最終話「永劫回帰編」

 

 遥か昔、世界は無であり、そこには神と呼ばれる高次生命体のみが存在した。

 それは唯一にして完全なる意識体であり、それと同時に無数の自我の集合体であった。

 その、或いはそれら生命体はある瞬間に空間の広がりを生み出した。

 そこには断続的な時間の概念が生まれ、空間の広がりは宇宙となった。

 やがて神と呼ばれる意識体はそこに一つの機械を生み出した。

 それは物質生成の場と呼ばれるもので、広大な宇宙に星を生み、生命の芽を撒き散らした。

 そしてそれと同時に神は炎の中から天使を生み出した。

 しかし、炎には器が必要だった。

 炎のままでは意識の進化は無く、より高次の存在となる為には受肉が必要であった。

 一方で、惑星に根付いた生命はやがて進化し、新たな意識を生み出す事となった。

 複雑に進化し、発達した意識はそれそのものが神と同義であった。

 そして、神を内包する物質的存在をグリゴリと呼んだ。

 時間は何度も同じ場所を巡り、人は進化し、肉体の殻を捨てて高次の霊体となる。

 生まれた無数の意識体は神と意識を同一にし、そこには無限にして唯一の神の存在があった。

 点の集合は点であり、無限である。

 ある時、神はこの次元から消失した。

 そこには宇宙が取り残され、物質生成の場と天使は主を失い、無意味な反復運動を繰り返した。

 しかし、そこには二度と神と呼べるほどの高次の霊体は生まれることは無かった。

 

 サンダルフォンは塔最下層に残った悪魔達を集めると突如姿を消し、位相のずれた亜空間に姿を現した。ベリアルもその後に続いたが、そこは薄明の空間と呼ばれる場所で、ただ空間全体がぼんやりと輝くだけの、地面も何も存在しない虚無の空間であった。

「こんな位相のずれた何もない世界に一体何の用があるというんだ?」

 ベリアルはサンダルフォンに質した。サンダルフォンは例によってぶっきらぼうに応じるが、今更ベリアルも気にも留めない。

「地底世界が崩壊する寸前に小さな意識が二つ、この世界へ移動した」

「ほう?」

 ベリアルはサンダルフォンの言葉に興味を惹かれた。

「自力で逃れてきたと言う事は、それなりに力のある悪魔が生き残ったということかな?」

「或いは覚醒したグリゴリか…」

 サンダルフォンの言葉に、ベリアルは思わず失笑した。

「そんなロマンティックな事は言わないでくれよ。それに、今更我々の戦力に二匹の悪魔が加わろうとそれがグリゴリだろうとたいした違いはないさ。迎えに行くだけ無駄というものだ。どうせ宇宙は終焉を迎えるのだからな。この薄明の空間でどれほど生き延びられるかは知らないが、そっとしておいてやらないか?」

 苦笑混じりに諭すベリアルであったが、しかしサンダルフォンは頑なであった。

「お前はグリゴリの女王の言葉を耳にしなかったか?奴は真なるグリゴリと何者かに語りかけていた。それに、一瞬だがナンバーゼロの意識が外界に飛んだ。もし力ある二人のグリゴリが誰かを助けたのなら。それはグリゴリにとって重要な存在であるとは思わないか?」

「やれやれ、今更時間の無駄だと思うがね…」

「いずれにしても、此処に現れた二つの意識を見つければ答えははっきりする。それに、時間や空間の概念は我らには意味を成さないと言う事を忘れたか?」

「いや、私が覚えているのは自分が如何にお人好しで付き合いの良い悪魔であるか、だけだよ…」

 にやりと戯けてみせるベリアル。それを一笑に付するサンダルフォン。

 

 サンダルフォンが感じたという二つの意識は綺沙羅と羅瑠であった。二人は地底の崩壊に巻き込まれそうになった時、気を失ってしまい、気が付くとこの薄明の世界にいた。

「私達、死んじゃったのかな?」

 周囲を見回し、その世界に何も存在しない事が分かると、綺沙羅は首を傾げた。

「う〜ん…」

 綺沙羅の言葉に、腕を組んで考え込む羅瑠。しかし、綺沙羅の問い掛けに応じたのは別の声であった。

「お前達は死んだわけではない。此処は薄明の世界。元の世界とは少し位相のずれた亜空間だ…」

 驚いて振り返ると、そこには端正な顔をした若い男と、ラシュミラの国を襲った悪魔の司令官が立っていた。

 悪魔の姿に驚いた綺沙羅は顔を強張らせて羅瑠を腕の中へ引き寄せた。一瞬、脳裏に死の予感がよぎるが、二匹の悪魔は予想に反して襲ってはこなかった。

「怯えることはない。もう、事は終わったのだ」

 サンダルフォンは震える綺沙羅に向かって静かに告げた。実際はベリアルが言うように、彼は生き残った少女達が真なるグリゴリであるなどとは本気で考えてはいなかった。見れば霊位もあまり高くなく、矮小で非力な存在である。

