「…長かった…」
腕を拾い上げる。硬く御霊に食い込む指。ちぎれた破片だというのに。その意思の強さを示すように御霊を離さない
マニキュアも塗られていない爪は、血で濡れ。飾られたようで
何度も握ったその腕を抱きしめる
そして御霊。それに力を注げば鬼の血は封じられ。解き放てば…
「純、早く封印を」
卜部が叫ぶ、どうやら鬼門を食い止めてくれているらしい
その声を聞きながら、純は数歩前へ進み出る。自然な足取りで。自信に満ちた風格で。戦闘の中心で倒れる楓を抱き上げ
振り下ろされた鬼門の攻撃を避け。楓を抱きしめる
「お兄ちゃんっ」
…聞き覚え有る声を受けながら、純は…
跳んだ
苦にもならないこと
幸いこの空間の天井は高い。死闘を繰り広げる皆本や鬼門の頭上を越え。空間の端に降り立つ
腕の中に、半死半生の楓を抱え、御霊を掴みながら
「長かった…」
辛うじて、楓には息がある。その唇を自分のそれで塞ぐ
戦いは、ゆっくりと鎮まっていく
「長かった…」
鬼門も皆本も、純を見る…それしか出来ず
「飢えていた…自分が飢えていることを忘れるほど長い刻。飢餓に囚われていた」
呟く声は、静寂が満ちるのみとなったそこに静かに拡がり
「母さんの乳を吸っていたときに思い切り噛みついたことがあったらしい。歯もない子供の頃だけど…その頃は、自分が飢えていることも分かっていた。だからよく泣いたらしい…」
声は明朗で。惹きつけるような何かを持ち
「餓えていることを忘れるほどの飢餓。それは…食事の仕方を知ってしまったことで、より強く自分を締め付けた」
腹が減ったと身体が叫ぶ。けれど…食事は出来ず
「腹が減った…」
御霊を見つめる…遠く離れていた、半身
「純!」
叫ぶのは卜部…何かを恐れるように、純を見つめ
「は…早く封印しちまえよ、人間になりたいんだろう?」
そんなことを…言ってくる
純が浮かべる笑みは、どこまでも深く優しげで
「飢えていた…まともな食事を一度もしていなかったんだから。子供の頃は本当に辛かった」
呟きは、懺悔のようで
「つい最近、食事の方法を知ったけど…それでも喰えなかった。まだ戻れないから……まだ……鎖がココに残ってるから」
とんとんと、胸を叩く
そして
「ようやく…戻れる」
御霊は。本来あるべき処へ戻った
人の身が無くなったことで急速に飢えが沸き上がる
御霊を飲み干す純は…愕然と狂気の視線を向けてくる鬼門と、皆本に見守られながら
巡り来た喜びに笑みを漏らす
狭い空間で木霊する小さな笑い
小さな声で。響き渡る重さで。腕に確かな重みを抱えながら…千年ぶりの自由に驚喜する
このまま何時までも。喜びを称え続けたい…が、飢えは深刻で
腕がちぎれ落ち。全身に傷を負った楓は重体だ…
そっと……楓を抱える純
そのまま…跳び上がり
「くっ…」
慌てて皆本が戦闘態勢を取るが…まだ、迷いがある
まだ。仲間だった頃の自分を重ねている…苦もなく。仲間達の元へ降り立つ
それでも。鬼門の御霊を喰らった自分にひかるや鋼、由里は危機感を抱いたようだ…武器を向け…
「これで、鬼門の枷から逃れられるっ」
喜び、声を上げながら由里に無防備な身体をさらけ出した
…分からぬ事が多いのだろう。純は間違いなく鬼門の御霊を喰らい…けれど。その身からは鬼門の気配はせず。今…いつもの笑顔で由里に抱きつき
鬼門の枷から外れたいとは。彼が…語った言葉。そのために御霊をどうにかしたいと…
何が起こったのか、はっきり説明してくれる人が居ない。はっきり説明される現象がない
鬼門も皆本も。純の言葉を咀嚼するように理解しようとし…矛盾する内容に戸惑い
純が由里に抱きついた…片腕に楓を抱えたまま。優しく…由里を抱き
「鬼門の枷が…ようやく外れるんだ」
その言葉には安堵する…鬼門から逃れたいと言っているのなら
…純はまだ、人間のはずで…
由里は、微かな希望…自分が望む結果を真実と信じ
…由里を抱きしめたまま。純は笑った…かつて、由里を犯しながら笑ったように…
「ようやく…飢えを満たすために人が喰らえるんだから」
「純んんん!!!」
卜部が斬りかかってくる…
鋼よりひかるより。彼が最も早く気付いたようだ…けれど。遅い
由里の首を掴むと、卜部の木刀にかざしてやる…慌ててそれを止める卜部に。由里と楓を抱えたまま跳び上がり
卜部の頭を踏んで、再び宙を舞う
「くぅっ…」
希美子の銃弾が掠めるが…由里や楓の身体が重なり。狙うことが出来ず
「菅江、摩耶…しばらく時間を稼げ」
鬼門達も動き始めた…鬼気は感じられない、けれど…その目の輝きは千年前の物だ
「俺は…食事をしてくる」
由里と楓を小脇に抱いたまま走り出す
…笑いたかった…笑い出したかった…
早く…高らかに笑いたかった…