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翌日。
その日はワークルームを利用する日だった。
竜一は、カバンの中から慎重にレポート用紙を取り出した。
やはり思った通りである。
先日、紙の間に挟んでおいた髪の毛が落ちて無くなっている。おそらくメモの中身を盗み見られたのだろう。
竜一は、監視状況を確認するために、友人に電話してみることにした。
「もしもし、広瀬さんですか?」。
「はい」。
「俺だ、西岡だ」。
「おお、西岡か。不摂生がたたって、田舎の病院に隔離されてるそうじゃないか」。
「ああ、お陰でのんびりしてるよ」。
「優雅なもんだよな。美人の看護婦さんにちょっかいでも出してるんじゃないのか?」。
「いや、健全そのものだよ」。
「本当かー。どうせオッパイのでかい看護婦さんにでも目星を付けてるんだろう」。
「まーな。ここの看護婦さんは美人揃いだよ。それに白衣のデザインが色っぽいしな」。
「…えっ、良く聞こえなかったよ。美人が何だって?電波の調子が悪いみたいだ」。
「いや何でもない。まだ暫くは退院できそうにないんで、Y社の原稿の方は頼むよ。じゃあな」。
竜一は、電話が盗聴されていることを確信した。
「これ以上メモも取るのが難しいな」などと考えていると、ドアをノックする音がした。
竜一が返事をする間もなくドアが開き、事務長の藤原が入ってきた。
藤原は両手を広げ、しかめっ面をする。
「西岡さん、困りますよ。あれほど注意したはずじゃないですか」。
「俺のメモも見たんだな」。
「こちらも身の安全は確保しなければなりませんしね。あなたもここの良さは充分理解されているでしょう」。
「陰で監視されると、何か裏があるんじゃないかと考えたくなりましてね」。
「確かに世の中の多くの企業と同様に、ここにも色々なカラクリは有りますよ。ただそれらは、あくまでサブシステムに過ぎません。聖垂会を支えている基本システムは、クライアントがここのファンになってもらうことなんですよ。そのためにうちの女の子たちは努力を惜しまず濃厚なサービスをしてるでしょう。我々は手荒なことをする気はありません。どうか素直に協力してもらえませんか」。
藤原は丁重な言葉使いで説得を続ける。
「じゃあ、二階堂杏子の件は、どうなんですか」。
「はー、あの一件があなたの入院のきっかけですか。あれは全くの事故ですよ。彼女はクライアントの情報を勝手に持ち出しましてね。ここの信用問題にも関わるので、説得したんですが彼女は言うことを聞かず、その場から逃げ出して自分から足を滑らしたんですよ。金に目がくらむと怖いもんですな」。
竜一が納得しない様子を見せると、藤原はしだいに病院の仕掛けを喋り始めた。
ワークルームでの盗聴は、病院の機密漏洩防止と言うよりも、むしろ経済情報収集が主であるとのことだった。
企業のトップの会話の中には多数のインサイダー情報が含まれているため、それを知ることにより株などの投資が極めて有利に運用できるのだ。聖垂会の資金力を以てすれば相当な利益が得られるはずである。
しかも、秘密を漏らした当の本人は何も知らないのである。
この病院は、聖垂会の投資のための諜報基地になっていたのだ。
「我々も調べて後でわかったんだが、二階堂くんの場合は、それを仕手筋に売ろうとしてたんだよ」。
「金融亡者同士の争いか」。
「いや違うよ。確かに法的には似たような事かも知れんが、我々は、ここで得た情報で価格操作なんかはしたりせんよ。むしろリスクヘッジだと思ってくれ」。
藤原は、少々言葉が砕けてきたものの淡々と語っていた。
杏子の一件は竜一も半ば納得したのだが、さらに別の件を持ち出してカマを掛けてみた。
「ホルモン剤以外にも看護婦に薬物を投与しているだろう、あれは何のためだ」。
「君の山勘には恐れ入ったね。だが、そちらの方も心配はいらんよ。あれは一種の精神安定剤で、人の心を一時的に従順にするんだよ。君だって彼女等のミルクの味に三日もしない内に慣れてしまっただろ。ここは医療集団だ。薬物依存に陥らないよう、細心の注意をして投薬量を決めているんだよ。君の周りの女性たちにも既に投薬はしていないよ」。
藤原はさらに話を続ける。
「ここに入院していて薬物中毒になった者や退院後に金使いが粗くなった者がいないことは、君もだいぶ調べたんだろうから知っているだろ。もちろん、嗜好としてオッパイフリークになった人間は何人もいるがね。ここの目的は、薬物依存の人間を作ることや脅迫のネタを掴むことじゃなく、もっとメンタルな意味でファンをつくることにあるんだよ。解ってくれたまえ」。
藤原は、そう言って一連の説明を締めくくった。
「どうだろ、我々の名誉挽回のために、もう一月ほど時間をくれませんか?その間にあなたがここのファンになってくれれば、対抗措置を取るような必要もなくなる。その代わり、そのメモは預らしてもらいますよ」。
藤原は、唐突な提案をしてきた。その間の入院費用も半額にまけると言うのだ。無料にしないだけに妙な説得力があった。
結局、竜一は一応矛を収め、様子を見ることにした。
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