「案ずることはない、私達はお前に危害を加えたりはしない」

 もう一度告げるサンダルフォン。その声に優しさはなかったが、それは穏やかなものであった。

「やれやれ、君は一体何がしたいのかね…」

 ベリアルは呆れた声を出した。驚かすつもりが無いのなら初めから少女らの前に姿を現さなければ良かったのである。

「此処にいても死を待つのみだ。私と共に来るがいい。心配することはない」

 ベリアルはサンダルフォンの言葉にますます不可解な顔をした。享楽主義を自称する彼にもサンダルフォンの行動は理解できなかった。今更改心したというのでもあるまい。

「いやはや、道化の楽しみを奪われてしまったな…」

 しかし、サンダルフォンの行動が最も理解できなかったのは、他ならぬサンダルフォン自身であった。自らを悪魔と割り切り、他の惑星の生物を蹂躙し、仲間さえも平気で裏切る。それが今更二人の少女に憐憫を示すなど、神も噴飯するというものだ。

「…お願いです。何処かへ行ってください」

 ふと、今まで押し黙っていた綺沙羅が言葉を発した。彼女は恐怖を感じ、まとまらない考えを無理矢理まとめようとしていたのだ。今更、非力な自分達を罠にかける意味など無く、悪魔の言葉は本心なのかも知れない。だからといって悪魔達に助力を求める訳にもいかない。片方の黒い悪魔は嬉々としてラシュミラの国を蹂躙し、そして何より澪とむつみは悪魔に殺されたのだから。

 そう考えた綺沙羅は最低でも二人で生きていこうと決意した。

 綺沙羅はおもむろに立ち上がり、何も返事をしないサンダルフォンに背を向けた。そして上下の別もない薄明の世界を歩き始める。

 去り際に、羅瑠は憎しみを込めて悪魔達にあかんべえをした。その無邪気な顔にベリアルは肩をすくめ、苦笑いするが、サンダルフォンは黙って二人が去るに任せようとした。

 しかしその時、その場に居合わせた誰もが驚くべき自体が起こった。皆の頭の中に、何者かが呼び掛けてきたのだ。

「綺沙羅、悪魔に背を向けてはいけない。あなたはまだ、見ることを放棄してはいけない。サンダルフォンよ、その娘をこの世界で朽ちさせてはいけない。あなたの目的の為にも綺沙羅を私の元へ!」

 それは戦渦の中で綺沙羅に語り掛けてきた声、ナンバーゼロと名乗る謎の声であった。

 

 数刻後、綺沙羅と羅瑠はサンダルフォン達に連れられて地底を照らしていた太陽の塔の、その最下層にいた。今や塔は崩れ、地底世界も崩壊した為そこは地中深くに埋もれていたが、この最下層だけは土に押し潰されることなく機能していた。

 今、綺沙羅の目の前にあるのは巨大な柱。天井が見えないほどの高い部屋の中心に水晶で出来た柱が立っていた。それは結晶が螺旋状にうねり、中心に従って細くなっている。そしてその中心には瑪瑙らしきもので出来た卵状のカプセルが挟まれていて、内部から発光しており、それは時間と共に万色に変化していた。

 柱を見上げる綺沙羅と羅瑠、そしてサンダルフォン達。綺沙羅が柱の中心を見つめていると、やがて瑪瑙が透明度を増していき、次第に中が透けて見え始めた。うっすらと透ける球体の中心には身体を丸めた裸の少女が浮かんでいる。どうやらそれが件のナンバーゼロなのだろう、綺沙羅はその姿をもっとよく見ようと柱の中心に目を凝らした。

