小鶴 (3月17日(日)11時19分22秒)
●アニト様
四つのお教え、有難うございました。
小鶴、こんなの書いたことがなかったんです。
とくに「仮名」は女文字だったこと、思いだしましたワ。
性懲りもなくもう一度と筆を執らせていただきました。
ご迷惑かもしれませんが、今後も小鶴の行く末を含め、ご教示下さいませネ。
●先輩の皆々様
暖いお励まし、有難く伺っています。
年を経ただけで経験も浅く、皆さんに教えられることばかり、ホホホホ・・・ 
お恥ずかしいですが、つたない経験しか書けないのです。
お笑いになって下さいネ。
『追憶』

あれは3月の15日のことでしたワ、
裏の竹薮に今年初めてのウグイスがきて、まだ鳴きなれないおさな声を聞いたのは・・・
そんな春の日に誘われ、久し振りに外でお食事をし、
少しお酒も入ったほろ酔いの気分で、おうちに帰って参りました。
つれあいもほんのりと顔を赤らめ、
お恥ずかしいですが、あうんの呼吸とでも申しましょうか、
おたがい夜のことをそれとなく示しあっていましたの・・
早い目にお風呂に入り、私は先にベッドに入りました。
間もなく入っってきたつれあいは、案の定、バスタオルを腰に巻いたまゝの姿でした。
私はいつものように、「今日はあたしのとこに入って・・・」と、小声でせがみました。
前にもお話しましたが、
私、夜のいとなみだけは、言葉も体位も「女形」になっていますし、
つれあいの留守の時には、お化粧をすることも許してもらっていますの・・・
ただ一つ、これは浮気というんでしょうか?
いまだに言い出せずにいるのは、殿方や同じ想いの方とのお付き合いなのです。
贅沢な悩みなのでしょうか? だって私のような方のほとんどが、
小鶴にとっては羨ましい体験をお持ちのように思い、
お若い方は良いなあと、ジェラシーを感じてしまうんですもの・・・
できたら泊まりがけの留守の時にでも、お誘いをしようかしら・・・
私はベッドに入ると、「あなた、お願い! お乳を・・・」と、胸をはだけて求めます。
すると乳首を唇でなぞり、さらに舌に唾をたっぷりと添えて乳頭を弄んでくれるのです。
「ああ・・・いいわア・・・ あたし感じる・・・・ 」
片方の乳を揉んでもらっていた手が、私の花陰にのびた時など、一層の昂りを憶え、
「ああ・・・そこは、あたしのお○そ・・・、ああ・・感じちゃう、ウ・・・あたし達レズみたい・・・」
私は腰をうねらし、思いっきり媚態をよそおうんです。
つれあいはほとんど無言です。
「ああ、あたしもう駄目! 入れて!!・・・」
最近とみに衰えた私のものを、お口で役に立つようにし、あそこえ入れてくれるのです。
「入ったわ! ああ・・・ 入ってる!! あなた、入ってる!」
私は如何にも女らしく下から黄色い声をかけつづけ、自らの興奮をもさそいます。
間もなく、「ウウゥゥ・・・」と、溜息が洩れ、お腹の上の動きが緩やかになっていきます。
私は、遅れじと腰を使い、
「あなた、いったの・・・ あたしも、いく、いく、いく・・・」
「いったワ・・・あたし女になってる・・・あたしもいった・・・抱いて! 」
ながい包容でお互い余韻を楽しみます。
そして深い眠りにさそわれていくのです。

