時々涙をぬぐいながら、向き合っていました。
私が階段を降りる気配に、両親は気づきます。
私はリズミカルにステップを踏み階段を降りきったところで、踊り始めました。
両親はあっけにとられて無言でした。
私はしばらく踊ってから、フィニッシュの姿勢をとり、
そして、両手を下で組んで、膝を軽く曲げて挨拶をします。
「純子!」
両親がはじめて同時に声を発しました。
純子それが姉の名でした。
「晶(あきら)なんだね?」
「はい、ごめんなさい。
ついお姉さんが恋しくて、昔僕が女の子の姿をしたら、
お姉さんとよく似てるといわれたこと思い出して−−−−
お姉さんに会いたかったんです。」
「ありがとう!純子に会わせてくれたんだね。」
おこられるかと思っていたのに意外でした。
それから時々両親の頼みで、私は純子になったのです。
私が大学の2回生くらいから、両親は私の縁談を探し始めます。
娘が欲しい、お前が結婚すれば、お嫁さんを娘と思って、可愛がれるよね。
というのが母の口癖でした。
何度もお見合いさせられました。
私が気に入っても母が断ることがけっこう多かったのです。
でも結婚というものの実感のない私は別に腹も立ちませんでした。
そしてとうとう母のお気に入りの娘さんとの縁談がまとまりました。
私は22歳の誕生日を済ませた2日後に結婚したのです。
もちろんまだ学生でした。つまり学生結婚です。
結婚しても両親の家で、生活し、そして生活費も両親もちでした。
近所の人にはまるで兄妹のような、といわれました。
彼女は24歳で、まだ学生大学院の学生でした。
世間的には姉さん女房ですよね。
二人で朝学校に通学する。
そんな本当に姉弟のような仲でした。
幼いころの、姉との生活が今も続いているようでした。
私の女装暦はけっこう古いのですが、
今説明したように、自分の意思で女装するようになったのは15歳のときです。
そして現在では性転換手術を受けて、女装のみにとどまらず、
身体そのものも女性になっている私です。
結婚生活の破綻した理由はまた今度お話しすることにいたします。

◆TUBASA様へ
脚線美のTUBASAさん初めまして、
性転換した純子です。
女装者にとって脚は大切ですよね。
ネットで知り合った、
TRANCE♂PRINCESS---OLIVIAさんを思い出しました。
この人も足がきれいなんですよ。
HPがあるし、そこに写真もあるから、
一度のぞいてみるといいと思いますよ。
あなたの創作の参考になるかも?URLは、
http://sexy.momo-club.com/~olivia/index3.htm
◆エロマン□純子様
私の場合、物語の文章少ししつこいほど長いと思います。
エロマンさんの物語も興味深く読ませていただいております。
長い連載なんですね。
私もこれから短いのを何度かに分けて書こうかと思います。
一気に長い文章を書くよりも、長さよりも継続ですよね。
またご意見くださいね。
◆美希子様
やっと処女喪失の場面を書き上げました。
私自身の経験に基づいてはおりますが、状況設定などは、かなり違います。
でも心理のうごめきなどはほぼこのとうりでした。
でもね興味半分で経験すると良くないかもしれませんね。
私だって、15歳から女装はしていたのですが、
26歳までは男性に抱かれたことはなかったのですから。
そういうことは考えてもいませんでした。
でもその味を覚えると私はどんどん女性化していきました。
女性ホルモン、去勢、豊胸手術、
そして、美容整形、最後に性転換手術(女性器形成手術)です。
これにはそれなりの私の精神構造、
もっといえば脳構造が深くかかわっていて、
結局は女の悦びを疑似体験するところから、
身体の女性化まで進んだのです。
女装者の方は時にこういう方向に進まれる方がおられますが、
脳構造が私のように女でなかった場合、
当面は満足しても、後で後悔する人もいます。
そして、はなはだしい場合は、自殺にまで追い込まれる方もおられます。
あまり知られておりませんが、ニューハーフと呼ばれる方の自殺率、
けっこう高いのですよ。




アニト (10月31日(木)00時31分56秒)
純子さん、こん○○は。
「物語を書く」ことに加えて