「…あれは、むっちゃん?」

 最初に口を開いたのは羅瑠であった。

 完全に透過した球体に中心には、爆風に巻き込まれて死んだと思われていたむつみが浮かんでいたのだ。

「むつみ、むつみなの!?」

 悲鳴のように呼び掛ける綺沙羅。

 しかし、必死に呼び掛ける綺沙羅を制し、サンダルフォンが一歩前に出た。

「どう言うことだ、ナンバーゼロ。此処で捕らわれているお前が何故この娘と関わりがある?私にこの娘が必要だとはどう言う意味だ?」

 サンダルフォンの問い掛けに、球体の中のナンバーゼロはゆっくりと身体を伸ばし、瞳を開いた。

 固唾を飲んで見守る一同。ナンバーゼロはその場に集まった一同を見回すと、やがておもむろにその口を開いた。

「…私はむつみではありません。私はこの惑星で一番最初に覚醒したグリゴリ、ナンバーゼロ」

「ナンバーゼロ…って、その姿はどう見ても、私達と一緒に旅をしてきたむつみにそっくりなのに」

 綺沙羅の言葉にナンバーゼロは頷いた。

「私のこの姿は私がまだ人間だった頃の姿。これは単なる映像。私の本質はこの部屋そのものなのです」

「でも…」

 首を傾げる綺沙羅。しかし、ナンバーゼロはそれにはかまわず話を続けた。

「私の元の身体はグリゴリの本質を調べようとした悪魔達によって分解され、情報化されてしまいました。肉体を失った私にあてがわれた新たな身体がこの柱を中心とした部屋そのものだったのです」

「…そんな、酷い」

 ナンバーゼロの言葉に綺沙羅は胸がむかつき、思わず呟いた。悪魔の横顔に詰るような視線を向けるが、サンダルフォンもベリアルも罪悪感の欠片もない平然とした表情を浮かべている。

「むつみは身体を失った私の知覚が実体化したものでした。外界からの感覚を遮断された私は意識を外に向け、知らずにむつみを生み出したのです。しかし、むつみは私の影でありながら別の人格でした。だけど私はむつみの感覚を通して外の世界を見ていたのです」

「驚いた、グリゴリってのは悪魔より何でもありなんだねぇ…」

 今度はベリアルが思わず口にした。その軽口を叩くベリアルをサンダルフォンは視線で黙らせると、再びナンバーゼロに質す。

「外の世界を見て何が分かった?お前は我々の知らない何を知った?」

「むつみは単なる私の影ではなかった。むつみの意識を通して分かったことは、むつみが純粋なグリゴリの思念であり、本人も知らない内にそこに存在する思念を吸収するということだった。この陰惨な世界で他者の感情全てを知覚することの出来るむつみは小さな心を破壊されて言葉を失った。しかし、そこには群体魂ともいうべきグリゴリの種としての意識が芽生えた。そして、真なるグリゴリが目覚める時、彼女はその礎となることを決めたのです」

「それがこの娘だというのかっ!?」

 サンダルフォンはナンバーゼロの言葉を遮った。

「何の力も持たないこの娘が。こんな霊的位階の低い生物がか??」

「グリゴリの力は何も特別なものではありません。霊的位階の低い生物であったとしても、そこには無限の可能性が秘められている。その可能性を守る為に、あなたは機械の神に対して反旗を翻したのではなかったのですか、ルシファー?」

 ナンバーゼロの言葉に、サンダルフォンは苦渋に満ちた顔をした。

「…私をその名で呼ぶな、ナンバーゼロ!」

「かつてあなたは自らの翼を焦がして文明の火を盗み、人類に与えたという。それは人間の可能性が何処まで伸びるのかを確かめたかったからなのではないのですか?明けの明星、神の玉座に最も近い者として兄メタトロンと共に讃えられた天使よ」

 ナンバーゼロの言葉に、サンダルフォンは忌々しげに舌打ちをして顔を背ける。その様子がおかしいのか、ベリアルは笑い声を上げたが、サンダルフォンの射るような視線に取り敢えず咳払いをする。

「お前はこの娘が私の目的の為に必要だといったのではなかったのか?こんな小娘に、神の軍勢をうち負かし、機械の神を無に帰すことが可能だと言うのか?」

 忌々しげに言葉を吐き出すサンダルフォン。しかし、ナンバーゼロは平然と首を縦に振った。

「あなたはこの惑星の情報伝達網を復活、更に進化させてこの星そのものを複雑なニューロンネットワークを持つ一種の生物と化した。そこに私という意識を流し込み、天使を打倒する惑星兵器に仕立てた。そして、それだけでは不十分だと考えたあなたはもう一つの切り札として周囲のもの全てを吸収し、成長し続ける魔物ベルゼブルを復活させた。しかし、ベルゼブルは期せずして打倒された」