こんな私の幼いころのお話、聞いて下さいません?
勿論戦争中でしたわ。
私の想い、今のようにおおっぴらには誰にも言えませんでした。
僅かに歌舞伎や新派の女形に憧れ、そんな方達のお写真を見て、
秘かに楽しむのが精一杯の発散でしたの。
そんな頃、ある雑誌で曽我廼家桃蝶様のお写真を見て終いました。
それは、高島田の日本髪、如何にも女形らしいしっとりとしたお着物の着こなし、
とくにべっ甲の簪が目に沁みました。
「これが男の人? だったら私もこんな美しい人になりたい・・・」
と心底から憧れたものでした。
そして何よりも「もう戻れない自分!」を見てしまったのです。
それは幼い私にとっては衝撃でした。
憧れのお写真に見入り、思わず前をいじり、想いのままに果てて終いました。
そしてその後も・・・
桃蝶様の自伝は「芸に生き、愛に生き」という題名ということを
最近、安達肇先生の随筆で知りました。
そしてその随筆には、嬉しいいことに
幼いときに見た桃蝶様のお写真も添えられていました。
安達先生は当時57歳の桃蝶様に初めてお逢いになった時のことを、
次のように書いておられます。
《私は大学入学のため、上京しようと
発車間もない出雲号の三等車のボックスに座っていた。
そのもう一つ空いた席に「およろしいですか」と
一人の女性(その時はそう思った)が乗って来られた。
スラックスにサンダル姿の上品な人だったが、
白髪で、サンダルからのぞく足の爪に銀色のマニュキアが塗られていた。》
と、その後のお付き合いについても、
《ある時は新宿のレストランでご馳走になり、歌舞伎町界隈を歩いたりした。
女形と学生服に丸帽の大学生の二人づれだから道行く人が振り返った。
私からすれば「品のいいおばさん」といった感じの人だったが、
その人は「いつか、二人で歴史をつくりましょう、ホホ…」などと冗談を言った。
私は半ば驚きながらも、どういう意味だろうと考えながら歩いていたことを憶えている。》
《浜田へ帰省の折には訪ねてこられたり、
女手の筆に花をあしらった賀状を毎年いただいた。
軍人になることが男子の本懐とされていた時代に、
その人は自伝で「先天的に女性を愛することができない」と書いている。
子どもの頃から女形の役者になることが夢だったそうだから、
生まれながら素質に恵まれていたのだろう。
そして五郎劇の第一次黄金時代に新派女形として、
晴れがましくも艶やかな活躍をした。》
私には、お医者様のことは分かりませんが、
桃蝶様は今で言う「性同一性障害」の方かも知れませんわね。
ただ思いますに、「先天的に女性を愛することが出来ない」お方が、
自伝の表題を「芸に生き、愛に生き」とされたのは、
お噂にあった五郎劇の座長、曽我廼家五郎様や、
ご贔屓の旦那様とのお付き合いが、まことの「女」としての愛を捧げられ、
それに見合う愛を殿方からお受けになったのでは、との想いを巡らすのです。
そんな想いは女ゆえの儚い「さが」なのでしょうか?
小鶴は、つい想い描いてしまいます。
京都辺りの路地の奥、小じんまりとした家にお手伝いさんと住い、
常に和服姿で旦那様をお待ちする。
そしてお訪ねの際には玄関先までお迎えし、
「あら、お帰りなさいまし。まあ、お疲れさま・・・」
「久し振りにユックリしていくよ。おまえ、今日は普段にもまして美しいからネ・・・」
「嬉しいいことおっしゃって、お待ちしていたんですのよ」
お酒も入っての夜を、艶めかしい長襦袢姿でお相手をされたのではないでしょうか?
もう、その情景が浮かんできてお羨ましい・・・
小鶴も優しく抱かれ、はては花陰をつらぬかれて、「女」としての喜びを・・・
ああ!! もう30年若かったら・・・・
遠い昔、私をこの道にいざない入れた桃蝶様のお写真を懐かしく拝見しながら、
小鶴は身もだえして追憶にふけっているのです。

(完)




アニト (3月18日(月)23時33分06秒)
小鶴さん、こん○○は。
女装娘さんが持つ願望を満たしてさしあげること、
これがわたしの役目だと考えています。
ですから、エッチな言葉をささやくばかりでなく(どははは)、
《厳しい批評をお願いします。》にもお応えしたのですが・・。
なんと1度のアドバイス(?)で
小鶴さんはご自分の文体をみつけられたようです。
いえ、小鶴さんの生きてきた証が物語に込められたというべきでしょう。
わたしを含め多くの人が見習い、目標とすべきことです。
『空想デート』に春の新風が吹いたようでとてもうれしく思っています。