「挨拶や他の人の物語を読んだ感想を書く」こと、
これはわたしのから「責め」だと受けとめてください。
これら何重もの拘束は辛いかもしれません。
しかし真に純子さんがマゾ性を持つならば知っているはずです、
拘束の中にある快感を、辛さの先にある悦びを。
焦らなくとも『空想デート』はいつまでもここにありますよ。
今回の書き込みはこれだけで物語となっているように思います。
たとえば「晶(あきら)15歳」というタイトルをつけ、
「晶(あきら)が晶子(あきこ)になった理由」の
外伝として独立させてはいかがでしょう?。




純子 (11月5日(火)13時12分30秒)
◆アニトさま
少しずつここへの書き込みの仕方もわかってきまして、
何となく楽しくなってきました。
できるだけ皆様との交流を深めたいと思います。
ところで晶が女として初めて男性に抱かれて女になる場面は、
かなり苦労して描いたつもりですがまだまだ不満です。
自分の経験をもとに書いておりますが、
どうも中身が幻想的というよりリアルすぎて申し訳ないと思います。
アナル処女を茂に捧げることのできた晶は、
自分の中にこの日から晶子という女性をもつことになるのです。
そして晶であることの比重よりも、晶子であるときの比重が高くなっていきます。
そしてついには身体も女性化したいと思うに至るのです。
続きを書こうと思いますが構想があり、プロットが出来上がっておりますが
作品としては、すこし未熟ですので続編の発表までにはも少しお待ちください。
◆エロマン□純子さま  
あなたの物語はいつも感心して読んでおります。
私の物語と比べて想像力に負うところが多く、
様々な発想がそこに見られて面白いと思うのです。
私は自身の体験について設定を変えて小説化しているだけです。
ただあなたのお言葉に少し勇気付けられました。
といいますのも、私の体験が
女装者の皆様のご参考になるかもしれないと思ったからです。
しかし誤解があってはなりませんので
少し皆様向けの解説を書かなければと思いました。
◆皆様へ
女装者と男性または男性同士の恋とその性行為について
(世間の誤解を晴らすために)
私は以前に書いたように、早くから女装はしておりました。
然し男性との経験という意味ではおくてです。
25歳で離婚して一人になったとき、
プライベートな時間は女装するようになっておりました。
そのほうが自分にとって心が解放された感じになれたからです。
もちろんお買い物などを含めて女装しての外出は普通でした。
そして誰にも男だと見破られたことはありませんでした。
ですからプライベートな生活(仕事以外の生活)では、
生活そのものも女性として過ごしていました。
男として過ごすより自分にとって快適だったからです。
と言いましても男性と恋したり、まして性的な関係を持つことなど
夢にも考えたことはありませんでした。
しかしひょんなきっかけで、女装スナックで知り合った男性と、
お付き合いするようになったのです。
そして私はその人に恋してしまいました。
幸いにも相手も私のことを好いてくれましたので、
しばらくのお付き合いの後、恋人同士の関係になりました。
もちろん性的な関係を含んだお付き合いへと発展したのです。
恋心を抱いて男性とお付き合いしていると、そのうち肉体的なつながりもできます。
しかしここで私が物語で描いたような展開はまず普通ありません。
つまり最初の性的な行為が、アナルセックスであるということは普通ないのです。
物語でもその前に一度だけ、口腔性交を描きました。
女装者であれ、ホモの女役の男性であれ
女役は精神面やその行為の場合の振る舞いが
女性的であり受身であることは確かです。
しかしはじめからアナルセックスに至ることはまずありません。
まず身体の接触があり相互の愛撫での愛があります。
そして相互にまたは同時に性器への手や口での愛撫。
性器同士の接触などが普通なのです。
「TUBASAさん」が強制的に
男性にペニスをもてあそばれるという場面をお書きですが、
これは一方的ですが、相互に愛し合っている場合でも
こういう風に、男性(男役)がまず女役を愛します。
そして相互または一方的なフェラチオを行うのが普通です。
そして擬似性交も行われます。