「この娘がベルゼブルに匹敵するというのか?」

「いいえ、力では遠く及びません。しかし、彼女は機械の神を抑制する力を持っている」

「莫迦な!物質生成の場である機械の神はどんな生命もエネルギー体も分解してしまう。こんな小娘、近付く前に霧散してしまうぞ!!」

「私が綺沙羅を機械の神の中心に送り届けます…」

「ちょっと待って、ナンバーゼロ。私は澪やラシュミラみたいな力はないし、その何とかって言う神を抑制するなんて事、出来るわけがないわっ!!」

 突然、今まで事の成り行きを見守っていた綺沙羅が話に割り込んだ。

「かも知れません」

「かも知れませんって、そんな無責任な…」

「あなたは選ばれた人間なのではありません。また、特殊な力を受け継いできたわけでもない。結果論で言うならば、そこに居たのがあなただから、これはあなたにしかできないことなのです。あなたは澪と出会った。むつみと出会った。ラシュミラと出会った。それがあなただった。そして綺沙羅、あなたは今やある意味むつみと同じ存在なのです」

「そ、そんな、分からないよ…」

「今は分からなくてもかまいません。いつかは、いえ、分からないままでも、あなたは既に知っています」

 分からなくても知っている。綺沙羅はますます訳が分からなくなった。しかし、自分にもし何らかの力があるのなら、それを使って羅瑠を守ってやらなければならない。

「ともあれ…」サンダルフォンが口を開いた。「ともあれ、それが罠であれお前の言葉に乗せられてやろう。どのみち負け戦だ。なら、少しでも機械の神に痛手を与えた方がましというものだ」

 サンダルフォンの言葉に頷くナンバーゼロ。最後の決戦に向け、かつて地球と呼ばれた惑星は大きく身震いをした。

 

「それで、具体的にはどうするんだい?闇雲に敵軍に飛び込んでいくのは無謀というものだ。それに、そのグリゴリの少女が実際何をしてくれるのか僕には分からないのだがね」

 不意にベリアルが問い掛けた。

「先程も言ったように綺沙羅には物理的な攻撃力はありませんが、機械の神を制御できうる存在なのです。どのようにするのかは私にも分かりませんが、死せるグリゴリの魂がそれを告げているのです。澪と出会ったことやその側にむつみがいた事。ラシュミラの国に行ったことやそこで起きた出来事が彼女をグリゴリと成したのです。その位置にいたのがたまたま綺沙羅であった。それは運命と呼ぶしか私には分かりません。ともあれ、私はグリゴリの意識に従って綺沙羅を機械の神の中心近くに送り届けなくてはなりません。あなた方には綺沙羅が乗る船を用意してもらいたい。後は私がやります」

「やるって、何をする気だい?いくら君でも正面からぶつかるのは自殺行為だ」

 再びベリアルは質した。

「自殺行為と言っても失敗すればどのみち宇宙は塗り替えられてしまいます。どちらにしても同じ事でしょう。それに、私の質量と霊力を持ってすれば如何に機械の神と言えど簡単には分解できません。綺沙羅が機械の神の元へ辿り着けば、それで私の役目は終わりです。あなた方は綺沙羅が安心して行動できるよう、そこの幼い少女を守っていただきたい」

 ナンバーゼロはそう言って綺沙羅に寄り添うように立つ羅瑠を見た。その場にいる全員の視線が羅瑠に注がれ、羅瑠は怯えて思わず綺沙羅にしがみついた。

「嫌だ、僕は綺沙羅と離れない!」

 力を込めて綺沙羅の腰にまとわりつく羅瑠。羅瑠は綺沙羅の身体に顔を押し付け、鼻をすすり上げた。密着した肌に熱い感触が伝わり、綺沙羅は羅瑠が涙を流していることを知った。