小鶴 (4月21日(日)14時32分32秒)
●アニト様
暖いお言葉を有難うございました。
お礼が遅くなり、薄情な女と思われはしないかと按じながらも
ひと月が過ぎてしまいました。
漸く、今の小鶴の「孤愁」の心情を書きたく思い、
恥じらいもなく筆をとりましたの、ご笑覧下さいませ。
『孤愁』

春たけなわ、山笑う季節とか申しますわね。
小鶴のお家の小さなお庭にも、花弁を妖しい薄紅色に染めたハナミズキ、
真っ赤なツツジ、小鉢には色とりどりのパンジー、小振りのシクラメン等々、
なかでも直植えの桜草は一面に可憐でほのかな香りを漂わせています。
それに真紅と黄緑の紅葉、つばき、キンモクセイの若葉が草花の色を際立てています。
裏の竹薮に来るウグイスの声も艶っぽく、大きく聞こえるようになりました。
そんな春なのに、小鶴は何かしら満ち足りない、
やるせない欲望の渦に巻き込まれているのです。
欲望という渦はこんなに果てしなく大きく膨らみつづけるものなのでしょうか。

その前に、小鶴が初めて憧れの女装をし、
大変お世話になった大阪釜ヶ崎のRお姉さまのことからお話しますわ。
お姉さまのお父さまは旅回り一座の人気女形、
一周り年下のお母さまはそのファンで若くしてご一緒になられたようでした。
一人っ子だったことと、周りの環境から自然とお父さまの後を継ぐように育てられ、
小さいころから女形を目指され、
二十歳前には一座をになう人気役者になっておられたようです。
然し時代は戦時中、しかも戦況は日々悪くなっていて、
兵隊検査では兵隊さんになれない丙種合格だったのですが、
小柄で見るからになよなよとしたお姉さまにまで召集令状が来ることとなりました。
兵隊さんになられたお姉さまのご苦労はそれは大変なことだったそうです。
日頃女として過してこられた所作や言葉は一朝一夕に変えられるものではありません。
泣く思いの日々を送られたのも無理ないことでした。
漸く心の安らぎをえられたのは
当時支那と言った中国戦線に渡られた後だったと言います。
しかも皮肉にも女形修業のお陰だったそうです。
当然のことですが、殺伐とした戦場で、男ばかりの兵隊さんの求めるのは、女・女・女。
少し年上の班長さんに見初められ、又その上の隊長さんにも目をかけられて
そのお世話をするお付の兵隊さんになり、
事実上隊長さんの愛人として可愛がられるようになられたのでした。
幸い最前線ではなく、お姉さまには兵隊さんたちが
付近の住民から取り立てた化粧品や衣類などが貢がれ、
隊長さまのお相手するときは美しい「女」として尽くされたようです。