ただ、女装や、女役は一定期間のセックスを経験するうちにどうしても、
自身の身体で相手を受け止めたいと思うようになり、
そこから、女装者・女役の強い求めがあることで、
初めてアナルセックスが成立するのです。
最初はやはり汚いものを排泄するところへの挿入は、
相手へのすまなさもありためらいがあります。
相手もよほどその女役や、女装者を心から愛さない限り、
またアナルセックスの経験を積んだ人でない限り、
最初はためらうのが普通です。
先ほど擬似性交と書きましたがこれは、
現在風俗店で行われているという素股と呼ばれるものと似ているかもしれません。
さらにレンコンという技(わざ)もあります。
これはペニスを太股の付け根で、
挟みつけてそこでピストンをするという技(素股)にくわえて、
手を背中から股の間に回して、その手にローションなどをつけ、
ペニスをやわらかく包み込んだりきつく締め付けたりして、
まるで膣に挿入しているような感覚を男性に与えるものです。
世間一般に思われているように、
女装者やホモの女役の男性のセックス、イコール、
アナルセックスというのは偏見だと思います。
ぜひこのことを知っていただきたいと思うのです。
◆「晶が晶子になった理由」
皆様申し訳ありませんが、もう少し工夫を加えた文章にしたいので、
今回は一度お休みいたします。その代わり私の体験談を少し書き進めます。
アニト様の助言に従いまして、いちおう題をつけます。
●「晶(あきら)♂15歳 ⇔ 純子♀20歳」(実録二重生活)
姉の35日の法要の終わった夜、
私、晶は姉のバレーの衣装を着て両親の前で、
昔、姉の踊った舞台を思い出して一生懸命踊った。
私は必死に姉の面影を求めていた。
怒られると思っていたのに両親の反応は意外であった。
私に姉に会わせてくれてありがとうと礼を言い、
なおこれからも時々姉を思い出させてくれるように頼まれたのである。
私は15歳中学の3年生である。あと半年後に高校受験を控えていた。
私は両親の頼みで、休日は姉の姿になることに決まった。
私の容貌は姉の着ていた服を着ると、
ちょうど姉の15歳の写真とそっくりである。
しかし残念なことに、私は男であるから
姉の15歳のときよりは背も高く身体も一回りは大きい。
バレーの衣装は伸縮性があるので何とか着られたのだが、
普通の服はだめである。
しかも姉の服はそのまま思い出に残したいという母の考えで、
大切に保管することにした。
母は私の身体のサイズを測り、デパートで私用の女性服を買ってきた。
この話が決まったはじめての土曜日の朝、母は私にお風呂に入らせ、
そしてお風呂から上がって身体を拭いている私に声をかけた。
「その洗面台のところに置いてあるパンティを履いてね。」 
私は、そこにレースのついた白い小さなパンティを見た。
胸がどきどきする。
こんなのを身に着けるのか?白とはいえ大人びた感じに戸惑った。
それを恐る恐る身に着けた、
どういう生地なのかわからないが、すべすべして肌に心地よい。
母が、脱衣室兼洗面所に入ってきた。
私は精神的にまだ子供であったのか
母に自分の裸を見られることは、日常恥ずかしく思わなかった。
しかし女性物のこの小さなパンティの姿を見られることは恥ずかしく、
なぜか思わず顔を赤らめて、両手で胸を隠していたのだ。
「まるで本当に純子がここにいるようね。」
母はそう言い見慣れないものを手に持って私の手を胸からはずさせた。
そしてそれを胸に当てると
なにやらちょっと押しつぶすようにしてから私から少しはなれた。
「鏡を見てごらん。」
私は身体を反対に向き直らせて、洗面台の鏡に向かった。
私の胸には乳房があった。
一瞬驚いたがそれが人工乳房であることはすぐにわかった。
「乳癌の手術で乳房を取った人が使うものなのだけどちょうど合うようね。」
母はそういって乳房をなでるようにしながら調整していた。
中に入っている空気を押し出して貼り付けると、
ちょうど中に自身の胸が吸いつけられるようになってくっつくのだそうだ。
そしてやはりレースで飾られたブラジャーをその乳房の上に当てて、
肩紐を通し、後ろのホックをはめてくれた。
そこには少し大人びたパンティと、ブラジャーをつけた女の子が立っている。
