| あきら (12月15日(木)15時47分24秒) アニトさま みなさま。はじめまして、 俺はあきらといいます。 強制的に女性化されて、今はご主人様を中心とした、会社の幹部たちに、 性奴隷として仕えさせられております。 まずなぜそうなったかを書きます。 強制女性化 俺は普通の男でした。 17歳の時ぐれて、いろいろ悪さをしている時に 今のご主人様に拾われました。 ご主人様はいわゆるヤクザの組長でした。 広域暴力団で、その中でもかなりランクの高い組です。 実力もありヤクザ仲間からも一目置かれております。 ウエストも細く62cmになってしまいました。 もちろん元の男に戻れません。 お尻の方も脂肪がついて豊満になっております。 服などを買うときは、測ってくれますが、 その測り方だとヒップサイズは90もあるということです。 そのうち様子を見て胸がこれ以上自前で大きくならなければ、 豊胸手術を受けさせられます。 まだペニスはついておりますが、睾丸は去勢(摘出)されています。 でもペニスは勃起することができません。 最初にされたことがそのための手術でした。 手術というにはあまりにも残酷なものでした。 そのことはいずれ書こうと思います。 なぜ勃起することができないかというと、提靱帯を切断されたからです。 提靭帯は、ペニスの付け根、お腹側にあります。 刺激されたりするとペニスは充血し膨れて大きくはなりますが 勃起するように上には持ち上がらないのです。 下に垂れてぶら下がったままです。 なぜこんなことになったかというと 俺が、社長(組長)の愛人に手をつけたからです。 というよりできてしまったのです。 まだ未成年の俺を拾って大事にしてくれた社長です。 また俺が度胸のいいこともあり可愛がってもらっていました。 俺は社長専用のボディーガイド件運転手でした。 俺も23になっていて、組の中でもそれなりに認められていました。 その俺が社長を裏切ったのです。 裏切りと言うよりも社長の言葉を借りると、 社長の顔に泥を塗ったことなんだそうです。 社長はいわば、両刀遣いと言うか、美少年趣味でした。 俺は自分で言うのもおかしいのですが、けっこう美形です。 俺も社長の男の愛人ということでした。 時々社長の寝室に呼ばれて、夜伽をさせられました。 社長はいつも、お前は女に生まれたら幸せだったろうに、 と言っておられました。 俺はそれが嫌でしかたない思いをしていました。 しかし俺も20を過ぎると体毛も濃くなり、 筋肉もつきゴツゴツとした体になり、この役目はいちおう外されました。 お褥(褥)滑りだと社長いっておりました。 と言っても、時には寝室に呼ばれることもありましたが 以前ほど頻繁ではなくなりました。 戦国武将はやはりいつも美少年の小姓をはべらせており、 そしてそれは同性愛の相手であったと聞いています。 織田信長の森蘭丸もそうだったとか。 昔は男色という言葉があり、普通だったようです。 それで運転手件ボディーガードになったわけです。 社長の妾宅(愛人のじマンション)に行くときも俺が送り、 また、常に隣室でボディーガードとして控えておりました。 そんな中で間違いを犯したのです。 ある夜、社長が愛人宅に泊まった時、深夜彼女が俺の部屋に来ました。 スケスケのネグリジェだけで下着は何もつけずに。 そして抱いてくれと迫られたのです。 でも隣室には社長がいるので俺は怖くなりました。 そうすると社長には睡眠薬を飲ませてあるから大丈夫だと、 迷いましたが若い上に、以前から彼女の美しさに惹かれたいましたので とうとう彼女を抱いてしまったのです。 その関係は半年ほど続きました。 それがとうとうバレてしまったのです。 今回はここまでにします。 (続く) アニト (12月17日(土)00時07分40秒) あきらさん、はじめまして。 まずは『今』の状態を披露しておいて 《まずなぜそうなったかを書きます。》との宣言。 ドキドキする書き出しですねぇ。 そして?それから?と先が知りたくなってしかたありません。 完結目指してがんばってくださいね。 あきら (12月18日(日)10時12分03秒) □アニトさま 早速レスいただきありがとうございます。 先輩の皆様変わった新人ですがよろしくお願いします。 強制女性化2 俺は、社長が好きでした。 尊敬さえしておりましたが、なぜ裏切ってしまったのか、 いつも後悔の念で毎日過ごしております。 社長の同性愛の対象としての毎日も、むしろ嬉しくて仕方なかったのです。 社長に呼ばれて、夜伽をさせられる。 むしろ呼ばれたときは嬉しくてたまらなかったのです。 社長のたくましく黒光りした男根に奉仕することが悦びでした。 