「取り敢えず、」ナンバーゼロがなだめるように話しかける。「取り敢えず少しの間、二人共休養をとった方が良いでしょう」

 言われて綺沙羅は頷いた。羅瑠と離れたくないのは綺沙羅も同じであったが、今は羅瑠を守る為に戦わなくてはならない。

「部屋を用意させよう」

 そう言って背を向けるサンダルフォン。しかし、不意に振り返ると再びナンバーゼロに視線を向ける。

「この宇宙に機械の神から逃げおおせる場所などはない。少なくとも私はお前に同行するぞ」

「それはかまいませんが、わたしにはあなたにかまえるほどの余裕はありませんよ」

 ナンバーゼロの言葉に、鼻を鳴らすサンダルフォン。

「無論だ。私は天使共とやり合えればそれでいい」

 その言葉に傍らにいたベリアルも便乗する。

「ああ、それなら僕も付き合うよ。ピクニックは大勢の方が楽しいだろう?」

「御随意に…」

 言葉少なに承諾の意を示すナンバーゼロ。承諾を得た二匹の悪魔はその場を立ち去り、それと入れ替わりにサンダルフォンの配下であろう美しい女性が現れた。

 現れた女性はテチアルと名乗り、綺沙羅と羅瑠を部屋に案内してくれた。案内された部屋は豪華な造りで、毛足の長い白い絨毯が敷き詰められており、壁に窓はないものの正面には聖者の描かれた荘厳な宗教画が掛けられていた。また、二人が休む為には天蓋のある大きな寝台が置かれており、綺沙羅と羅瑠は思わず喚声を上げた。

 そんな二人を余所に、事務的な様子のテチアルは湯と着替えを用意して現れ、二人の身体を綺麗にしてくれると、フリルの付いた白いベビードールを着せてくれた。

「他に何か用事があればそこにあるベルを鳴らしてください」

 テチアルは寝台横にある卓上のハンドベルを示し、そのまま部屋を後にした。

 テチアルが居なくなると緊張が解けたのか、羅瑠ははしゃいで寝台に飛び込んだ。金銀の精緻な刺繍が施された羽毛布団が優しく身体を包み込み、これまでの疲れが癒さていく。 しかし、はしゃいでいたのも束の間、羅瑠は天蓋を仰ぎ見、何を思うのか溜息を吐き黙り込む。

「どうしたの?」

 そう言って綺沙羅も寝台の上にあがり、羅瑠の頭をたぐり寄せ、優しく頭を撫でてやる。

「…澪は帰ってこなかったけど、綺沙羅は必ず戻ってくるよね?」

 羅瑠の言葉に綺沙羅は即答できずに息を呑んだ。

「あ、当たり前じゃない」

 辛うじてそれだけを口にする綺沙羅。羅瑠はその言葉の意味するところを子供ながらに敏感に感じ取り、綺沙羅の身体にしがみついた。

 子供のようにしがみつき、鼻をこすりつける羅瑠。

 綺沙羅は片方の乳房を、まるで母親がするようにそっと口に含ませた。

 太股を絡ませ合い、互いの身体の体温と存在感を確かめ合う二人。

 

 その後、十分に休養を取った綺沙羅はテチアルに案内され、用意された船に乗り込んだ。船と言っても全長が五メートルくらいの木の葉型のボートで、白いカプセルといった感じの小さなものである。上面が開き、中には綺沙羅一人が乗り込める程度のコクピットがあり、シート以外の装備は見当たらなかった。

 そのシートは象牙色で、見たところ固そうな感じがしたが、座ってみると意外に柔らかく、綺沙羅の身体に合わせて包み込むように形を変化させた。

「棺桶みたい…」

 ふと、そんな言葉が口を突いて出る。

「蓋を閉じると全方位に船の状況が映し出されます。操縦に関してはあなたの意思で動くので特に何をしなくても大丈夫です。アンチバリアーが敵を寄せ付けませんが攻撃力は低いので気を付けてください」

 最後に御武運を、と付け加えるとテチアルは船を閉じた。すると船の周囲が映し出され、まるで宙を浮いているような錯覚を覚える。

「用意が出来たようですね」

 不意にナンバーゼロの声がした。

「これから天使の軍勢に突貫します。衝撃があるかも知れませんから気を付けてください」

 ナンバーゼロの言葉に、綺沙羅は自分を鼓舞するように頷いてみせる。

 すると突然船の周囲がぐらりと揺らいだ。

「…始まった!」

 思わず口にする綺沙羅。

 宇宙では地球と同化したナンバーゼロが、戦闘の為に身体を変貌させつつあった。

 