少し恥ずかしかったが鏡に映る自分の姿を見て私は満足していた。
パンティとブラジャーだけの姿でバスローブを羽織らせて、
母は私を、姉の部屋に連れて行った。
そこには新しく買ってきた服が何着か、ハンガーにかけてあった。
「今日はお昼間、デパートで買い物して、
お夕食はお父さんも一緒にレストランで外食しましょうね。」
「久しぶりだね。」
「そうね。だからそのピンクのワンピースを着ればいいと思うの。」
私は、バスローブを脱がされて、白いスリップをつけるように言われる。
頭からそれをかぶって身に着けた。
母が持ってきたワンピースにも袖を通してから頭からかぶった。
そして母は私にヘアーピースをかぶせた。
それはストレートで、ちょうど背中に届くくらいの長さのものだった。
姉のドレッサーの前に連れて行かれて、鏡に映った自分を見る。
驚いた、少し顔は幼いけれどそこには姉がいるようだった。
「ね。純子そっくりでしょう?」
「−−−−−−−。」
「軽くメークすれば完全に純子と同じよ。」
「お化粧までするの?」
「当たり前ですよ。20歳のレディなのだから。」
ドレッサーの前で、母が慣れた手つきで化粧をしてくれる。
なぜか心が浮き立つ。
だんだんとそこには在りし日の姉を思わせる
若いしかも成熟しかけの女性が出来上がってきた。
「お姉さん。」
私は小声で鏡の中の姉に呼びかけていた。
その後私は、出かけるまではということで、
ピンクのTシャツと、ジーンズのミニスカートを身に着けることになった。
母に連れられて、リビングダイニングに行った。
父はまだ寝ているようだった。
母が朝食の支度をしていると、父が降りてきた。
「おはようございます。」
私はできるだけ高い声を出して、父に挨拶した。
「何だまだ、普段着なのか?ドレスはどうしたんだ?」
父は、やはり私の姿を気にしながらも平静を装った。
「純子はあのドレスよく似合いますよ。
でもディナーの席ではじめて見た方がいいんじゃなくって?」
母である。私の呼び名はいつの間にか姉と同じ純子になっていた。
3人で朝食の食卓を囲んだ。
「昼からは買い物なんだって?」
「ええ、着るものは昨日私が買ってきましたけれど、
今日はアクセサリーやバッグ、それに靴を買ってあげようと思って。」
「そうか、それじゃあ私も奮発しなくちゃならんな。
私は昼間少し仕事関係の人と会わなければならないし。お前にお願いするよ。」
そういうと父は一度席をはずして書斎に入ってすぐに戻ってきた。
「これは純子に渡しておこう。
今日いいのがなかったら今度自分で買いに行けばいいだろうしね。」
父は封筒を手渡した。
それはけっこう分厚かった。中を見ると50万も入っている。
一瞬母の顔を見た。
「貰っておきなさい。
ほとんどこれからそろえるのだからお金はけっこうかかるからね。」
「そうだよ、二十にもなればブランドの物のバッグもひとつくらいは、持ちなさい。」
「わぁ、うれしいわ、お父さんありがとう。」
言ってしまってからはっとした。
いつの間にか言葉まで女の子の話し方になっている自分に気づいてかなり驚いていた。
私はこうしてしばらくは週末純子として過ごすことになった。
そしてその後あるきっかけで家に帰ると、
いつも女の子として生活するように変わっていったのである。





アニト (11月5日(火)23時54分31秒)
純子さん、こん○○は。
>かなり苦労して描いたつもりですがまだまだ不満です。
わたしたちはプロの書き手ではありませんから
誰もが認める良い文章に到達するのは難しいことです。
しかし、我を見つめる目と書く意欲は持っています。
ですから「書く」醍醐味を感じられるのだと思いますよ。




純子 (11月6日(水)14時38分50秒)
◆アニトさま
またまたご迷惑をおかけしました。
今回の書き込みは大丈夫と思います。
◆皆様へ
「晶が晶子になった理由」は今回もお休みします。
その代わり私の若いころの女装についての回想も書いておりますが、
あらたに「晶が晶子になった理由」の姉妹編として
題名を「晶と純子」に改めて今回は第3回目として投稿いたします。
実際の経験の回想録を小説風にアレンジして書いております。