普段は当然男の姿なのですが、社長の夜伽に呼ばれたときは、 社長に命令されたわけではなく、自分の判断でですが、 いわゆる下着女装して部屋に行きました。 まずシャワーで身体をきれいにして、ヒゲは薄かったのですが、 念入りに剃り、もちろん脛毛も剃ります。 最初は剃っていたのですが、 そのうちに、クリームタイプの女性が使う脱毛剤を知り、 それで常に脛毛は脱毛しておりました。 もちろん腋毛もです。 その時は社長に体毛で不快な思いをしてもらいたくないという気持ちでした。 そういうふうに考えていました。 もちろん浣腸して、そのあと丁寧に洗腸します。 今思えばおそらく、社長に対しては あくまで女として接したいという気持ちがあったのだと思います。 女性のパンティを履き、膨らみをガードルで押さえます。 更に薄い素材の7分丈のレギンスを履きます。 上は、胸はないわけですから、ブラジャーはしません。 ただ少しでもフェミニンにと考えて、薄手で半透明のキャミソールを着けました。 顔も薄化粧をして、少し色のついたピンクのリップクリームを、うすく塗ります。 この姿を、姿見に移しますと、色っぽい女性的な姿です。 髪の毛も普段から長髪にして後ろで束ねていましたから、 結んでいるゴムを外して肩まである髪の毛を垂らし、少し女らしくセットします。 そして着るものはジャージの上下です。 見ようによっては女に見える美少年が社長の好みということは わかっておりましたのでそれに合わせたのです。 社長と二人でどこか旅行と言うか仕事でお付き合いするときには、 道中は、普通の男の姿です。 もちろん下着も男物です。 現地についてホテルに泊まるときは社長は、いわゆるスイートを取られます。 食事の時ももちろん男姿です。 ボディーガードですから。当たり前です。 自分に与えられた隣室で、さっき書いたように身だしなみを整えまして、 この時にはスケスケのネグリジェに着替えて社長の寝室に入っていったのです。 社長とのセックスについては、書かなくてもご想像していただけると思いますが 簡単に書きます。 ただ男根へのご奉仕から始まるとだけ書いておけば お分かりいただけると思います。 このご奉仕は、ただのフェラではなく、ディープスロートでした。 一度まず喉の奥に出していただき、出していただいた精液は飲み干します。 そのあとは社長に丁寧に愛撫していただき、 体位はいろいろありましたが、アナルを責めて頂きました。 最初の頃は社長の大きな太いもので、痛いし辛かったですね。 はじめての時はアナルが切れて出血さえしたのです。 ただその内に、社長にアナルを貫かれて、快感に喘ぎっ悶える俺でした。 アナルで責められるだけで最後は射精までいけるようになりました。 なれないうちは社長がアナルを責めながら、ご自分が逝きそうになる前に、 俺のペニスを握って激しくしごいて下さり、同時射精をさせてもらっていました。 それがある時から、入れてピストンされているだけで 射精できるようになったのです。 俺が社長の稚児役を常に務めていたのは、17歳から20歳までです。 その後もたまには夜伽を命じられましたが、 この時は、出来れば下着女装だけしていたという感じでした。 突然のことがありますので無理でした。 20歳の時に、稚児としての御褥滑りを言い渡されたときは寂しかったです。 大奥の、御褥滑りを言い渡された正室や側室の気持ちが わかるような気持ちでした。 17歳で社長に拾われた頃は、突っ張ってはいましたが、 そのくせまだ女は知らず俺は童貞だったのです。 その後社長の色稚児になりましたが、20まで全く女は知らなかったのです。 20で御褥滑りを言い渡された時、 社長にソープに連れていっていただいて、はじめて男になったのです。 そしてそれからは社長の命令ではないのですが、 いつの間にかスケコマシをするのがうまくなって行きました。 社長のボディガードと運転手をしながら、 暇を見つけてはスケコマシに励みました。 社長も喜んでいただいていました。 下部組織にこましてきた女を払い下げることによって、 下部組織も資金的に潤い、上納金も増えることになるからです。 そんな俺が、社長の愛妾とできたしまったのです。 (続く) あきら (12月18日(日)14時49分12秒) 強制女性化3 俺が社長の愛妾と出来てしまったことは、 状況からばれないと考えておりました。 必ず睡眠導入剤を社長は飲まされていたのですから。 しかもそのボディーガードは俺なのです。 バレるはずはありません。 しかしその内にこの女性、名前を便宜的にゆかりとしておきます。 ゆかりは、心底俺に惚れたようです。 俺もゆかりが心から好きになってしまったのです。 