シーン0:女将の部屋
囲炉裏の側でキセルをふかす中年女。
みやが松に呼ばれて部屋に入ると、置き屋の女将松はいつになく上機嫌で、ゆらゆらと漂う紫煙を見ながら、時折ふと口許を歪めたりしていた。
「あの、お母さん。何か御用でしょうか?」
みやが躊躇いがちに声を掛けると、女将は目を細めてみやの顔を見た。
その粘着質な視線に、思わず顔を逸すみや。
長年、松と暮し、その気性をよく知っているみやは、それがよからぬ企みを秘めたものだとすぐに悟ることが出来た。
「あの、お母さん?」
何も言わぬ松に堪り兼ね、みやは改めて声を掛けた。
「あんた、よお見たら可愛らしい顔やないの」
戸惑うみやをよそに、松は開口一番、そう切り出した。
下手に応じては何を言われるか知れたものではない。みやはどう答えてよいのやら分からずにうつむいて黙り込んだ。
しかし、松は気にすることなく話を続ける。
「いや、ほんまやで。いつまでも子供やと思っとったけど、気が付かんうちにほんに大人になってもうて。金菱のボンが気に入るのも無理ないわ…」
大袈裟にそう言うと、松は感心したように頷いた。
しかし、みやの方は金菱の名前を聞き、首を傾げた。
「金菱…?」
「そや。あんた、この間、洛頂紡績のお座敷に呼ばれたやろ。それで金菱のボンがあんたのことえろう気に入ってもうてな、それで、あんたを写真のモデルに貸してくれんかと、そう言うんや」
写真のモデルと聞き、みやは驚いて顔を上げた。
芸術を気取った連中が、裸婦をモデルにしようと舞妓や半玉を安く借り出すことは珍しくなかった。
しかし、金菱の阿呆ボン、色きち社長の名前はみやも耳にしてよく知っていた。その金菱に写真のモデルを頼まれて、ただで済まされる筈は無かった。
「あ、あの、モデルなんて言いますのはうちやったことおへんし、出来たら、その…」
言いよどむみやに、松の顔色が変わる。薄い笑みは消え、松は身を縮めるみやを傲然と見下した。
「まさか断る言うんやないやろな?」
「出来れば…」
平伏して答えるみや。そんなみやを松は暫く睨み付けていたが、やがて顔を和らげると、大きな溜め息をついた。
「はあ…。まあ、あんたが嫌がるのも無理ないと思うけどな…」
「ほ、ほな」
松の言葉は退いたようにも思われ、みやの顔が一瞬明るくなる。
「勘違いしんとき」
ぴしゃりと言い放つ松。
「ええか、いときち。あんたも舞妓になったんやったらこういうお誘いはこれからいくらでも来る。そのたんびに、すんません、すんません言うてそれで済まされるとでも思とるんか?」
「そやおへんけど…」
言いよどむみや。
「なにもうちはあんたを枕芸者にしようとか思とるんと違うんやで。うちは置き屋であって遊郭と違う。芸妓に女郎の真似なんかさせたとあっては、この五条屋の格が落ちるいうもんや。そやけどな、お座敷に立ったらいろんな男が言い寄って来る。中には金菱の阿呆ボンみたいに、タチの悪い奴もおる。そやけど、そんな男をいなして、上手い事あしらうのも芸妓にとっては必要なんとちゃうか?」
その真意はいざ知らず、松の言葉はいかにも正論であり、反論のしようがなかった。それに、みやには五条屋しか身を寄せるところはなく、置き屋を追い出されては本当に体を売るしか術はなくなる。
仕方無しに、みやは首を縦に振った。悔しさのあまり自分の境遇を呪ったが、今はどうする事もできない。松の言うように、金菱の機嫌を損ねぬよう、上手くあしらうしか無いのだ。
「五条屋の看板、汚したらあかんで……」
観念したみやを見て、松はいけしゃあしゃあとそう言い放った。そしてキセルを改めてくわえると、さも満足そうにほくそ笑むのであった。