『来ルヨ、来ルヨ…』

『ばはむーとガ…』

『悪魔ガ来ルヨッ!!』

 神の戦列にいた異形の天使、幼児の顔を持つ四面のケルビム達がナンバーゼロの霊的波動を受けて騒ぎ出す。

 かつて地球と呼ばれた星では天変地異が起こり、天上の月は大地に喰われ同化し、星全体が刻々と変化していった。そして、そこへ波動に影響を受けた下級の天使達が奇声を上げて姿を変えゆく地球へ飛び込んでいく。しかし、それらはナンバーゼロの霊的波動によって分解され、吸収されてしまう。

 天使達はただ地球の変化を見守るしかなく、やがて地球は巨大な龍魚のような姿に変じた。

 

 バハムート。イスラムの伝承において、この名前は巨大な牡牛クジャタが乗る大魚の名前であり、クジャタの背中には大きなルビーが乗り、その上に天使が立って大地を支えている。

 

 うねりを上げた巨大な龍魚は神の戦列に飛び込んだ。巨大な霊力で灰燼と化す天使の軍勢。しかし、圧倒的な力を誇るバハムートの前に、天体級の巨大な天使、メタトロンが立ちはだかる。雌雄同体に両生類のような顔をした天使は怒りを露わに全身でヴァイブレーションを起こし、巨大な龍魚と化した地球を迎え撃った。

 

 一方で、天使の軍団に矛を手にしたサンダルフォンが闘いを挑んでいた。魔獣オルトロス二頭立ての戦車に乗り、矛を振り回すサンダルフォン。

 傍らには足萎えの悪魔、ベリアルが同じように戦車を駆り、剣を振るう。

 下級天使ではサンダルフォン達に歯が立つ筈もなく、サンダルフォンは憎悪と憤怒を露わにして次々と天使達を葬っていく。

 しかし、その前に金や銀の鎧をまとった天使の軍団が現れた。

「ドミニオンズか…」

 呟くサンダルフォン。しかし矛を一閃、横薙ぎに、手近にいたドミニオンの首を撥ねる。それを皮切りにドミニオン達と刃を交える二匹の悪魔。

 力の差は歴然であったが、しかし多勢に無勢。次第に疲弊し、追い詰められていくサンダルフォン。そこへガルガリン二体を足にした天使が現れた。雷の天使と呼ばれるラミエルである。

「ルシファー。今更貴様等二匹が我々に立ち向かったところでどうなるものでもあるまい。温和しく神の軍門に下るが良い!」

 しかし、ラミエルの申し出をサンダルフォンは一笑に付した。

「笑止。悪魔が悪魔である所以は神にまつろわぬ事だ!!」

 言うや、ラミエルの頭部目掛けて矛を振り下ろすサンダルフォン。

 ラミエルはサンダルフォンの矛を剣で払うと、その剣先から強烈な電撃を放出した。

 雷に打たれて苦悶の声を上げるサンダルフォン。その隙を突いてラミエルは剣を振りかざして襲い掛かるが、サンダルフォンは咄嗟にそれを矛の柄で受け流した。

「断罪の雷、身に染みたか!」

 剣を二撃、三撃と繰り出すラミエル。サンダルフォンは疲れの色を見せながらも、それでもラミエルの剣をことごとく受け流す。

「玩具の火花など蚊ほどにも感じぬ…」

 疲労困憊しながらも不敵な笑みをこぼすサンダルフォン。ラミエルはその表情に気色ばみ、再び雷撃を放出する。

「強がりを!神の身元を離反した貴様の身体、受肉して脆くなっておろうが。裁きの雷で滅せよ!!」

 激昂は冷静な判断を失わせる。サンダルフォンは的確に相手の剣先を読み、次の瞬間、サンダルフォンの矛の先がラミエルの手元から雷の剣を弾き飛ばした。

 間髪入れず、ラミエルの胸元を刺し貫くサンダルフォン。

「滅ぶにはまだ道連れが足りぬ…」

 サンダルフォンは視線を落とし、そう呟いた。

 