ゆかりから駆け落ちを持ちかけられた時、俺は散々迷いました。 隣室でボディーガードとして控えている時。 隣室から漏れる秘め事の声や音は嫌でも耳に入ります。 たまらない気持ちでした。 結局ゆかりと一緒に駆け落ちしたのです。 ゆかりは車を持っていました。 社長が買い与えたものです。 真っ赤なベンツでした。 俺たちのいたのは、大阪の生野区でした。 俺の非番の日、約束した場所で俺が待っていてゆかりの車に乗り込みました。 車から足がつくのを恐れて、 車は一度滋賀県の雄琴まで走った所で乗り捨てました。 そしてJRで、京都まで、そこで乗り換え、新幹線で岡山に出ました。 そこから、高速バスに乗って松山に出ました。 なぜ松山かというと、ゆかりの親戚筋が、 道後温泉で旅館に勤めていたからです。 その紹介で俺たちは奥道後温泉に落ち着き、 ゆかりは仲居として、 俺は送迎のライトバンの運転手を兼ねて雑役夫になりました。 給料は安いけれど旅館勤めは食事と住むところには困りません。 ふたりだけの愛の生活は順調なスタートでした。 しばらくして、俺たちは家を借りました。 田舎なので家賃も安く、やっていけました。 古い田舎家で居間ともう一つ座敷があるだけでしたが、 何とか平穏な生活を始めることができるようになりました。 逃げてから2年はあっという間に過ぎ、俺は25歳になっていました。 しかし住民票もない生活は将来が不安です。 ゆかりがそう言います。 俺は難しいことはわからないけれど、そんなものかと思いました。 俺は大阪に行くことになったのです。 役所で転出届をもらう為です。 ゆかりの書いた委任状と印鑑も持って、変装といっても付け髭と、 サングラスに帽子ですがいちおう気をつけて行動しました。 レンターカーで来ていました。 転居届が済んで、安心して街を高速の入口に向けて走っていました。 慎重に走ったつもりでしたが、事故に巻き込まれてしまったのです。 後ろから来た車に追突されてしまったのです。 衝撃で気を失い、病院に運ばれました。 その時に付け髭がとれてしまったのですが気づきませんでした。 気がついて大した怪我ではないということで、 いちおう事情聴取のために警察に行こうと言われましたが、 大した怪我じゃないからいいですと拒んだのですが、 結局行くことになってしまったのです。 もちろん被害者ですから、取調室ではなく、 応接セットに座って、いろいろ聞かれていました。 その時系列の組の若いのが、何をしたのか、連行されて来て横を通りました。 「あれ?あきらさんじゃないですか?」と一声かけただけで 俺が反応しないのでそのまま連行されて行きました。 俺は社長や会社のものにばれないか心配でした。 とりあえず事情聴取も元々被害者だからすぐに済んで、 解放された俺は、車は動いたので警察の駐車場に運ばれていた車に乗って、 高速に入り、中国道を倉敷に急ぎました。 倉敷で本四架橋に乗りすぐに松山です。 家に帰り着いて、すぐに旅館に行きゆかりを呼び出して事の顛末を話しました。 その夜遅く仕事を終えて二人で相談したことは、 まずそう簡単に見つけられないだろうけれども、警戒はしなければならない。 もしものことがあるといけないから、 どこか別のところに移ろうということでした。 別のところといっても心当たりがないし、 明日ゆかりの親戚にまた相談することにしました。 結果親戚は北海道のすすき野に知り合いがいるということで、 そこにいけるように頼んでみるということでもう1日待たされました。 翌日世話してくれるということで、レンタカーを借りてきて乗り込み、 出発直前、組の連中が数名で黒い車で駆けつけて来たのです。 あまりにも早く発覚してしまいました。 それには俺もゆかりも疎かったけれども理由があります。 しかしそんなことは書けば時間がかかるだけで 皆さんの興味を引くことでもありませんから、はしょります。 いよいよ大阪に連れていかれて、罰を受けるわけです。 どんな凄惨な運命が待ち受けていたかは、次回にします。 ここから俺の強制女性化が始まるわけです。 (続く) アニト (12月19日(月)23時15分40秒) あきらさん、こん○○は。 『空想デート』は【物語+挨拶文】という形式での書き込みをお願いしています。 多くの場合、その挨拶文を元にわたしはレスを書いています。 内容はあきらさんご自身の事や女装に関する想いや体験、 はたまたニュースやお天気の話題などなんでもかまいませんよ。 《次回》も楽しみにしています。 あきらさんへ 投稿者:りょう (1月7日(土)22時54分09秒) 続きが読みたいです。お願いします。 メニューへ戻る |