なおいろいろなご意見はここに書き込んでいただいてもありがたいのですが、
長い感想になる場合は、アニトさまや書き込みをなさっておられる皆様に
ご迷惑にならないように、メールをくださるとありがたいと思います。
メールアドレスは公開しておりますのでよろしくお願いいたします。
●「晶と純子」(実録二重生活)(その3)
(この実録小説の題名を今回からすっきりとこう改めます)
亡くなった姉の35日の夜。
姉を思慕するあまり、
姉のクラッシックバレーの衣装を着て両親の前で踊った私。
姉の衣装を身に着けた私を見て、そこに姉とそっくりな少女を見出した両親は、
意外なことを私に頼むのであった。
つまり私に週末は女装で一緒に過ごして欲しいというのである。
私の初めての女装外出の日が来た。
小学校の低学年までは時々姉のお古などを母に着せられて
家族旅行に出かけたこともあった。
しかし15歳になって少し男性的な特徴が出始めて女装するには難しい面もある。
しかし母が、人工乳房の装着などの工夫をしてくれて
いちおうそこに若い娘の姿が出来上がった。
自分でも驚くのだが、その姿を鏡に映してみるとまるで姉が甦ってそこにいるようだ。
私が女として生まれてきていればきっと姉とそっくりであったのだろうと思う。
可憐で美しかった姉、優しかった姉、清楚でけがれを知らなかった姉。
私の中にはその姉が生きている。私はとてもうれしかった。
常識では到底考えられない頼み。
私に週末には姉になってほしいという両親の願いを、
自然なものとして受け入れることができた。
若い娘に変身した私を、両親は純子と呼んだ。
純子は亡くなった姉の名である。
SRS(性別再判定手術=性転換手術)を受けて今私は、女として生活している。
その私は純子という名を使っている。
現在わが金城家には、晶(あきら)という息子はいない。
純子という娘が嫁に行ってそして週末には、
ほぼ毎週孫を連れて実家に里帰りしてくる。
(私が嫁に行った話や、孫(私にとっては子供)がいる話は
この物語の中でおいおい出てきますのでご期待ください。)
いよいよ初めての外出の日が来た。
朝入浴を済ませた私を、母が丁寧に若い女性として変身させてくれた。
父は休日であるが重要な取引先の人と会わなければならない用事があるということで
昼前に出かけていった。
昼過ぎから母と私は買い物に出かけ、夜にホテルのレストランで落ち合い
家族そろってディナーをいただくことになっている。
私は朝一度試着したピンクのミニドレスに着替えて母と一緒に家を出た。
靴は姉の遺品パンプスを履いたのだが、やはり少し窮屈である。
幼いとき以来、初めての女装での外出、
やはり気恥ずかしく動きが自分でもぎこちないのがわかる。
けっして靴のせいではないはずだ。人目も気になる。ばれやしないかと。
母は、誰が見てもお姉さんとそっくりな女の子だから心配することはないという。
背丈は今の私がちょうど163cm亡くなった姉は165cmと同じくらいなのである。
駅までは歩いて5分くらいである。
やはり近所であるだけに私は少しびくびくとしていた。
自分でも人に見られたら、女の子と思われる自信はあった。
しかし何分近所なのである。
私、あきらを知っている人に会えば私の女装だとばれるかもしれないと恐ろしかった。
そしてしばらくしてやはり、予期せぬ出来事に出くわした。
向こうからお隣の奥さんが歩いてくる。
放送局というあだなのある奥さんである。
もしもばれてしまえば恥ずかしくて私は今後近所を歩けなくなる。
「お母さんどうすればいい?」
母は落ち着いて、
「大丈夫よ、私に任せなさい。あなたは堂々としてればいいの。」
「でも―――――」
といううち奥さんが間近に来た。
「このたびは大変でしたね。もう少し落ち着かれました?」
私は思わず顔を伏せていた。
「ありがとうございます。その節にはたいそうお世話になりまして。
悲しみは消えませんが、なんとか気を取り直してがんばろうと思います。」
「あれそちらのお嬢様は?」
といって私の顔を下から覗き込むようにした。
「まあ純子さんにそっくり!」
「ええ、私の田舎の姪なのですよ。」
「葬儀のときにはおられたかしら?」
「ええお手伝いに来ていましたよ。
でも台所などで裏方のお手伝いしてくれていましたので