 一方で、バハムートの体内にいた綺沙羅は外の様子が気になっていた。すると、彼女の意思に反応してか、コクピットの内壁に宇宙での戦闘の様子が映し出された。

 画面では龍魚となったナンバーゼロが巨大な天使に頭から突貫しており、巨大な天使はそれを必死に支えていた。

 周囲には翼を持つ猿のような天使が奇声を上げながら取り巻いているが、両者の波動によって近付く者は皆蒸発させられていった。

 余人を許さぬバハムートとメタトロンの攻防であったが、力が拮抗しているのか両者は殆ど動けなかった。

 その時、不意にバハムートの視線の先、メタトロンの背後に光の球が近付いてくるのが分かった。直感的に綺沙羅はそれが機械の神だと理解した。

 バハムートもその事に気が付いたようで、メタトロンを押し戻そうと、更に全身の力を振り絞る。

 しかし、メタトロンも押し戻されまいと、身体を共振させてバハムートを解体しようとする。

 地殻が剥がれ、全身で咆哮を上げるバハムート。音が伝わる筈もなかったが、それでもその悲鳴は綺沙羅の耳に届き、心を締め付けた。

「頑張って、ナンバーゼロ!!」

 拳を握りしめ、必死に願う綺沙羅。すると突然、綺沙羅の手から光の粒子が浮かび上がってきた。

「何、これ?」

 首を傾げる綺沙羅。しかし光の粒子は綺沙羅の手にとどまらず、身体から、船からも漂い始める。

 そしてそれはやがてバハムート全体を包み込んでいった。

『死せるグリゴリ達が私に力を与えてくれる』

 不意に、綺沙羅の耳にナンバーゼロの声が届いた。

 それと同時にバハムートはメタトロンをどんどん押し返し、ついにはメタトロンの背後に居る機械の神にまで到達する。

 しかし、機械の神は黙って見てはおらず、その球体の身体を更に発光させた。

 苦痛に身を捩るメタトロン。機械の神はメタトロンごとバハムートを消滅させようとしているのだ。

 その事を察知したバハムートは盾となっているメタトロンの身体を刺し貫き、鼻先を発光体の表面に突き立てた。

 機械の神によって素粒子レベルまで分解され、消滅するメタトロン。バハムートは咄嗟に綺沙羅の乗った船を吐き出し、機械の神内部に送り込むと、やがてメタトロンと同様、機械の神の発する光に飲み込まれ、分解されていった。

『後は頼みましたよ、綺沙羅…』

 それがナンバーゼロの最後の言葉だった。

 

 一方でバハムートがメタトロンを押し返しているのをサンダルフォンは視界の端で捉えていた。

 しかし、周囲には無数の天使達が尚も取り巻いており、サンダルフォンに休む間も与えずに次々と攻撃を仕掛けてくる。

 二頭のオルトロスが天使の剣に倒され、サンダルフォンは戦車から飛び降りた。不意にベリアルがどうなったのか気に掛かったが、垣間見る間もなく好機と見た天使達が殺到する。

 手傷を負いながらも孤軍奮闘するサンダルフォン。

 するとバハムートがついに機械の神に到達するのが見えた。

 瞬間、天使達の動きが止まり、サンダルフォンは一気に周囲の天使達を薙ぎ払う。

 そこへ全身血塗れになったベリアルが姿を現し、再び襲い掛かろうとする天使二人を手にした炎の剣で切り捨てた。

 見るとベリアルも相当の手傷を負っており、白く美しい顔には右目の上から斜め下に深い傷が出来ていた。

 口の端に血を滲ませ、凄惨な笑みを浮かべるベリアル。

「そろそろ限界なんでね、お別れの挨拶に来たよ…」

 そう言うとベリアルは両手を拡げ、盟友と抱き合った。

 しかし、次の瞬間、サンダルフォンの顔が苦痛に歪んだ。

 見るとベリアルの剣がサンダルフォンの脇腹を深々と刺し貫いている。

「ベリアル、貴様…」

「君は宇宙の再編する瞬間を見ることもなく、此処で消滅するんだよ。ああ、絶望に打ちひしがれた苦悶の表情は何と美しいのだろう。だが勘違いしないでくれよ、友よ。これは復讐じゃないんだ。僕は僕の楽しみの為だけに行動する。最期に希望の浮かんだ君の顔が絶望に変わる瞬間を見られて嬉しいよ…」

 そう言うとベリアルは、手にした剣を更に深く押し込み、肺腑と内蔵を刺し貫く。それと同時に無数の天使の剣が二人を切り刻んだ。

 

 ナンバーゼロによって機械の神内部に送り込まれた綺沙羅は船を通して周囲を窺った。実体のない光球に見えた機会神であったが、内部は空洞で、地殻から無数に伸びた繊維質の柱に支えられており、中心には卵の黄身のように黒い球体が浮いていた。柱自体が明滅を繰り返すので内側は暗くはなく、綺沙羅はともかくその中心にある黒い球体へと船を向けた。