そんなお姉さまに巡り合えたのは小鶴が女形みたいにお化粧したいと、
その頃おかまさんの街と噂のあった大阪釜ヶ崎でお逢いした三人目の方でした。
お年はもう四十を越しておられ、お写真で見るお若いころのお美しい舞台姿とは
流石に容色の衰えが見えましたが、そのなよなよとした物腰といい、お言葉使い、
何時も和服でえも言えない女の色気が漂っている品のよいお姉さまでした。
それに他の方と違い、長屋でしたが二階建てのお家で
当時としては珍しく化粧室やお風呂もあって、
お姉さまのお人柄のせいか、お客様も皆さん結構な旦那さまのようでした。
ある時こんなこともありましたの。
少し間が空いてお給料の日でしたわ、
小鶴はたまらなくなってお姉さまにお電話をしたんです。
だって当時のお金で一万円、私にとってはとても贅沢なお遊びだったんですもの、
早々には行けない身分だったんです。
「もしもし、小鶴です。今から伺っても良いですか?」と、
お姉さまは優しく、
「今日は名古屋の旦那さまが見えてるの。だけど小鶴ちやん、少し待って頂戴。
旦那さまに聞いてあげるわ、あなたのような若い可愛い子なら喜ばれるかもしれない。
あなたも芸者姿の艶やかなところを誰かに見てもらいたいでしょう、
旦那さまは常連のお優しい方、それに今日はお泊まりなの。
時間もあるしユックリしていっていいのよ。
小鶴ちやん、怖いの?、大丈夫よ、私が旨く取りなしてあげるから。
少しも怖がらなくていいのよ、ちよっと待ってね。」
私はお返事を心待ちにしている自分に心なしか女心を感じていたのでした。
少し間をおいて、
「旦那さまがお逢いしたいとおっしゃって下さってるの、
お二階で待っていただいてお支度すればいいわよ、
直ぐいらっしゃい。玄関明けておくから」
その夜、お姉さまは何時になく丁寧にお化粧をして下さいました。
実の妹のお化粧をするように・・・
いつものことですが水白粉を顔からうなじえ、
襟からお乳の上にまで幅の広いお白い刷毛で塗っていただくときの快感、
口紅が入るともう小鶴は恍惚としてしまいます。
そしてサッパリと洗濯したての真っ赤な腰巻き、肌襦袢、長襦袢、
お姉さまの晴れやかなお着物、袋帯も締めていただきました。
身体が幾重にも紐で絞められるのが快感に変わってゆくのでした。
最後に高島田のかつらを被り鏡に映る自分の姿に、
おもわず女らしい仕草になってゆくのです。
その夜のことですか?
その頃の小鶴、格好は女でも、何一つ女としての身体にはなっていませんでしたの。
招かれた旦那さまの手に触れるのが精一杯、
あそこがどうなっていたかもわかりませんでした。
旦那さまは優しく肩に手をかけられ、
「まだうぶなんだね、可愛いよ。又来るからその時は逢ってくれるね。」
と云って下さいましたが、
私は女言葉も侭ならず、ただ恥ずかしくてコクリとうなづくだけでした。
その方のことが忘れられず、その後いく度も、
お姉さまに名古屋の旦那さまの来られる日をお伺いしたのですが、
二度とお逢いすることが出来ませんでした。
その後、同じような形で私より少し年上のお客さまに、
お姉さまのお手伝いとしてその方のものを握り、
その大きいのに驚いたのを今も憶えていますの。
それから間もなく、どうしたわけかお姉さまの消息さえ途絶えて終いました。
逞しい兵隊さんに女としての喜びを得られたお姉さま、
それに引き換え今も孤愁をかこつ小鶴、
お幸せにとお祈りする片側で、
熟女であられたお姉さまに嫉妬さえ感じる今日この頃なのです。
今の小鶴でしたら・・・ 
名古屋の旦那さまに捧げるものがあるのに・・・
女にしていただけるのに・・・ と。
今、小鶴は本当に寂しい思いでいます。
ほんの少し前、いたずらにCPの検索で「女装HP」と入力したところ、
2万件を越えるサイトを知り、もう我を忘れてのめり込んで終いました。
当時月4時間のコミコミコースだったのですが
忽ち大幅な時間超過、翌月から10時間にしたのですがこれでも日に20分、
もう辛抱ができず今月からつれあいに無理を言ってADSLにしたのです。
然しこんなサイトを見る為とは言えませんでした。
そして小鶴は今迄は思いもつかなかった世界を知ることとなりました。
特に「空想デート」では色んなことを教わり、
「女」としての欲望は広がるばかりなのです。
欲望という渦は果てしなく大きく膨らみつづけるものですね。
お化粧をした後の自慰もアナルに指を入れるようになり、
はじめ高々指だけだったのが薬指との二本になり、
今では人差し指まで添えるようになりましたの。
今更なにを隠しましょう、
朝、太い排便がでたときなど、花陰のひらが広がっていて、
中にいれた指をお尻の筋肉を閉めることですごく感じるようになり、
夜のお風呂でも欠かせない秘め事になってしまいましたわ。
ああ、なんてお恥ずかしい小鶴になって終ったのでしょう。
想いは募り、深まるばかりなのです。
もう三十年若かったら・・・ と。

(完)




アニト (4月22日(月)23時02分37秒)
小鶴さん、こん○○は。
《ひと月》など『空想デート』においては短い時間ですし、
なによりも小鶴さんが書き込みを続けてくれることがうれしいのです。
いつまでも筆を持ち続けてください。
小鶴さんはお若い頃から幸せな環境にいらっしゃったように感じます。
その良い人生経験を若い人たちに伝えることが
今の小鶴さんの役目だとわたしは思うのですよ。
Rお姉さまがそうしたように。

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