会場では見かけられなかったのでは――――。」
母はうまく切り抜けたと思った。
「それにしてもそっくりですね。まるで瓜二つ。」
「いとこ同士はよく似るといいますから」
「お名前は?」
はっとした。母がくちごもってしまったのだ。
私はとっさに顔を起こしてそして、
「晶子です。」といっていた。
なぜか自然と口をついて晶子といっていたのだ。
そういえば幼い日、女の子の姿で姉と一緒に行った旅行先で、
私は晶子と呼ばれていたのだった。
「え・え・ええ晶子ですよろしくお願いしますね。
今度短大に通うために私のうちに住み込むことになったのですよ。」
口ごもりながらも母はうまい説明をしている。
こうして、晶の従姉弟である晶子が誕生した。
さっきの隣の奥さんとの会話は、2分か3分だったろう。
でも長い時間に感じられた。
やっと電車に乗り込んで少し落ち着いた。
電車はすいていたので座席がたくさん空いている。
「さあ座りましょう。」
私は座席に腰を下ろして、はっとした。
ミニ丈のドレスの裾から、立っているときは10cm位しか露出していなかった脚が、
座ると20cm以上もむき出しになっている。
あわててもう一度裾を押さえて座りなおした。
どうしてもかなり脚がむき出しになるのだ。
恥ずかしくて小さなバッグを膝の上に置く。
自然と太股をきつく閉める。
母が私の様子に気づいて微笑みながら私の耳元にささやいた。
「バッグで脚を隠そうというのはかえって不自然よ。
私だってスカートはミニ丈ですよ。
自然にスカートの上にバッグを置くほうがきれいよ。
ミニを履くときは足の美しさを強調するのがいいのよ。
それと脚を閉じているのはいいけれど、
私のように少し斜めに足を流すほうがきれいに見えますよ。」
私はもう一度立ち上がって母を真似て、脚を斜めに流して座りなおした。
それにしてもやはり恥ずかしい。
小学校のときは半ズボンで足を出していたが、
中学校に入って以来長ズボンしか履いたことがなく、
足を見せるということがなかった。
前の席に座っている女子高生風の子も短いスカートを履いているけれど。
大きなバッグでむき出した脚を隠している。
しかし足を広げているために下着が見えている。
恥ずかしいというのにはすぐになれるだろう
母の言うほうがなんとなく正しい気がした。
デパートに着いた。
母はまず、婦人靴売り場に私を連れて行った。
私はもう少し大きなサイズのパンプスがあればと考えて、
パンプスの陳列してある棚を見ていた。
「お嬢さん、どんなのをお探しですか?」
お嬢さんとは私のことなのだ、
そう感じて今の自分の姿が自然なのだなと安心し、
またなぜかすごくうれしかった。
母の声がした。
「店員さん!パンプスは後でいいからその娘に合うハイヒールをまず選びますわ。
純子こちらにいらっしゃいな。」
母はすぐ隣のハイヒールの陳列のところにいた。
ハイヒールといわれてもそんなのなれない私に履けるのだろうか?
不安な気持ちを抑えて母の傍にいく。
店員は私のドレスの色に合いそうな物として色はピンク・赤・グレーを勧めた。
形もいろいろあるので私にはどれがいいかわからない。
結局母と店員が相談していろいろ履き変えさせられて、
ピンクのハイヒールはひとつ選ばれた。
後は母が、黒とグレーのハイヒールを選んでくれてそれを買った。
次にパンプスを3足と、スニーカーを2足買うことになった。
「たくさんお買い上げいただいてありがとうございます。」
一度にたくさん買うものだから、店員は少し怪訝な顔をしながらこういった。
「ええ、この娘ね私の兄の娘なんです。今度短大に通うために田舎から出てきたの。
今3月でしょう?でもまだ高校生気分が抜けないから、
少し大人のファッション教えようと思っているのよ。それでいろいろ買ったんですよ。」
「まあ、優しいおばさんですね。お嬢さん幸せね。」
「ええ。」
あいまいに返事をしたが、
人にお嬢さんと呼ばれることに心が浮き立つ自分が不思議であった。

●「晶と純子」(実録二重生活)(その4)に続く

「晶と純子」(実録二重生活)(その4)へ

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