「地球がぶつかるほどの大きさだもん、結構大きかったのよね…」

 近付いてみると球体は相当に大きいことが分かった。表面は黒い金属質の壁で覆われており、無数の空気孔の様なものが見えた。球体の大きさに比例してその孔自体も大きく、綺沙羅はそのまま内部に侵入できると考え、そのまま船を進めた。

 内部は入り組んだ迷路の様であったが、中心と思しき方向から光が見えた。

「何だろう?」

 綺沙羅は呟くと、その光のある場所へと向かった。

 すると光が次第に強くなり、船は球体の中心らしい広間に出た。

 そこでは硝子質で出来た壁が規則的に明滅し、それが光の発信源となっていた。

 綺沙羅は船から降り、周囲を見回した。

「此処が中心なのかな?」

 呟く綺沙羅。するといつの間に現れたのか、背後から女性の声がして、綺沙羅は驚いて振り返った。

「ようこそ、グリゴリ……」

 それは黒いドレスを身に纏った美しい女性で、地面にまで伸びた長い髪が身じろぎする度にさらさらと揺れていた。

「あなたが機械の神なの?」

 綺沙羅は質した。

「そうです、私が機械の神の意識体。あなたは今、私の内部にいるのです」

 そう答える黒い女性。一見すると柔和に見えるその女性に首を傾げる綺沙羅。

「あなたはどうして地球を滅ぼしたの?いいえ、何故宇宙の文明を滅ぼすの?」

「それは、グリゴリを…真なる神を生み出す為」

 綺沙羅の問い掛けに、静かに答える機械の神。

「神を生み出す?」

「そうです、かつて神と呼ばれた存在の遺伝子を、私は宇宙へばらまいた。それは刻印と呼ばれ、その刻印を持つ知的生命体は神と同義の意識体へと進化する、その可能性を秘めているのです。そしてそれは種としての存続が危険に晒された時に発現する。だから私はいくつもの文明を生み出し、何度もそれを消滅させた」

 機械の神の言葉に、綺沙羅は天使の軍団が何故、惑星ごと消滅させなかったのかに思い至った。これほどの力を持つ存在なら、そのくらいの事は簡単に出来た筈である。機械の神は、真なる神を生み出させる為に知的生命種を生殺しにする必要があったのだ。

「そんな、酷い……」

 言葉を失う綺沙羅。しかし、機械の神の表情には感情らしきものは伺えなかった。

「私は機械。単なる物質生成の場。あなた方の言う感情は持っていません」

「そうまでして神を生み出して、それにどんな意味があるというの?人間はあなたの玩具じゃないわ!」

「私の存在意義は神の望む宇宙を生成すること。しかし、この宇宙からは神は消え、それが出来なくなってしまった。だから神を生み出す為に私は同じ事を繰り返し、連鎖を断ち切る特異点の出現を待った……。だからグリゴリよ、私を制御して新たな宇宙を生み出すのです。永遠に繰り返す歴史に終止符を打ちなさい」

 そう言われ、綺沙羅は逡巡した。

「私には、そんな力は……」

「いいえ、あなたはただ私と同化して望めばいい。あなたは夢見る者となり、この宇宙そのものとなるのです」

 次の瞬間、視界が途切れ、全てが光に包み込まれてしまった。それは綺沙羅の魂が肉体を離れた瞬間でもあった。

 意識は宇宙全てを知覚し、時間の流れを感じ、歴史と共に存在した。

「私は夢見る者である、宇宙そのもの……」

 宇宙の始まりは光であった。

 

 木漏れ日の中、うたた寝をする少女。学校の制服のまま鞄を放り出し、優しく頬を撫でる風に時折寝返りを打つ。

 風の音と木の葉のざわめく音しか聞こえず、空を流れる雲が時間の流れを表す以外は全ての刻が止まったようにも感じられる。

 やがて、眠る少女の傍らに別の少女が現れると、寝ている少女の前髪を優しく払いのけ、安らかな寝顔を覗き込んだ。

「ん……あにゃ。あんまり気持ちよくて、いつの間にか寝ちゃった」

 重い瞼を擦り、上体を起こす少女。

「こんな処でうたた寝していると、風邪ひくよ。ほら、よだれ」

「……えへへ。ところでさ、なんかさ、夢見てた」

「どんな夢?」

「分かんない、変な夢」

 立ち上がり、スカートをはたく少女。

 二人の少女が立ち去った後、一瞬木々がざわめき、風に揺られて薄桃色の花弁が一枚、ゆっくりと舞い降りてきた。

 

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