攻殻機○隊
その1
「例のブツは4番ラボに据え付けておいたぜ、少佐」
トグサを連れたバトーは作戦室に戻ると素子に報告する。
「了解、もう使えるのかしら? 」
攻殻○動隊の美しい指揮官は、いつもの様に冷静な態度で聞き返す。
「ああ、もう細かい調整も終わっているから、何時でもテストはOKだそうだ」
「それなら、2時間後に試してみるわ。バトー、彼方も付き合ってちょうだい。
私はこれから部長に許可をもらって来るから… 」
バトーから技術部の報告ディスクを受け取った彼女は、入れ代わりに作戦室を後
にする。
素子が部屋を出たのを確かめてから、トグサは好奇心を剥き出しにして先輩に不
可解な会話の意味を問い質す。
「あの、何なんだい? 例のブツって? 人形使いと、何か関係がある物らしい
けれど? 」
この部隊に入って日が浅い、刑事上がりのトグサは、不正規部隊の要員としては
好奇心が強すぎる。だが、この日は何故かバトーも後輩の問い掛けに答えてやっ
た。
「ああ、まあ、関連があると言えば、あるかも知れん。この間のクラブへのガサ
入れの時に、あの、ヘル・ドリーマーの亜流機が押収されたんだ」
バトーの言葉に、トグサを驚き目を見張る。
「だって、旦那。アレはいくら何でもヤバすぎだって、もう裏社会でも、ほとん
ど姿を消した洗脳器材じゃないのかい? まさか、そんな物騒な代物が、1台
とは言え、クラブみたいな誰でも入れる場所に設置されていたとは… 」
一時期、巷では睡眠中に、お好みの夢を見せてくれると言う、眉唾物の機械、ス
ーパー・ドリーム・ラック成る物がもてはやされた時期がある。なんの事は無い
、疑似体験をダミー・ゴーストを媒介に使用して、寝ている利用者に都合の良い
ストーリーの夢を見させる機械だったが、ある業者の非常に強力な違法改造プロ
グラムにより、夢と現実の区別が付かなく成った利用者が続出した事から、今で
は厳しく規制され、表向きには生産はされていない。
それでも、一度疑似体験プログラムに身を委ね、うんざりとする現実から逃避し
て、己の構築した勝手な理想郷に逃げ込んだ事のある者は、その恍惚の世界が忘
れられずに、大枚をはたいてでも、法律で禁止された疑似夢体験機械に入る事を
望んでいた。
金が動けば犯罪組織も黙ってはいない、彼等の中でも目先が利く連中が作り出し
たのが、今回押収したヘル・ドリーマーなのだ。人の欲望は留まる所を知らない
。最初は小市民的な夢を見て満足していた利用者も、すぐに予定調和の疑似世界
に飽きて、こんどは強い刺激を求めはじめる。
組織は小出しに違法性の強いソフトを密売して、大きな利益を上げている。はじ
めは綺麗で何でも言う事を聞いてくれる一人の女性を夢に求めた利用者も、次の
ソフトでは、2人の美女、そして次には3人の、もっと美しい女! と、言う案
配に、徐々に要求は高まって行く。
特に加虐嗜好の強い客はお得意さまで、夢の中でのプレイは短い期間で露骨にエ
スカレートするから、高額な闇のプログラムを矢継ぎ早に注文してくれた。この
ように過激で残忍なプログラムに行き着いてしまった利用者の中には、ついには
自我が崩壊して廃人に成る者、自殺する者。それに猟奇的な犯罪を起す者も多く
、当局は懸命に機械の所在と、特に悪質なプログラムの出所を探していた。
「あのプログラムも、元は人形つかいが流していたって噂があるよな、旦那? 」
「ああ、それだから、少佐が直々に調べるって寸法なんだよ。なあ、トグサ、お
前も付き合うか? 少佐の調べに」
先輩の言葉に思わず頷きそうに成ったトグサだが、今日が結婚記念日で、朝、妻
から早く帰って来いと念を押されていたのを思い出す。
「あっ… あの、旦那。それが、今日はちょっと… 」
好奇心旺盛な後輩の元刑事の逡巡を、バトーは見逃さない。
「なんだ? また、カミさんと何かあったのか? この部隊で女房と子供がある
のは、お前だけだからな。まあ、色々あるさ… 」
「いや、そうじゃ無くて、実は今日は結婚記念日で… 」
何とも情けない顔で言い訳する後輩に、バトーは笑い出す。
「ははは… そうか、それなら、さっさと帰ってやれよ。なに、少佐の付き合い
と言っても、別に面白いモノじゃ無いからな。攻勢障壁を完備した状態で、あ
のクソ・マシンの電脳中枢に忍び込むだけさ。傍で見ている俺は、子守唄を歌
うくらいしか、する事も無い。なにも大の男が二人も雁首揃えて並ぶ必要は無
いだろう」
先輩の有り難い言葉に、トグサは会釈しながら手刀を切る。
「ワルイ… 最近、ちょっとゴタついて、女房も荒れているんだ。だから、この
借りは必ず返すから、今日の所は… 」
「構わんよ。それに、そんなに感謝されてもな… 何時また別件で非常召集が掛
かるか、分からんよ。ほら、こんなところでグズグズしていると、お偉方に捕
まるかもしれないぜ」
ありがたいバトーの言葉に従い、トグサは作戦室を後にする。一人残った大柄な
男の唇には何故か無気味な笑みが浮かんでいた。
「これね? あの、趣味の悪い出来損ないって… 」
ひと昔前の診察機械のMRIを簡略化した様な、疑似幻想機械を見て素子が眉を
顰める。
「それに、何でこの機械に手足を拘束するベルトが付いているわけ? 」
「ああ、それなら、夢を見ている最中に暴れて怪我をしない様に準備されている
そうだぜ。だが、別に少佐が試す時には使わなければ良いのだろう? 」
バトーはマシンのセットアップ作業を行いながら、気楽に答えた。
「いえ、やっぱり、使用手順には従った方が良いでしょうね。彼方に残ってもら
ったのは正解だったわ。一人じゃ使えないもの」
素子は幾つか不気味な配線が成されたセンスの悪いヘルメットを被り、機械の中
央部分の台に横たわる。
「了解、それじゃ拘束するぜ、いいな少佐」
ヘル・ドリーマーを呼ばれる機械の上に、バトーは上官の手足をバンドで固定す
る。
「防護障壁は佐川電子製の最新型だが、用心の為に疑似ゴーストを媒介させて、
ダブルで使う事にするぜ。それでも何か不測の事態が発生したら、緊急コード
09で呼び出してくれ、回線は開けっ放しにしておくからな」
四肢を拘束された素子の頭を手で持ち上げて、首の後ろのコネクターにジャック
を差し込みながら、バトーが最終確認を行う。
「技術部の連中は、異常な点は認められないとほざいたが、なにしろ、人形使い
の影がチラついているから、ヤバくなったら、急いで逃げてくるんだぞ」
「わかったわ」
自由を失った素子は、それでも冷静なままで、古い付き合いの元傭兵に答えた。
「まあ、悪夢に飽きたら声を掛けてくれよ、王子様が目覚めのキスをプレゼント
してやるからな」
「随分と血なまぐさい王子様だな、だが、アテにしている。それじゃ、初めてち
ょうだい」
素子の指示に従い、バトーがメインのスイッチを入れた。